Novel:25 『薄曇りの世界の中で 5』

 インテグラという街は大きな街だった。
 この世界の一番大きな大陸は世界と同じ名前で呼ばれる。その北東部に位置するヒューフロストは一年の半分を雪に覆われているという。インテグラはその中にあって、比較的安定した気候を保っている都市だという。
 まるで祭りがあるかと疑うほど人が多かった。こんな風に人が多いのは特別なことではないそうだ。リンドホルムという商家が保有するギルドの本部と大陸一の図書館が存在するからだという。様々な教育を行う学校もあり、それを目当てに人が自然にあつまるそうだ。
「ギルドは冒険者たちを支援する。金に困って何か仕事見つけたかったらそこだな。逆にイザヤが俺を雇ったみてぇに、誰かに仕事を依頼したいときもそこ」
「シオンさんは依頼する時は出来るだけギルドを通せって言ってましたけど」
「そりゃギルドの方が個人の能力を把握して‘適切’に仕事を分配するからだろ」
《ギルドは性格や人となりまでは保証はしてくれぬがな》
「それも依頼をする時に条件として人となりなんか指定すれば、まぁ、ある程度は絞り込めるだろうな。あの街のギルドで両目の赤いちょっと風貌の変わった奴がいただろ」
 イザヤは思い出して頷く。
 確かに見たような気がする。
 ギルドには様々な人種が集まっていたが、その人は特に他の人と少し雰囲気が違う感じの人だった。
「あんな容姿の奴が各ギルドにいる。大抵のことはそいつに聞けば分かる」
「あんな容姿? 兄弟とか、一族とかですか?」
「さぁ、知らね。どこ行っても同じような風貌の奴がいるってだけで、気にしても仕方ねぇし。そもそも、ターナカ一族みてぇな例もあるからなぁ……」
「ターナカ一族?」
「おもしれぇぜ? 判を押したみたいに同じ顔した一族だよ」
「?」
 とにかく良く似た容姿の一族がいるという事だろうか。獣王の一族のように獣姿になってしまえば慣れた人でないと見分けるのが難しいのと同じようなことだろうか。
(本当に面白いな……この世界)
 街を見渡す限りでも沢山の人種がいる。猫や狼が混じったような風貌の人間もいれば、青白い肌をした人種もある。狼を連れて歩いている女の子さえいた。イザヤにしてみれば珍しい人種であっても、こちらの人たちは当たり前の顔をしてすれ違っている。時折さすがに気にして振り返る人も居たが、殆どの人間がいるのが当然という顔をしていた。
 不意に。
「イザヤ?」
 気配を感じた。
「……おい、はぐれるぞ」
 人混みの中、懐かしい気配を感じる。
 振り返る。
 見渡す。
 気配はするというのに姿を探せない。
「イザヤ!」
 人混みに紛れながら紅蓮が叫ぶ。
 少し歩みを止めただけで紅蓮とイザヤの間に人の波の隔たりが出来る。だが、それを気にしている余裕は無かった。
 イザヤは流れに逆らって走り出す。
(じじ様の気配? ……でも、これは)
 あまりにも薄い。
 確かにあの人の気配がするのだ。
 あの人の持つ金色の剣「泡沫」と同じ気配。それに守られている人の気配。なのに何故か微弱で、別の人の気配も混じっている。
「じじ様!」
 叫ぶ。
 流れに逆らって走るイザヤを、通りすがった人が不審そうに振り返った。その波を押しのけて、人混みの中を気配に向かって走る。
「じじ様! ぼくです! レイジャが参りました!」
 叫んでも声は帰ってこない。
「じじ様!」
 遠くに揺れる亜麻色の髪が見える。
 その影は小さく祖父のようには見えなかった。
「……違う」
 イザヤは立ち止まる。
 どんと人の肩にぶつかり、立ち止まった事を咎めるように誰かが大声で怒鳴った。それすら、イザヤの耳には届かなかった。
 見つけたはずの祖父の気配は違う子供が纏っている。
 泡沫の気配が消える。人混みに紛れてどんどんと弱くなる。
 人の流れがイザヤの身体を勝手に歩かせ始めた。
(何で……)
 何で見知らぬ子供が‘泡沫’の気配を纏っているのだろう。
 あの子供は誰なのだろうか。
(まさか)
 そんなはずはない。
 でも、ならば何故祖父は十の月が巡る間、戻らなかったのだろう。戻ろうと思って戻れない訳ではないのだ。
 ならば、戻ろうという意思がなかったのではないのだろうか。
 子供の姿が脳裏をよぎる。
 十くらいだろうか。自分とさして変わらない気がする。
 もしも、その子の為に祖父が戻れないのだとしたら。
 あの子が戻らない理由だとしたら。
「……」
 イザヤは唇を強く噛んだ。
 泣くのは違う。泣いてしまうのは間違っているけれど。
 イザヤは目元を強く擦る。
 足下がふらつき、ぶつかった人の波に更に押しやられる。
 祖父は優しい人だ。そして公平でもある。その祖父があの子を理由に帰らないとしたら、事情があるはずだと分かっている。
(でも……)
 一人の子供の為に捨ててしまえるほど、あの人にとって世界は軽いはずがないのに。
 それなのに、何故。
 思って不意にはっとした。
(……ここは)
 紅蓮の姿が見えない。見知らぬ風景が広がっている。インテグラであるのは間違いがない。けれど、この街に来るのも初めてであれば、この世界ですら初めてなのだ。
 どうしよう、と思って、不意に笑いがこみ上げた。
「……馬鹿だな、ぼく」
 笑って蹲ると、何人かが振り返って見たが、人波に流されてそのままどこかにいってしまう。
 馬鹿だと思う。
 何も知らない世界。
 見知らぬ場所。
 こんな場所で立っていることもままならない自分が呼び止める声も無視して勝手に行動して一人になった。見つけてくれるはずがない。
 自分勝手に動いて迷子になった自分を、例え親切な人たちでも見つけてくれるはずがない。
「何で……こうなんだろう」
 何で自分はこうなのだろう。
 いつも上手くいかない。
 祖父の代わりに世界を支えることが出来なければ、こうしてただ立って歩くことすら出来ない。
 あの人がいなければ何も出来ない。
 少しでも力になりたいと思っているはずなのに。
「大丈夫か?」
 呼びかけられてイザヤは顔を上げる。
「グレンさん?」
 探しに来てくれたのだろうか。
 そう思って顔を上げたが、それは見知らぬ男だった。
「大丈夫か? 調子でも悪いのか?」
「あ……いえ、大丈夫です」
 イザヤは言いながら立ち上がる。
 男は少し神妙そうな顔で言う。
「大通りの方の奴、お前の連れだろ。探していたぜ?」
「あ……すみません」
「お前、この街不慣れだろう。送っていってやろうか?」
「……すみません」
 恥じ入ってイザヤは頷く。
 既に自分がどちらから来たのかも分からなくなっている。男の好意に甘えて紅蓮と合流するのが得策だろう。
 だが。
「?」
 不意に何か変な気配に気付く。
 歩きながらまるでイザヤを囲んでいくような気配。男を見上げる。男は少しにやりと笑った。
「っ!」
 無意識にイザヤは走り始めた。
 瞬間後から伸ばされた手がイザヤの口元にかかる。
 嗅いだことのない匂い。
 本能が危険を知らせる。


 目の前が、白濁した。




終わり無き冒険へ!