贈り物の日:14 『その手を…… −1』

 雪に覆われたこの国をバイオレットは苦手だった。それでも、彼女はこの国にたびたび訪れる。
「また違う所だわ」
 移動魔法を使い城内に入ったはいいが、各地に設置されたモノリスの影響で常に違う地点に落とされるために何度来てもすぐに目的地に着くことはない。
 バイオレットは続く廊下を左右見渡していると、一匹の猫が近づいてきた。
「あら、可愛い」
 声をかけたが、猫はそのまま素通りしてしまった。
「どこに行くの?よかったら、案内してくださらない?」
 猫は立ち止り、こちらを見て再び歩き出した。微笑んだバイオレットは猫の後について行く。
 一つの扉の前に立ち止まると、「開けてくれ」と言う様に扉を前足で撫でて、鳴いた。
 バイオレットはノックするが、返事は無い。ノブを回すと鍵は掛かっていなかった。中をのぞくと、そこはバイオレットの目的地であった。人が居ない状態というは珍しい。
「本当に案内してくれたのね」
 足元の猫を見るとすでにその場におらず、本来この部屋の主の席であるイスに座っていた。
「ありがとうね。猫ちゃん」
 猫の顎の下を撫でると、猫は目を細めてゴロゴロと音を出した。
 机に視線を移すと、一冊の本があった。それは部屋の主に似つかわしくないものだったので、思わず手に取る。開くと後半のページが数枚落ちてしまった。
「これは……」
 拾ったページで内容が判った。バイオレットの嫌いな話。丁寧に直していると、部屋の主が戻って来た。
 ヒューフロスト王国宰相、マリオ・マセルス=ミッドガルド。
 バイオレットの姿を確認するなり、眉をひそめた。
「何をしているのですか?ヴァーミリオン」
「本を見ていたのよ。貴方にしては珍しい本だと思って。マリオ」
「二度は聞きません。真意の方に答えて頂きたい」
「貴方に会いに」
 本を閉じて、バイオレットは微笑む。しかし、ミッドガルドは真っ直ぐに机に向う。
「また許可なく入ったのでしょう」
「許可なら貰ったわよ。そこの猫ちゃんに」
 ミッドガルドは椅子に丸まっている猫を抱いて、自分が座る。
「マリオは童話が好きなの?」
「それは昔、ファーレンハイト様に読んでいた本ですよ」
「よく読んでたのね」
 破れているほどに、と言いたかったがどう見ても最後は人為的に破られている。
「インテグラの図書館司書が直すと申し出てくれたのですが、断りました。本自体が思い出になるのだと。ならば、破れていることが私の思い出なのです」
「あら、大事なものを気安く触って御免なさい」
 バイオレットは本を元の場所に戻す。
「本当に大事なものなのね。ずっと持っていたなんて」
「それを見つけたのは陛下の客人たちです。私が持っていたのは最後の頁」
「破られた頁を?」
「私は、この帝の行動が気に入らないと言ったのです。軽口のつもりでしたが、陛下が本気にされて破るとは思わなかった」
「気に入らない?吾は帝の行動は当然だと思うわ。気に入らないのは月影の姫の方」
「姫を想うのならば、不老不死となって月に行く方法を探す。私ならばそうします」
「あら、意外と情熱的で一途なのね。でも、その薬が不老をもたらすとは限らないでしょう?」
「そこを疑うと身も蓋もない」
「もし、吾がその月影の姫ならば帝には猛毒を渡すわね。一国の皇でなくても、人ならば人の道を外すなんて愚かよ。そして、それを促す物を渡すのはもっと愚か」
「ならば、薬を飲まずに会いに来てほしいと?」
「人は少しのズレで百年の恋も冷めるものよ。ならば、取ろうとする手も払うのが当然でしょう」
「自分が傷つかないように?意外と臆病ですね」
「臆病?ならば、マリオ」
 目を細め、口角を上げて微笑んでいる男にバイオレットは赤い液体の入った小瓶を差し出す。
「不老不死の薬よ。貴方に差し上げるわ」
 小瓶を凝視する翡翠色の目がバイオレットに向けられた時、ミッドガルドの手は小瓶ではなく、バイオレットの腕を掴んだ。
「!?」
 バイオレットは反射的に腕を引っ込めようとするが、男の力に抗えるものではなかった。
「放しなさい!」
 声に驚いてか、猫はミッドガルドの膝から飛び降りて、ソファーの方に移った。
「これが貴女の手を払う理由ですか?」
 すでに手の力は緩められていたが、バイオレットはそれを払う事が出来なかった。
「貴女は人に触れることに怯えているだけですよ」
 ミッドガルドの手はバイオレットの腕から離れると小瓶を取った。
「私はこの国以外を知らないのですが、一度与えられたのならば、再び触れたいと思いませんか?人の温もりに触れたいと、差し出されたその手を取りたいと」
 寒さの厳しいこの地域だからこそ、余計にそう思うのかもしれない。
「けど、触れた時にその人が求めていたものと違うと判ったら?」
 バイオレットはミッドガルドに掴まれた部分を撫でた。
「離れていってしまうと思ったならば、触れる前に自分が人ではないのだと……」
 姫が試練を課してまで、男たちの求婚を拒んだ理由はそこにある。
 拒めない帝にだけは自分の正体を明かした。だが、帝は変わらず姫と文を交わし続けた。
だから、彼女は彼に不老不死の薬を渡したのだろう。しかし、最後の最後で帝はその手を振り払った。
「だから、薬を飲むのですよ。差しのべられた手を取るために」
 ミッドガルドは小瓶に視線を落とすと、栓に手をかける。バイオレットは瞬時に転移魔法で小瓶を手元に戻そうとしたが、モノリスの影響で小瓶は二人から離れた位置に落ちた。
「貴方に渡したいのはアレじゃないの」
 最初に渡したより一回り大きめの瓶を机に置き、落ちた小瓶を拾いに行った。
「本当に不老不死の薬だったのですか?」
「毒薬かもしれないわ」
「では、こちらは?」
「滋養強壮の薬。ほら、世間では贈り物の時期なのでしょう?年の瀬は忙しい上に、テオフィルを本格的に捕まえようとしてるらしいじゃない」
「貴女がテオフィル逃亡に加担したと報告がありましたが」
「知らなかったのよ。テオフィルから聞いて陛下もそろそろかと思って来たのよ」
「縁起の悪い事を言わないでいただきたい」
「それぐらいになったら、流石に彼の血を貰えると思ったの」
 小瓶をコートのポケットにしまう。
「もし、吾を信用してくれるならば彼と純血の氷妖・氷妖と人のハーフ・出来るだけ交じりのないこの国の人間の血を用意してくれないかしら?」
「貴女に陛下の病が治せると?」
「確証は無いけれども。それとも、吾の手は取っては頂けないのかしら?」
 この距離ならば、掴まれる事は無い。だが、バイオレットはそれでも怖くて手を出すことは出来なかった。
「貴女が触れる事を恐れなければ」
 ミッドガルドは立ち上がり、右手を差し出す。その笑顔がわざとらしくて少し腹立たしかった。
「よいお年を」
 毛皮の帽子を取るとそのまま円を描き、一礼した。





終わり無き冒険へ!