贈り物の日:14 『その手を…… −2』
頭を上げると、そこは一面の銀世界だった。
(今度はまた遠くに飛ばされたわね)
帽子をかぶり直し、あたりを見回す。王都の近くであればよいのだが、周りは白いばかりである。ため息とともに白い息が上がった。
とりあえず、方向を決めて歩こうとした時にクマに似たモンスターが現れた。白い毛並みに、クマよりも長い腕を持っている。その長い腕でバイオレットを雪原に叩きつけた。
「レディに酷いじゃない」
咳をしながら、上半身を起こすとモンスターは鋭い爪でバイオレットを狙う。
瞬時にガードした右腕の袖が破れ、腕が露出した。
血が通っていないような黒い皮と骨だけの腕。だが、皮はワニの皮のように硬くなっている。
ミッドガルドが掴んだ時、人の腕の感触ではなかったはずだ。まるで、枯れた木のようだと自分でも思う。
他人の病を自らの体内に取り込んで、そこから薬を作る。今では行われていない医療をしていた自らの身体はあらゆる病魔に侵されていた。
不死身の身体でもそれ以前の状態から回復しないらしい。
「買ったばかりなのに、貴方の毛皮を剥ぎとってしまうわよ」
そんなことを言っても理解されないことぐらいは判っている。愚痴をこぼさなければ覚悟が決められないのだ。
右腕をモンスターに向ける。
「貴方は吾の手を取るのかしら?」
モンスターは一直線にバイオレットに向かう。長い腕を伸ばし、バイオレットを捕らえると鋭い爪をその身に喰い込ませる。
そして、右腕に牙を立てた。
牙は容易く腕の皮膚を貫き、雪原に黒い雫が落ちた。暫くして、モンスターはもがきだしバイオレットの身体を離す。
「ああ、やっぱり買い替えね」
そして、毛皮に付いた自らの身体から出た血液を見て眉をひそめる。
人の血とは似ても似つかない。この身体が巡るのは毒と化したもの。
(吾はそれでも……人と……)
「ビオラ!」
呆けていたためにもがき苦しむモンスターの一撃が来るのを覚れなかった。声で気付くとモンスターは攻撃を停止したまま倒れた。
モンスターの背後には一人の男が立っていた。
「探しましたよ。出かけるならば一言声をかけてください」
「ノア……良く判ったわね。助かったわ」
「貴方の護衛をするのが条件ですから。というか、貴方が提示した条件ですよ」
「そうね……。そうだったわ」
本当は魔界に行く時に自分だけでは狙われるからと思って言ったのだが。
「さ、王都はこちらですよ」
ノアが手を差し出す。やはり、バイオレットは手を取る事が出来なかった。
ああ、と言ってノアは羽織っていたマントをバイオレットにかける。コートが破れて腕が露出していることを気にしたのだと思ったのだろう。
「ダメよ。寒いのだから」
「これぐらい平気です。それに死にませんから」
(それは貴方が魔族だから?不老不死の身体だから?)
バイオレットの与えた薬の副作用とは言え、ノアに不老不死の身体を与えてしまった。
今は感謝されているが、いつか自分を恨むだろう。かつて、自分を不死身の身体にした育ての親の想いを反芻する。
恨んだ。大層恨んだ。この先、短い命だったはずだ。ならば、あのまま放っておいて欲しかった
大陸中を巡り、自分を殺す方法を探した。そして、不死身の男と呼ばれた者に出会った。
その男は「そなたが全てを放棄したならばその手立てを手伝おう」と言った。
急に惜しくなったのだ。死ねると思った瞬間に生きたいと願った。きっと、あの時も生きたいと思ったのだろう。だから、尼僧は自らの血を与えた。
(なのに、吾は……)
涙の跡が冷気に当たり頬が痛い。泣いた事に後悔した。
「ビオラ?どこか痛むんですか?」
「御免なさい。なんでもないの」
鼻をすすると、ノアが王都の方角だと言った方向へ歩き出した。訳が判らずノアも後からついてくる。
(なんであの話が嫌いなのか判った)
月影の姫が羨ましかったと思っていた。けれど、本当は自分と重ねていたのかもしれない。最後の結末を回避するために人と距離を置き続ける。
けれど、姫と違って自分は帰る場所が無い。帰るとすれば、不死の世界と言われている月ではなく、いずれ訪れるであろう死の世界。
姫と同じように全てを捨てなければ行けない場所。
もし帝がミッドガルドのような考え方をしていたら、姫は幸せに暮らしましたと括られたのだろうか。
「それでも、やっぱり嫌いだったかもしれないわね。あの話」
マントの中でバイオレットは掴まれた腕をずっと握っていた。
改めて人恋しくなるこの国が苦手だと思った。
バイオレット・ミッドガルド・ノア
文:ふみ