Novel:17 『影紙』1/2

「たのもー」
 聞きなれた言葉がしたので作業場から店に顔を出すと、見慣れない一人の女が居た。
 服装からして、大陸の東の者だろう。腰に業物を下げていた。
「おぬし、この店の者か?」
 紅玉のような目で真っ直ぐに自分を見る。しっかりとつぐむ口と合わせて見ると、器用に世を渡る術を持たぬ者だと思った。
「刀鍛冶師、タタラだ」
「拙者はキサラと申す。ヴェイタ殿より聞き奉った。良い研ぎ師がこの地に居ると」
「あ……?そうか、その太刀を研ぐのか?」
 一瞬、ヴェイタと言う名の者が判らなかったが同じ郷里の者だと思い出す。
 易々とその名を言えるのは、大陸に属している方が西側の名前でも馴染みやすいのだろうか?
「なにぶん、長い間手入れをしていなくてな」
 脇から抜いた太刀を手渡しする。少し軽いのは女性用に造られているのだろうか?
 鞘は黒塗り。丁寧な仕事をしている。ツバは丸型。細工は施されていない。飾り物でないのが判る。
柄には布が巻きつけてある。擦り切れた柄糸をそのままに、握りにくいから巻きつけたのだろう。
 抜刀すると、タタラは言葉を失った。
「タタラ殿、どうかされたか?」
「長い間手入れをしてないとか……そういう問題じゃないだろう!!」
 刀をキサラの顔面に押し付ける様に差し出す。
「刃こぼれどころじゃない!ボロボロじゃないか!!血はそのまま付いているわ、油もそのまま……って、なんの油だこれは?!丁子油ではないよな?」
「ああ、多分イノシシの油だな。ここに来る前に退治した。血もそいつのものであろう」
「せめて、血ぐらい拭いてくれないか。よくもこれで錆びなかったな」
「父より預かった頃から母が毎日使っていたからな。包丁の切れ味が鈍ったとかで」
「いや、切れ味とか気にしなさそうだがな」
「知ったような口ぶりだな。む?そういえば、獲物を仕留めそこなって持って行かれたのだったかな?」
「刀を見れば使い手も判る」
 台に太刀を置いて、タタラはため息を吐く。これは、風漢に渡した刀以上に時間がかかる。
 腕を組み、作業日程を計算する。
「最速一週間。かかって二週間か。今は急ぎの仕事が入ってないからな」
「そんなにもかかるのか?!」
「当り前だ。使う割に手入れしなさすぎだ!研ぎ直して柄の紐も巻いてやる」
「魔物退治の依頼が入ってる。一日で……」
「やれというのか?」
 タタラは短く笑った。
 どうも使い手というのは武器の事を考えていないらしい。今まで生きながらえたのは己の技のみと自惚れているのか。
「言っただろう?オレは刀鍛冶師だ。オレに預けた以上、こちらに従ってもらう」
「拙者も仕事を受けた以上断る事は出来ぬ。その仕事が終わってからまた来るとしよう」
 置いた太刀にキサラが手をかける。瞬時にタタラは反対側を押さえる。
「どんな小物相手か知らんが、これを持って行くことは許さん。ここまで耐えている方がおかしい状況だ」
「だが、これが無ければ仕事が出来ない」
「判っている。オレがこの刀を預かると言った時点で、あんたの命を預かっているに等しい。自分の命を安く見積もるなと言ってるんだ」
 タタラの言葉にキサラは開きかけた口を閉ざしたが、目から不満がだだ漏れである。
「代わりに一本持っていけ。使えるようにしてやるから」
 キサラからの視線を逃げる様に白鞘が並べてある棚の方を見た。少し興味を持ったのだろうか。キサラはそちらの方に歩み寄った。
 太刀を奥に置いてある机に移すと、タタラもキサラの隣に立つ。
(……背、高ぇなぁ)
 並ぶと、タタラとほぼ同じ高さである。女としては高い方だと思う。
(大陸では珍しくないのだろうか?だから、オレが女装してもあまり疑われなかったのか)
 一人で納得していると、キサラがこちらを向いた。
「どれでも良いのか?」
「そうだな。あの刀に近いのは……これか。反りと長さは似てるだろう。ただ、重いか?」
 飾ってある刀を取り、彼女に渡した。女性用に造っているものは生憎用意していない。
「いや、むしろ軽い方だ」
「鍔と柄の重量を計算しろよ。鞘も加わるぞ」
「ああ、そうか。あの刀以外を持つのは初めてだから要領が判らないな」
 キサラは少し困ったように他の白鞘に収まった刀を見る。
「初めてか……。少し待て」
 タタラは裏手に回り、階段から二階に上がる。一番奥の部屋に入ると、錆びた武器に紛れている一振りの刀を手に取る。
 店内に戻り、それをキサラに渡した。
「オレが大陸を巡っている時に使っていた刀だ。背も体格も似てるから使えるだろう。クセはつけてない」
 タタラも刀を造るために剣術は習っていたが、力があるわけではないので軽めに調整している。キサラの刀と同じか少し重いぐらいだろう。
 キサラは何度も握りを確認したのち、抜刀した。
「綺麗な刀だ。ヴェイタ殿のにも似てるな」
「どっちもオレが造ったからな。すぐに研いでやる。その間に、裏手の薪を届けてくれないか?窯業家と人形師の店の斜め向かいの家だ」
 判ったと言って、キサラは刀をタタラに渡し店を出た。使っていなかったとはいえ、手入れはしていたから研ぎは短時間で出来る。
 戻って来たキサラに刀を再び渡し、庭に出て試し斬りをさせる。
 今まで刃の欠けていた刀を使っていたために少し力むように振るっているが、問題は無いようだ。
「柄の巻き方が違うから巻きなおすか?」
「いや、これは握りが良いな。実は滑りやすくて布を巻いていた」
(そういえば、柄糸は皮だったな。加えて一貫巻きだから滑りやすいのは当然か。絹か綿に代えて、ひねり巻きにしようか)
 耽っているとキサラの視線に気づいた。タタラは首をかしげると、キサラは困惑してるように見えた。
「いいのか?本当にこの刀を借りても」
「こいつも退屈してただろう。存分に振るってやってくれ」
 この工房に居を構えてから一度も使っていない。自分用に造ったので店先に並べることもできない。物置に錆びた剣と紛れているよりもよっぽど良いだろう。
 キサラは済まない、と頭を垂れた。タタラはすぐに頭を上げるように言った。
「オレはあんたのように武器を振るうことを得意としない。だが、オレだって護りたいものがある。武器を造ったり、手入れをするのはそれがオレの出来ることだからだ」
 桜牙に居た時にはそれは唯一人だった。実戦ならばタタラは役には立たない、むしろ足を引っ張るだろう。だが護りたいと、力になりたい言う気持ちは人一倍強かったと思う。
 大陸に来て、この地に住んで、それは一人一人増えていく。
「風漢の知り合いならば、オレにとっても大事な客だ。あんたにはあの刀が使い物にならなくなったという理由で無用な傷を負って欲しくはないんだ」
 キサラの右足の傷をチラリと見てはすぐに視線を逸らす。
「驚いたな。怒られたのは手入れをしていないからだと思っていた。命を預かるなんて大げさな、とも思ったがそれがおぬしの信念か」
「我がままに近いな。オレの武器を相棒にしたなら尚更。オレの知らぬところでくたばる事は許さない」
「ならば、この刀は必ず返さねばならぬな」
 当然だ、とタタラはぶっきらぼうに言葉を放つと気になっていたことを口にした。
「あまり拘りを持ってるようには見えないが……。あれほどになっても使い続ける理由が知りたい」
「亡くなった両親の形見だ」
「ならば、余計に大事にしろ」
 キサラはバツの悪そうな顔をし、暫くしてから「そうだな」とほほ笑んで答えた。

終わり無き冒険へ!