Novel:16 『紅蓮の痕跡』2/4

 商業都市インテグラ――もしくは、学園都市とも呼ばれる、大陸随一の図書館を保有する街。リンドホルム家の所有ギルドの拠点地であり、また港町からほど近い場所に位置するため、物流も情報の流れも豊かであり、訪れる人々の足も絶えることがない。居住区、学園区、商業区と区画が分かれており、人々はそれぞれ所用のある区画を訪れることができる。洞窟という観光スポットまであり、まさしく大陸北部を代表する街の一つでもあろう。
 その巨大都市の中で―――
 ゴンベは、迷っていた。
「ったくぅ………なんなんだよこの街は………人間はごちゃごちゃいるし、建物はいっぱいあるし、どこになにがあるんだかさっぱりわからねぇっつーの」
 疲れたように独り言を言うと、ゴンベは道の端のほうに腰を降ろした。もちろん街の中には案内板もあるだろうが、それを大人しく見るような性格でもなく、結果ゴンベは巨大な街に翻弄されていた。
 ゴンベがいるのは商業区だった。目の前の道を過ぎ行く人々は、活気に溢れた声を掛け合いながら物を運んだり、値段の遣り取りをしている。ゴンベの腹が情けなく鳴るのと同時に通り過ぎて行った馬車が運んでいるのは、港町から届いた貿易品か。
「あー……図書館ってーのはどこにあるんだぁ………?」
 そう、うめいたときだった。
「……ですから、早く探し出さないとって言ってるんでしょうが!」
 どこか大人びた子どもの声が、不意に耳に入ってきた。なんとなく聞き覚えのある声のような気がしてそちらに視線を向けると、片眼鏡を掛けた少年と、シルクハットとマントを身につけた男が会話をしている。
「まぁまぁそう慌てるなマドカ。あの子達のことだからきっと大丈夫だ。そのうち戻ってくるだろう」
「でーすーかーらっ! なんど言ったらわかるんですかアンタはッ。ワタクシたち兎の価値をいつになったら理解するんですか!?」
 兎という単語に食欲を触発されて、それまでただぼんやりとその遣り取りを眺めていたゴンベは、まじまじとそちらに視線を向けた。それに男の方が先に気付き、不機嫌そうな目で見返してくる。次いで、少年が。だが少年の目はゴンベの姿を捉えた途端、驚いたように大きく見開かれた。その少年の様子に、ゴンベもまた既視感を覚えるが、記憶が霞ががっておりやはり思い出せそうにない。
「我輩たちに何か用か干物。用がないなら不快だ。他の場所でも見ていろ」
「いきなり喧嘩売ってどうするんですか。……えぇっと、貴殿は……」
「ゴンベだ」
 立ち上がりながら名乗ると、少年の方が「え?」と不可解そうな顔をするが、それを無視して近付く。
「なんだ近寄るな。二十歳以上の干物は我輩の半径2メートル以内に入るな」
「もう入っちたもーん。……まぁ用って程でもねぇけどさ、あんたら、図書館がこの街のどこにあるか知ってるか? 迷っちまってよぉ」
「図書館なら……街の中心にありますが………」
 訝しげな表情のまま少年が答えるのに、「あんがとよ」と軽く手を挙げる。
「あ、それとさぁもう一つ」
「……なんでしょうか?」
 訊き返す少年の横で不機嫌そうな男の顔をちらと見てから、ゴンベは口を開いた。
「俺、腹減ってるんだけど――ウサギってどこ行ったら食えるの?」
 少年の顔が、ギシリと引き攣った。

******

「へぇ〜」
 図書館に入った途端、ゴンベは感嘆の声を上げた。
 図書館の中には山のように本が並べられている。それも整然とした状態で。訪れた人々はそこから思い思いの本を選び取り、あちこちに備えられた机や椅子で本を読んでいる。中には、どうも人間とは違う雰囲気を纏った青年がなにやら物思いにふけっていたり、大人しそうな少女が物騒な題名の本を読んでいたりもする。
「すげぇとこなんだなぁ」
 そう機嫌よく呟くゴンベのポケットには、缶詰が一つ入っていた。図書館の道を教えてくれた二人組みのうちの少年が、ウサギは無理だがと代わりにくれたものだった。男の方は不機嫌そうにしていたが、ありがたくちょうだいすることにした。
 なんとなくゴンベが手を伸ばした先にあったものは神話の本だった。神々の伝承――そんなものに興味はないはずなのに、読んでいるうちに知っているような名前もいくつか出てきた。どこかで耳にしたのだろうか? 宿屋で演奏している吟遊詩人たちのなかには、神話を謳う者達もいる。
 だが、ゴンベが今求めているのはその本ではなかった。棚に戻し、またキョロキョロとあたりを見回し始める――と。
「……何かお探しですか?」
 眼鏡を掛けた青年が、そうゴンベに訊ねてきた。青年は青い、制服のようなものを着ている。ここで働いているヤツなのかな、とあたりをつけ、「あぁ、実は……」と頭を掻く。
「記憶喪失についての本、ってあるか? どうしたら記憶が戻るか、とか……そんなん書いてあるやつ、さ」
「記憶喪失……ですか」
 そう呟きながらこちらを見てくる青年の目に複雑そうな色が一瞬混ざるが、すぐにその目を本棚に向けて本を選び始める。
「それでしたら、医学書が良いでしょう。アルナの本でしたら、もしかしたらお望みに沿うようなものがあるかもしれません」
「アルナ……?」
 「えぇ」と青年が本をパラパラとめくりながら頷く。
「ご存知ありませんか? アドニア近くの、医療の先進国です」
「ふぅん……」
 「これなんか如何ですか?」と青年が差し出した本を受け取り、中を見てみる。
「うげ………」
 思わずそう呟いてしまうほど、そこにはぎっしりと文字が書き込まれていた。ところどころ図があるものの、意味がさっぱり理解できない。また理解することを脳が拒んでいる。
「………やっぱいいや……あんがとよ。直接その国に行ってみるわ………」
「そうですか………でしたら、地図などは入用ではありませんか?」
 医学書を棚に戻しながら青年が訊ねてくる。確かに、ゴンベは地図の類を持ち歩かないで旅をするという無謀なことをしていたが、地図を持ったところでそれを見るような気もしない。
 「別にいらない」と言いかけ、ふとあることを思いつく。
「なぁ、あちこちのうまい食い物とか載ってる地図とか本ってないのか?」
「あるにはありますけど……」
 驚いたように答える青年に、ゴンベは「じゃあそれ貸してくれ」と笑顔で言った。

終わり無き冒険へ!