Novel:25 『薄曇りの世界の中で 4』

 イザヤの使う呪文に、そもそも詠唱は必要がない。 頭の中で魔法を組み上げ、発動のきっかけとして言葉を放つ。
「‘開け〈速〉の紋’」
 高らかに叫んだ言葉に反応し、イザヤの放った力が紅蓮の身体に更なる力を与える。素早さを増した彼は、突然の能力の変化に戸惑うこともせずに持っていた剣で男達を強かに殴った。
(……凄い)
 インテグラへの道は整備されていてそれほど旅路に苦労することがない。徒歩で向かってもそれほど時間が掛からないと聞いて、イザヤは歩いて進むことにしたのだ。万一、祖父とすれ違った時にすぐに追い掛けられるようにという理由もあったが、この世界の仕組みを少し見ておきたい気がしたのだ。
 通り過ぎる辻馬車を見送って暫くした所で、野盗に出くわした。この辺りは人通りが多い分、治安がいいらしいが、人通りが多い為に時折それを狙った野盗に出くわすこともあるらしい。
 紅蓮はイザヤを守りながら手早く‘対処’をした。
 彼の剣には何故か片方しか刃が付いていない。攻撃する方が丁度刃が付いていない方であるため、彼の攻撃は斬り付けると言うよりも殴るという行為に近かった。だが、刃の方を使えば確実に人を殺められる太刀筋だった。
 興奮しているのか、イザヤは粟立った。
 戦闘が始まった時点で彼の肩から飛び上がった‘霞丸’と呼ばれた鷹も、彼に対し、上空から指示を与えている。見事な連携で、そしてまだ余裕があるようにさえ見えた。
《紅蓮》
 上空から声が降る。
 丁度彼の後から隙を狙って男が襲いかかった時だった。
 振り向きもせずに紅蓮は剣を受け止める。
「遅せぇ……よっ!」
「!」
 軽く返した力で、男の身体は吹き飛ばされた。
 間髪入れずに襲いかかった男達の攻撃を避けながら、紅蓮は歌でも歌い出しそうなくらい余裕のある笑みを浮かべていた。
 先刻後から襲いかかった男が、再び体勢を整えて襲いかかろうとしたのを見た瞬間、イザヤは呪文を切り替える。
「‘守れ、漆黒の盾’!」
「お……」
 後からの攻撃に気付き紅蓮が振り向きかけた瞬間、紅蓮と男の間に黒い盾が現れる。攻撃が阻まれ、男は再び弾き飛ばされた。
 ほっとしたのも束の間、突然紅蓮がイザヤに向かって剣を振る。
「!」
 驚いて目を見開くのと、背後の気配を感じたのは同時だった。イザヤの頭の上ギリギリを通り過ぎた剣はイザヤを捕まえようと背後から襲いかかっていた男の武器を弾き飛ばしていた。
「次は首を狙うぜ?」
 脅しをかけるように紅蓮は笑う。
 相手は子供と青年。
 数で勝っていると高をくくっていた野盗たちは、青年の圧倒するような強さを前に戦意を喪失しかけていた。脅し文句がなけなしの気力を奪ったのだろう。
 覚えていることすら無意味な三流の捨てぜりふを吐いてその場を後にした。
 それを見送り、剣を納めた紅蓮がイザヤに笑いかける。
「お疲れさん。補助、ありがとな」
「あ、いえ、僕が補助しなくても、平気だったみたいだし、逆に迷惑かけてしまって……」
「迷惑なんかじゃねぇって。助かったよ」
 そう言って笑っていたが、紅蓮がイザヤの助けを必要としていたようには思えない。
 イザヤは少しだけ唇を噛んだ。
「……強いんですね、グレンさんって」
 先刻の盗賊の強さから見て、この世界の人間の全てが強いという訳ではないだろう。紅蓮が特別強いのだ。
「ん……まぁ、それなりにはやれるけど、親父ほどではねぇな」
「グレンさんよりも強いんですか?」
「ああ、俺の目標だ」
 ふん、と紅蓮の肩に止まった霞丸が皮肉混じりに言う。
《目標にしている割に真面目に修行に取り組んでいないがな》
 うっ、と紅蓮は言葉に詰まる。
「それを言うなって……。に、しても、お前も結構やるじゃねぇか。呪文の詠唱なしで魔法を発動させるなんて、随分訓練したんだろ?」
 強い相手に褒められ、イザヤは顔を赤くさせた。
「えっと……魔法って言うほどのものじゃないんですけど、少しでも人の力になりたくて、繰り返し勉強していました。ぼく、攻撃魔法苦手なんで」
「何でだ?」
《素養が足りぬか? ……そうは見えんが》
 最後の霞丸の言葉はイザヤには聞こえなかった。
 イザヤは小さく笑って首を振る。
「魔法で人を傷つけたくないんです」
「ん?」
「じじ様達が研究していたのは‘人を救うため’の魔法なんです。同じ力で、人を傷つけたく無いんです。相手が敵であってもです。その……甘いってのは分かっているんですけど」
 きれい事だけで救えるほど、星の運命は甘いものではない。
 イザヤのいた世界はもうすぐ滅んで跡形もなく消え去ってしまう。それが星の運命であり、変えられないことだった。それでも祖父が可能性を見つけたのだ。僅かな人間だけでも救える方法。その優しい力と同じ力を使って、人を傷つける道具にしたくないのだ。
 実際、この先イザヤは両手両足を使っても数え切れないほどの人数を見捨てる選択をするだろう。全ての人間を救える方法は祖父の長い研究を持ってしても見つからなかった。ただ、それだけに自分の使う力は一人でも多くを生かすための力でありたいのだ。
 祖父のような知識や力があるならまだしも、力がないイザヤが言えば甘いと笑い飛ばされてしまうことだけれど。
「いいんじゃねぇか? それで」
「え?」
「人を傷つけたくない、そういう気持ちは大事だと思うぜ? 何かを守り通したり、やり通す為には確かに力ってぇもんも必要だけどな。……それでも無駄に人を傷つけるの嫌だ、ってのは人として真っ当な証拠。俺はそう言う考え、好きだぜ?」
 にっと笑い、彼は犬猫にするようにイザヤの髪をかき混ぜる。
 撫でる手を止め、紅蓮は不意に真剣な眼差しをイザヤに向ける。
「でもな、本気で守りてぇもの出来た時、後悔するような修行の仕方はすんなよ。人を傷つけるも、付けないも、用はてめぇ自身の力がどんくらいか知ってればいいだけのことだ。やるべき事怠って、失って、後悔するような事はしたら駄目だぞ」
《ふん、そのセリフそっくりそのままお前に言いたいな。修行もろくにしない癖に偉そうに何を言っている》
「おまっ……何話を台無しにしてんだよ」
 霞丸はくつくつと笑う。
《だが概ね紅蓮と同意見だな。力で思い悩むなら、悩めるほどの実力が付いてからにしろ。起きてもない事に一人前の顔して悩むな》
「は、はい!」
 イザヤは背筋を伸ばして頷いた。
 鷹の姿をした‘彼’は少し目を細くする。まるで笑ったかのようだった。
 少し晴れやかな気持ちになって、イザヤはくしゃりと笑った。
「ありがとうございます。グレンさんも、カスミマルさんも、いい人ですね」
 言うと、紅蓮は一瞬虚を突かれたような顔をし、霞丸を見る。
 そして、盛大に吹き出した。
 イザヤは慌てる。
「え? え? ぼく、何か変なこと言いましたか?」
「い〜や、別に変なことじゃねぇって。な、霞丸」
《……知るか》
 ばさりと、鷹が飛び立つ。
 その様子に更に笑って、紅蓮はイザヤの背を叩いて歩くように促した。
「ま、行こうぜ。インテグラまであと少しだ」




02
紅蓮とイザヤ(蒼霧 夜雨)



終わり無き冒険へ!