Novel:20 『アドニアお見合いアルフレドサイド:アヴェスタ』1/7

「暑い……」
 アルフレドは祖母の扇で自分をあおいだが、熱風が送られてくるだけである。
「不甲斐ない。相手の方にはそのような姿を見せるなよ」
「はい、済みません」
 祖父に注意されたが、こればかりは仕方がないと思う。
 アルフレドは大陸の北東に位置するインテグラで生まれ育ち、今までほとんど出たことがないのだ。
インテグラは一年の半分以上が雪で覆われるヒューフロスト領内の中で最も南に位置する。冬の時期は降水量が少ないので積雪も少ないが北方ゆえに気温は低い。
 今向かっているアドニア王国は大陸の南西。ほぼ正反対に位置し、一年を通して比較的暖かいと本には書かれていた。
(どこと比べて暖かいのか……)
 港町のリンドで着ていた上着はすでに椅子に掛けてある。シャツのボタンを半分も外しているのに体温が逃げない。
「君はもう少し環境に適応する術を学んだほうがいいね」
 笑いながら言ったのは、この状況に引きこんだ張本人である。
 シュゼルド・シウ。大陸で有名な魔術師である。外見は二十代後半だが、アルフレドの祖父母の師匠であった人物である。そして、現在はアルフレドの師。
「ジル先生は暑くないのですか?」
「旅慣れているからね。アドニアには幾度と足を運んでいるし」
「おばあ様は……」
 祖母の方を見ると、お茶を飲んでいた。しかも、温かいものだ。
「年をとると感覚が鈍るものだ」
 代わりに祖父が答える。それを聞いて祖母は頬を膨らます。
「おじい様も平気なのですか?」
「僕はアドニア出身だからね」
「今ではアルナと言っても通じるよ」
 ジルはくすくすと笑った。
 アルナはアドニアと同盟を組んでいる国である。医療先進国の一つとして有名になったが、祖父の時代ではあまり知られていない国だったのだろう。
「もうすぐ王都に着く時間だ。アルフレド、上着はいいからベストだけでも着なさい」
 祖父は懐中時計を取り出して見た。孫三人で結婚記念日の祝いとしてプレゼントしたものである。祖母は同じチェーンとモチーフのペンダントをしている。
「はい。確か運河から直接この船で行けるのですよね?」
「大がかりな転移装置が仕掛けられているのよ。わたしも整備に駆り出されたわ」
「ソフィーは転移魔法を使えたからね。トムは観光だったかね?」
「魔法が使えないのにシウ一門だからと使われましたよ」
 皮肉で返されたのにジルはクスクスと笑った。
 アルフレドは身支度を整えると、祖母に扇を返す。そして、本を取り出した。
「ウンディーネ」
 本から水色の肌と髪の女性が現れる。水の精霊は水かきのついた手から薄いヴェールを生み出すとアルフレドに被せた。
「暑さが凌げますよ。どうですか?」
「私は結構」
「僕も要らない」
「折角だけど。この暑さを感じるのも旅の楽しみよ」
(元気だなぁ……)
 自分が一番若いはずなのにこれほど弱るっていることを恥じたが、相手に無様な姿は見せられない。
 今日は見合いで来ているのだ。相手は以前シウ家で出合った女性。しかも、王族。
シーリィン・エア・アドニア。アドニア王家の王位継承者である。
「王族でもシウ家でも売れるものなら恩でも売るのが商人というものだ」
 祖父はそう言って師匠が持ってきたお見合い話を承認し、同行した。
 船室から出ると、熱く乾いた風が流れてきた。そして、空が近く蒼かった。王都アルトゥーラは高地にある、というのは歴史書で読んでいたのだが。
「この土地は太陽信仰だから、太陽に近い場所に王都を置いたのだ」
「元々は鉱山を発掘する街から発展したと聞いたのですが」
「ここらの人間の肌が黒いのはかつて太陽が暴走したからと言われている。大地も人の肌も焼けてしまったのだと。そして、その熱で溶かされた金があふれ出し黄金郷と呼ばれた」
 祖父が言うのは王都の下には金でできた泉があるという昔話が存在するらしい。
 アドニア地方には太陽に関する神話が多い。
 祖父の話に出た暴走した太陽を鎮めたのがどこぞの国の王だとか、太陽が隠れた時(日食のことだと思われる)に太陽の如き光を放った者が国を統べたなど王と太陽を同格にするものだ。
「太陽はこの土地に渇きしか与えない。大地にも人の心にも。ここらの王が強欲で戦火が絶えないのはそのせいだ」
 祖父の言葉に「手厳しい」と師は言った。
 確かに、アドニアの人間は好戦的というイメージがある。
 気象の違いはあれ、アドニアとヒューフロストは似たような環境にある。
農作物の制限、地下資源を狙う周辺国との小競り合い。
 ヒューフロストがそれを退けているのは高い軍事力と共に他国には厳しい気候に助けられているからだ。
 アドニアも高い軍事力を誇っているが、この環境は人に活力を与えて過ぎてしまう。
 渇きは飢えとなって、貧欲に吸収しようとする。それがこの土地の人間の根本なのだろう。
(雪の女神の祝福を受ける土地と太陽が近づき過ぎた土地か……)
 それでも、この国の王は太陽により近づこうとする。
故にこの地に立っている者が何者でも、太陽は容赦なく照りつける。この土地も厳しいとアルフレドは思った。
 船を下りると、師はある人物に真っ直ぐ向かって行った。その人物は人より頭一つ高いので大層目立つ。
「ようこそ、アルトゥーラへ」
 黒い肌に金色の目と白い歯が映える。アルフレドの下の兄も背が高いが、この人物は背も幅もある。
「ジズ殿、こちらがアルフレド=リンドホルムです」
「ああ、貴殿が北からの侵略者ですな」
「いえ……そのようなつもりは毛頭ないのですが」
 他者にはそう思われても仕方ないのだろう。自分はこの国の王女と見合いをするのだ。
彼女の本音を聞くというだけのものなのだが、大がかりでなんと回りくどいものか。
「ははは、冗談だ」
 ジズと呼ばれた人物は笑顔で手を差し伸べた。手を握ると力強く、皮が厚かった。多分、武器を扱うのだろう。
「彼はジズ・リ・ロスト。今回の見合いの場となるロスト家の嫡男だよ」
(ロスト家。確か、先代の王弟の家系だったか)
 ならば、彼も王に近い人物なのではないだろうか?
「ロスト家は内務の要職に就かれている。目をつけられるとアドニア領での事業に支障が出るやもしれん。ヘマはするなよ」
 祖父が耳打ちした。この人を差し置いて姫と見合いをするということ自体、目をつけられる行為な気がするのだが。
「見合いの席を提供する代わりに、今回の話を聞かせてもらった。このような他愛のない事に巻きこんだことを詫びよう」
「いえ、わたしが望んで引き受けたことです。ですが、周りの方々に変な疑惑が持たれないかと心配です。彼女の本音が聞けても、今回のことで婚儀を急かされるのではないかと。それではシーリィン様に申し訳ありません」
「それはないだろう。エアのことは私も幾分か心得ている。周りの者も同じだ。母親似で腹に決めたら意地でも通す」
 それにとジズは言葉を続ける。
「私がその役を担うと、冗談では済まされないからな。それこそ取り返しがつかないことになる」
 どうやら、顔に出てしまったらしい。
 ジズは短く笑うと「場を移そう」とロスト家に向かった。

終わり無き冒険へ!