贈り物の日:06 『治せない傷』
フィーナを部屋へ返した後、アンジェは椅子に座って一人赤いワインを飲んでいた。
「入って良いかね?」
「どうぞ」
その声に、ジルが部屋へ入ってくる。
「そういえば、貴方って年はどれぐらいなの?」
アンジェは荷物の中から木のコップをもう一つ出してテーブルに置く。
その中にワインを注いだ。
「二十七だが?」
その言葉にアンジェは小さく笑うと、席に着いたジルと乾杯をする。
「貴方が最初に私の城に来たのは何年前だったかしら?」
「さて……どれぐらいだったかな?」
とぼけるジル、それを見て楽しそうに微笑むアンジェ。
二人の間に決して不愉快でない、優しい沈黙が訪れる。
「私いつも思うけど、何で私の城に人が来るときはいつも大勢なのかしら?」
「私が最初に訪れた時は一人だったではないか」
「あら、たくさん引き連れていたじゃない」
「その恩恵を含める全ての補助魔法を指先一つで無効化されては数に数えられないだろう」
そこで一度会話が途切れると、ジルが再び話しかける。
「二回目に訪れた時は本当に偶然だった」
アンジェにもその事は解っていた。
それでも世界がまるで、自分を再び起そうとしているように感じられた。
アンジェは遠い目で窓の景色を眺め、深い回想に入る。
「あらお久しぶり、ジルさんだっけ?」
そこはかつてアンジェの魔法で焼滅した氷の城。
聖女のような服装に無気力な瞳。
「今度は色々と準備をさせて貰った、アンジェ・オリハルコン」
そう言うとジルはまるで戦士のようにアンジェの下へと切りかかる。
アンジェに対して魔術は意味をなさない。
「emeth」
ジルの目の前に現れる十二対のゴーレム。
ジルは減速する事無くゴーレムをその黄金の剣によってまるでバターでも切るかのように切っていく。しかし敵は十二体、剣だけでは対応しきれない。しかし、ジルがゴーレムの体に触れると、ゴーレムが砕ける。
「君が無効化する前に術式を組み立てれば発動した魔術は止められない」
アンジェの無効化は相手が組んだ術式を横から崩して魔術を成立させない事だった。協力魔法などが存在する事から、理論上は可能。協力しようとしていない魔術を強制的に奪い取る方法は解らないが、魔術に長けるジルには対策を立てる事が出来た。
この方法はアンジェ以外に何の効果もない上に、ジルにしか出来ない。
「射程ゼロ、威力中、の魔術だけで私に勝てると思うの?」
「いいや、まだ用意してある」
ジルはそう言うとアンジェの方へ円形の玉を投げる。
アンジェはその魔術を難なく無効化するが、直後その中から大量の術式があふれ出す。
この玉一個を作るのにいったいどれだけの時間が掛かっただろうか?
全てを無効化できなかったアンジェへ爆炎が襲い掛かる。
「私に無効化以外防ぐ方法が無いと思った?」
爆風が流れる中、その中からアンジェの目の前に氷の盾が見える。
「ミョルニル」
その言葉と共にアンジェの杖が赤く煌めき、それで氷の盾を叩く。
全長二メートルほどもある氷の盾が恐ろしい速度でジルへ襲い掛かる。
「アイアスの槍はヘクトール盾を貫いた」
アンジェの言葉と共に盾の形が槍へと変わった。
槍がジルへ襲い掛かる中、突然爆音が響く。
「よぉ初めまして、お嬢さんが北の魔女、アンジェ・オリハルコンか?」
突然城の屋根を壊して広前に入ってくる金髪の青年。
「俺はロキだ、よろしくな」
先ほどの衝撃で槍は見事にジルから標準をずらし、地面に刺さっていた。
空中をゆっくり降りてくるロキに対してアンジェは無言で指を回す。
「ん? あれ、おっと」
地面へ落下するロキ、しかし難なく両足で着地する。
その後自分の体を見回し、驚いたような声を上げた。
「へぇ……こりゃ口説くのも大変だ」
「アンジェ殿の魔術無効化は補助魔法にも有効なのだ、私も難儀している」
「援軍?」
「いや、関係ねぇ」
そう言うと、ロキはアンジェを指差す。
自身の補助魔法が無くなっているにも関わらず、その表情は自信に満ちていた。
「あんたの噂は聞いているぜ、お嬢さん、その氷を俺に溶かされて見ないか?」
アンジェの顔がわずかに強張る。この男は、自分が何を言っているか解っているのだろうか?
誰の前で、誰が、何を、誰と似た顔で、誰かが、決して言いそうに無い言葉を。
「消え去れぇ!」
アンジェは自身の背中に氷の羽を生やすと、青い光のようにロキへと襲い掛かる。
「ミョルニル」
青い閃光に赤い色が混じる。
「避けろ、ロキ殿!」
とっさに声を荒げるジル。
隣で、先ほどの爆音とは比べ物にならないほどの音が発生する。
避けても、衝撃で後方に吹っ飛ぶロキ。
それを追う青と赤の閃光。
「おりゃぁあ!」
地面に付く事無く吹き飛ばされていたロキは両足で地面に足を付くと。
アンジェの追撃を回り込むように回避し、強烈なパンチを繰り出す。
アンジェの生み出した風流とロキの生み出した風流が絡み合い二人を中心に竜巻のような現象が起きる。
「小ざかしぃ」
アンジェは自身の羽を振り回しロキを弾き飛ばすと同時に空高く舞い上がる。
ロキがあけた天井の穴から月が覗き、その中心にアンジェがいた。
「ゼウスの雷霆ぃ」
杖を大きく振りかぶるアンジェ。杖は黄色く瞬き、バチバチと音を立てる。
「混沌をすべる冥界の王よ、古の盟約に基づき敵を貫く剣と成せ!」
その様子をみて呪文を唱えだすジル。
本来なら、当然のように無効化されてしまう魔術だが今のアンジェにはロキしか見えていなかった。
「行け! 紺青の剣」
その剣はジルが普段出す大きさの何倍も大きかった。
ロキの後ろに立ったジルは剣をアンジェへ向かって放つ。
同時に雷と化したアンジェの杖も放たれた。
空中で拮抗する雷霆と剣。周辺には白と黒の光が撒き散らされる。
「うぉぉぉぉおおお!!」
響く、ロキの咆哮。
気が付けばアンジェの真上にロキの姿。
雷霆と正面からぶつかる剣に乗って来ていた。
もし飛ぶタイミングを図り違えれば命は助からない、それでも迷い無く。
「甘い!」
アンジェは即座に結界を張るが、ロキはかまわずその結界に拳を振り下ろす。
「聞けアンジェ! 俺は人生の途中で死んだりしない」
アンジェの結界に亀裂が走る。
「何処の土地にも縛られないで自由に動ける!」
結界の亀裂が広がる。それはロキの攻撃が原因だろうか、アンジェの動揺が原因だろうか。
誰に似た顔が、誰に、何を言う。
「俺に付いて来い! 違う景色を見せてやる」
いけない、これ以上この男に喋らせては。これ以上この男の顔を見ては。
アンジェは顔をそらして言葉をつむぐ。結果として結界は十秒も持った。
攻撃に時間が掛かる魔術師だが、アンジェには十秒もあれば十分だ。
「グレイプニル……」
吐き出すように、言葉を紡ぐ。
これで、勝ってしまう。まるでそんな表情だった。
何処かで、落雷が落ちる音が聞こえる。
ジルが席から立ち上がる音でアンジェは現実へ引き戻される。
気が付けば目から暖かい物が流れていた。思えば、あの人が居なくなってから私は涙を流しただろうか? ずっと泣いた気もするし、一度も泣いていない気もする。長い時間で直ったと思った傷は、見えていなかっただけでいまだに血を滴らせていた。
「アンジェ殿の傷は今空気に触れ、治癒に向かった」
軽く鼻をすすり、アンジェは何でも無い受け答えをする。
「私って、治癒魔術が苦手なの」
「その傷は魔術では治るまいよ」
ジルはテーブルで泣く金髪の少女の頭をなでるとドアの方へ歩く。魔物と人間の間に生まれた境界種が魔物に成ってしまうのは大体十四歳から十六歳、アンジェが魔物に成らなかった初めての境界種なら今まで見せていた二十歳前後の姿では計算が合わない。
「ジルさんは何であれからも私の城に何度も来てくれたの?」
「私も君の噂を聞いて我慢できなくなった一人だ」
あの時、私が顔をそらさなかったら。今私の隣に居るのはミルド君達だっただろうか?
ドアの閉じる音が聞こえる。
「乾燥した場所にある氷が溶けると、雪になるのよね……」
今まで何でもなかった景色が、今は全く違う景色に見えた。
アンジェ・フィーナ・ジル・ロキ
文:黒い帽子