Novel:25 『薄曇りの世界の中で 2』

 遠くに船を見ながら海岸線を歩いた。
 船というものの存在は知っている。海を走る船を見たことはあったが、乗ったことは無かった。イザヤのいた世界で乗ったことのある船と言えば空を飛ぶ船だ。町のように広く大きい船で、太陽が近いだけで地上にいるのとあまり変わらないのだ。海を進む船は時に大きく揺れるという。興味はあったが、今はそうしている訳にはいかない。
 一刻も早く祖父を捜し出さなければならないのだ。
 そうしなければ世界の均衡が崩れてしまう。
 ゆっくり目を閉じ、祖父の気配を探す。
 この世界に「いる」ことは分かる。
 ただ、どこにいるのか曖昧ではっきりとしない。時と星の流れが違いすぎて読むことが異常に難しいのだ。
(……なんだろう、この世界。レディさんは神界じゃないって言っていたけど)
 人や沢山の種の住む場所だという。
 星の流れを読むことが出来ないのは自分が未熟だからかもしれないが、あるいは‘きまっていない’のではないかと思う。
 イザヤの世界では星が始まりから終わりまでを‘詠んで’いる。少しだけ誰かが星の軌道を変えても、いずれ同じ場所に引き戻される。滅びると詠まれ滅びなかった国も、数年の誤差で滅んでしまう。全ては星の軌道通りの結末を歩む。
 その星達は世界が滅びることを「初め」から予測していた。あと数十年、或いは数百年の間。世界にとってはほんの些細な誤差の間に世界が滅んでしまう。
 イザヤが生まれるよりずっと前の時代に読んだ時は滅びの形が顕著であったが、今のあの世界の星は形が曖昧で力の確かな人ほど読むのが難しい。祖父が‘滅びない可能性’を見つけたのがその原因だろう。幾度と無く滅びと再生を繰り返した世界にほんの僅か生まれた可能性。それは誰も経験したことがない故に、誰にも読むことは出来ない。
 その星の流れと、このウィンクルムの星の流れの形は似ている。
 まだ決まっていない。
 だから誰にも分からない。
 絆の大地という名の通り、人との繋がりが作り上げていく世界なのだろう。だからまだ結末は何一つ決まっていない。近い未来ならイザヤにも読むことが出来るだろう。だが、遠い未来は分からないのだ。
 不意に聞こえた音色に彼は視線を向ける。
「?」
 どこからか楽器を奏でる音が聞こえてくる。
 楽器の音は飛びきり上手いという訳ではなかったが、何か惹かれるものを感じ彼は立ち止まった。
 そして、耳を澄ませて聞いた歌詞にはっとする。


   暁の 星 見降ろして
   掬う 足音響いて
   雨粒は 空へと還り
   いつか 生まれる ひと 想う


「この歌……」
 曲調が少し変わっているためにすぐには気付かなかったが、その歌をイザヤは良く覚えている。
 歌の聞こえてくる方向に向かって彼は走り出した。
 海岸から少し離れた森へと続く街道の岩の上に、一人の男が腰を降ろして何かを引いている。イザヤが近づいてくるのを感じたのか男は歌と演奏をやめた。
 十代後半くらいの若い男だった。黒い髪を後で縛り、手には四弦の楽器が握られている。瞳は赤く、痩身の男だった。男は、少し不機嫌そうにイザヤを睨んだ。
「……なんだ?」
「あの、今の歌……」
 男は微かに笑う。
「オレの歌が聴きたいのか?」
「え?」
「なら、それ相応の見返りはしてもらおうか」
「え? あ……」
 言われてイザヤは慌てる。
 イザヤのいた世界でも、歌や音楽を生業としている者の歌はタダではない。たまたま聞いてしまったとはいえ、自分のために歌って貰うとすればお金は必要なのだろう。イザヤはベルトを回し、小さな袋からお金を取り出す。
「あの、どのくらいで聞かせて貰えるんですか? ぼく、その、相場が分からなくて」
「……なんだそれは。どこの国の金だ?」
「あっ!」
 当然のように出したお金は‘翔’の共通通貨だ。あれば役に立つだろうと持ってきたが、世界が違えば通貨も違うことに今頃になって気付く。
 赤くなって、イザヤは慌てて別のものを取り出す。
「えっと、じゃあ、これで何とかなりますか?」
 イザヤの差し出す手のひらの中を覗き込んで、黒髪の男は怪訝そうにした。
「……そこまでして歌を聴きたいのか? その宝石一個で暫く豪遊できるぞ」
「え? そうなんですか?」
「お前、どこの貴族だ?」
 それは質問ではなく皮肉混じりの揶揄だと気づき、イザヤはうつむいた。
 予想はしたが、ここは自分のいた場所と違いすぎる。
 ちっ、と鋭い舌打ちが聞こえた。
「……あの歌」
「え?」
「あの歌がどうした」
「ええっと、さっきの歌……ぼくの故郷の歌に良く似てたから」
「故郷?」
「‘翔’という所です」
「……ショウ、聞いたことがないな」
「そう……ですよね」
「だが、今の歌は‘不死身の男’が歌っていた歌だ」
「不死身の……男?」
「前にオレの歌を聴きに来た男が、引き替えに置いていった古い歌だ。……そういえばあの男も随分金銭感覚が狂っていたな」
「そ、その人! ぼくと同じ深紅の瞳の色をした人じゃありませんか?」
「あ?」
「シュゼルド・シウといいませんか?」
 男は眉間に皺を寄せた。
「それは……シウ家の創始者の名前だろう」
「そう……ししゃ?」
「セレネ・ソルにある、有名な魔法使いの家だ。シウ一門とも言われている」
 それは、どういうことなのだろうか。
 家、と言うからには祖父一人だけではないはずだ。
 それだけ弟子を作るほどに祖父はこの世界に長居をしているのだろうか。
 界が違えば時の流れも違う。まして‘祖父’の気配だけを頼りに引き上げた世界なのだ。イザヤの世界の一日が、こちらでの何十年にもなるかもしれない。けれど、だとしたら祖父は何故戻らないのだろうか。彼ほどの力があれば人一人通れる道くらい簡単にこじ開けられるというのに。
「あの、その、セレネ・ソルは……」
「どこにあるかとかそんな面倒な事オレに聞くな。向こうに町がある。そこで聞け。オレは情報屋じゃない」
「あ……」
 言われて、見ず知らずの人に勝手にあれこれ聞きすぎたことに気付く。話をしてくれるのをいいことに相手の迷惑も考えなかった自分が情けない。
 イザヤは頭を下げる。
「……すみません、どうも、ありがとうございました」
 泣きそうだった。
 ちゃんと考えているつもりなのに、いつもどこか考えが足りないのだ。
 くるりと踵を返し、教えられた町の方に向かって歩き始める。
 はぁ、と溜息が聞こえた。
「……くそ、オレは本当はこんな事しねぇんだぞ」
「え?」
「付いて来い。換金の仕方くらい教えてやる」
 男はイザヤをちらりとも見ようとせずにずんずんと先に進んでいく。
 苛立って怒っているように見えたが、右も左も分からないイザヤに物事を教えてくれようとしているようだった。
 イザヤはぱっと顔を明るくする。
「はい! あの、ぼくはイザヤっていいます。お兄さんは何て名前なんですか?」
 男はちらりとイザヤを見て、短く答えた。
「……シオン」




終わり無き冒険へ!