Novel:25 『薄曇りの世界の中で 6』

 暴走魔法によりシュゼルドが異空間に飲まれてから十回目の真月が巡った。呪王がそれだけ長く不在であるのは初めてのことだった。
「……シュゼルドが一人生き残るために異界に逃げたと言う者もありますね。それは私も聞いています」
「じじ様はそんなことはしません」
 強い口調で言うと、老人は優しく笑う。
 盲目の老人の名前はリュウヒという。号を呼べば‘時王’。時と時空を操る力を持ち、シュゼルドの古い友人でもあった。シュゼルドが異空間に飲まれた時、術を使ったのは彼だった。
「そうですね。私もそう思います。そもそもあの方が責務を放棄したのであれば、既に貴方が呪王に選定されていてもおかしくない頃合い。私はあの方が今も呪王として正しいことをしていると信じています」
 とん、と彼は短い煙管の中の灰を落とす。この人が人前で吸うのは珍しいと思った。
「しかし、困りましたね。異界を捕らえはしましたが、人を送るとなると難儀します。かの界も広いようです。あの方の気配を拾うのは至難の業でしょう」
「なら……ぼくが行きます」
「いけません」
 はっきりと言われ、イザヤは彼を睨む。
「何故ですか? ぼくなら‘泡沫’の気配を探せます。……それに、この世界でぼく程役に立っていない人はいますか?」
 自嘲気味に笑うと少し困ったようにリュウヒが肩を竦める。
「そんなことを言うものじゃありませんよ」
「……事実です」
 次の呪王、それになると言われて来た。親の顔も知らない。人に指摘されるまでそれが異常な事だと気付かない生活を送っていた。それでもその以上もイザヤにとって些細なことだった。
 迷惑を掛けるばかりで自分は何の役にも立っていない。
 そのことの方が重大だった。
「貴方は次の時代の王になる人です。新しい時代が来て、誰も経験したことのない不安定な時を安定させるのが貴方の仕事です。その貴方が、異界で命を落とすことがあればこの世界にとって大事となります」
「でも、じじ様の命には替えられない」
 いなくなることがどんなに悪いことか分かっているつもりだ。世界はシュゼルドがいなくてもイザヤがいれば、予定通りの結末に向けて動くのだ。だから‘最後の呪王’であるイザヤの方が世界からみれば重要だというのがわかる。
 それでも。
「ぼくは新しい時代の王になりたかった訳じゃない」
「……レイジャさん」
「じじ様の……あの人の負担を軽くできればそれで良いんだ」
 優しい人。
 他の人間が次の呪王になるのは誉れだと祝福する中、只一人、負わされた宿命の為に泣いてくれた人。只一人、自分を幼い子供として扱い、慈しみ愛してくれた人だ。
 少しでも力になれればそれで良かった。次の呪王になることから逃げなかったのも、あの人の力になれればと思っていたのだ。
「……あの人がここ数年で幾度倒れたか知っていますか? 無理をし、普通では死なないはずの身体が限界の悲鳴を上げるまで救う方法を探して、挙げ句、親友だった人に殺されかけて……! ……異界に行った今は、一人で逃げた等と悪し様に言われる。それでも、あの人は戻ってきた時に全てを受け入れて、いい訳もせずにただ笑うんだ。自分を非難する人を責めることもせず! ……そんなの……ぼくは耐えられない」
 涙がこぼれる。
 急いでイザヤは拭った。
 それでも涙はこぼれ落ちた。
「あの人がどれだけの事をしてきたのか知らない人が、あの人を悪く言う。どれだけの犠牲を払ったか、どれだけ心を痛めたか。微塵も知らない人があの人を責める。………何で……あの人ばかりが……苦労しなければいけないんですか?」


「……どうして、優しい人ばかりが苦しまなければいけないんですか?」



   ※  ※  ※  ※

 目を開いて涙がこぼれるのが分かった。
 涙を拭おうとして縛られているのに気付く。
 少し朦朧とする意識の中、見えてきたもので状況を整理する。魔薬か何かで眠らされてしまっていたのだろう。イザヤは暗い部屋の中に転がされている。明かりと言えるのは壊れた壁の隙間から差し込むものだけだった。
 じっと目を凝らすと、そこに人影が見える。何人か見覚えがあった。街道で追い払った野盗の中にいたような覚えがある。
 ぼそぼそと話し声が聞こえた。
「ガキが持つにしちゃあ大金だな。身なりも悪くなかった。やっぱりどこかの貴族か何かじゃねぇか?」
「……なら、身内に連絡して、金を用意させて」
「いや、そりゃ危ないだろ。見事な銀髪だ。顔も不味くない。好事家に売った方が……」
「待てよ、この大金に加えてこんな高価な宝石を子供に平気で持たせている親だぜ? 案外すんなりと金を出すかもしれない」
 話を聞いて、イザヤは笑う。
 彼らはイザヤが一人になるのを待っていたのだ。そして、そう言う目的で自分は攫われたのかと思う。
 この世界で自分はなんの価値もないというのに。
(また……)
 また自分はあの人に迷惑を掛けてしまうのだろうか。イザヤが名前を出して、万が一にも連絡が付いたら、あの人は来てしまうだろう。
「……‘風よ’」
 ぼそり、とイザヤが呟く。
 その声に応じるようにイザヤの後を風が通りすぎる。正確にイザヤを縛る縄だけを切り裂く。
 半身を起こすと、壁の隙間から勘の良い男が振り返るのが見えた。
「おいで‘万華鏡’」
 呼ぶとイザヤの杖が壁を破り、イザヤの手元に戻ってくる。くるりと回し、イザヤはそれを構えた。
「なっ……!」
 驚いて男達が腰を浮かせる。
「何でぼくはあの人の負担にばかりなるのかな」
 祖父が戻れないなら戻る道を開くためにイザヤはこの世界にやってきた。少しでも力になるために。少しでも負担を軽くするために。
 それなのに、このままではまたあの人の負担になってしまう。
「……あの人の邪魔になるなら、ぼくがここで」
 何をごちゃごちゃ言っている、と男の一人がイザヤを捕まえる為に突進してきた。魔法の力と、身体の力で跳躍したイザヤは男の頭の上を軽々と飛び越える。
「貴様!」
 相手は‘商品’になるイザヤを傷つけようとはしない。子供だからといって甘く見ている。だから強化したイザヤの能力で避けるのはたやすかった。
 イザヤは避けながら頭の中で呪文を組み上げていく。杖が呪文に応じて形を変える。
「おのれ、ちょこまかと!」
「避けた方が良いですよ」
 自分でも信じられない位冷たい声だった。酷い言葉だと思う。避けられるはずがないのに。
 イザヤは組上がった魔法を発動させる。
「‘神聖なる闇 つかみ取れ 余すことなく’」
 ぱりん、と何かが割れるような小さな音が響く。
 次の瞬間イザヤを中心にして闇が力が広がる。周りにいた人々を壁際に押しやり、闇の力が彼らを縛り上げるように拘束する。
「‘万華鏡’」
 囁くように呼ぶと再び杖の形が変化する。
 それは大刀の形。
 人を害する為の武具の形。
「終わりにするよ」
 呟いてイザヤは闇に捕まれ動けずにいる一人の男の首筋をめがけて武器を振った。
「ひっ」
 恐怖で男が悲鳴を上げる。
「!」
 はっとしてイザヤは手を止める。男の首にぶつかる直前で刃が止まっている。
 武器を持つ手が震えている。
 今、自分は一体何をしようとしたのだろうか。
 イザヤは一歩退く。
 魔法の戒めを解いた。男達には外傷がない。だが、確実に影響を受けているのだろう。苦しそうに呻き、咳き込む者さえあった。
「………」
 怖かった。
 身体が震えている。
 自分が何をしようとしたのか、あと一瞬我に返るのが遅ければ、自分がどんなことをしていたのかに気付き、イザヤはその場所を飛び出した。
 人を傷つけたくないといいながら自分は何をしているのだろうか。
 何の覚悟も出来ていない。嫌だ、嫌だばかりで何も決めていない。全てが中途半端でこんな状態のままで上手く行くはずがない。
(馬鹿だ……本当にぼくは馬鹿だ)
 嫌気が差す。
 愚かすぎて笑い飛ばす事すら出来ない。
 森の中を駆け抜けて、不意に、足の力が抜ける。蹲るようにその場に座り込み、目元を覆った。
 それから暫く経ってからのことだった。不意に誰かが近づいてきた気配を感じたが、動く気にすらなれなかった。
「……イザ君、だよね?」
 呼ばれてイザヤは初めて頭を動かした。
 黒髪の少女が自分を覗き込んでいた。





終わり無き冒険へ!