Novel:14 『闇を焦がしてなお蒼く 終』9/9

 いけない、と思う。
 この海では例え泳ぎの上手い人間でも闇に飲まれて消えてしまう。元々人は泳ぎが上手くない。まして彼女は泳ぐことすら出来ない。
 水の中で呼吸も出来ない彼らが、この海に落ちたらどうなるだろうか。
「……っ!」
 彼女は鋭い舌打ちと共に攻撃を止め、天に向かって吠える。
「     っ!」
 その声に怯えたかのように空の嵐が弱まった。
 黒く渦巻いていた激しい雨風がまるで彼女の声に吹き飛ばされるように辺りが静まった。
 彼女を助けようと飛び込もうとしている船員を押しやって、彼女はヘリの上に立つ。
 振り向き、見える深紅を瞼に焼き付けるかのように彼を見つめる。
「……」
 深紅が何かを言いかけて口を開いて閉じた。
 彼女は首を小さく横に振って海へと落ちる。
 暗く濁った海水の中に少女の姿を認め、メレディスは手を伸ばした。
 瞬間、何か黒いものが彼女を抱きかかえるのが見えた。
 それはもがく少女を抱えながら荒れた海の中を真っ直ぐに進んでいる。
 メレディスは微笑んでそれの後を追う。
 そして、追いつき、追い抜き、海面へ向かって導く。それは何の躊躇いもなく彼女の起こした波を使い海面に向かって泳いだ。
 水から上がるととたん、少女は強く咳き込んだ。
 無事だったようだ。
 水もそれほど飲んでいない。
 砂浜に上がり、彼女の背を叩くのは黒髪の男だった。心配そうにみていたかと思えば彼女をからかうような軽口を叩き、ようやく落ち着き礼と文句を言い出した彼女を見て楽しそうに笑う。
 この人物が以前彼女が話した船長なのだろう。
 この男がいれば少女は安心だろう。
 メレディスは船とは逆の方向に向かって歩き出す。
「ちょっとまったーー」
 呼び止められてメレディスは立ち止まる。
 振り返ると、妙に露出度の高い男が楽しそうに笑っている。
 そう言えば奇妙な形のサングラスをかけている。
 あの波で外れなかったのだろうか。
「セクシーな青いねーさんはーー、浜辺にうちあげられたぁーーヴァーの上は踏んで歩いてぇーー、溺れたジェン助けにぃ荒れた海に、なんでーー?」
 メレディスは瞬いた。
「ヴァーって、何? 私何か踏んだの?」
 ジェンは恐らく少女のことだ。だが、ヴァーというものに心当たりはない。
 いうと男は顔を覆って泣くような素振りを見せた。しかし声が明らかに笑っているということは泣いている風に見せているだけだろう。
「ヴァーちゃん、ひっさーーん、踏まれた事もきづかれてねぇぜぇーー」
 気付くも何も自分はそんなものは踏んでいない。
 そこまで考えてふと気が付く。
 そう言えば船に来る前に何か赤いものを踏んだ気がする。
 あれが‘ヴァー’だろうか。
「貴方、どこから見ていたの?」
「いやーーん、そんなの、恥ずかしくてぇ、いえねぇーー」
 半裸状態のまま身もだえする男を見て、メレディスは笑う。
 変な男だ。
 特出して何かある訳ではない。この男は神でも無ければ魔族でもない。それなのに底の知れない強さを感じる。
 こんな男となら戦ってみたいと思うだろう。
 だが、何故か。
 この男と戦いたいという感情が薄い。
「あ、あの……ひょっとして、おねーさんが助けてくれた……のか?」
「助けたのは彼。私は海流を操っただけ」
「えっ……あ、あの、ありがとう」
 少し放心したような様子で少女が自分を見つめている。
 微笑んで彼女の濡れた髪を撫でる。
 そう言えば彼女はバンダナをしていた。恐らく流されてしまったのだろう。あとで見つけたら返してあげよう。
「いやーーん」
「!」
「!?」
 突然叫ばれてさすがにメレディスも驚く。
 少女もまた驚いた様子で黒髪を振り返った。
「ねーさんそう言う趣味ぃーー? ざーんねん、ジェンは俺のクリュー」
「なっ……」
 少女は顔を赤くして抗議をする。
 恩人に向かって何をいっているとか、やっぱりあんたはアホだとか。それを聞きながら黒髪は楽しそうに笑っている。
 どうして、自分はこの子を助けたいと思ったのだろうか。
 成長途中の為か細くて頼りない身体。触れば折れてしまいそうな程の手足。成長したところで彼女と戦ってもつまらないだろう。
 それなのに何故あの戦いを中断してまで彼女を助けようと思ったのだろうか。
 確かに自分はあの戦いを多少躊躇ってはいた。あのまま続けたところでツィーダルが力を戻さない限り、自分の勝利は確定している。あの場で決着を付けてもつまらないと思った。
 けれど、楽しくなりかけたあの瞬間で止めてしまうのは自分らしくはない。
 何故、だろうか。
「……海が好きだと言ってくれたからかしら」
「んんーー?」
「海に入った理由」
「あ、俺もーー! 俺も海、すげースキーー」
「貴方は例え海竜に襲われても死なないと思うわ」
「えぇーー? やだぁ、俺超ほめられてるぅーー?」
 それはない、と横から突っ込まれるが男は気にせずやはり楽しそうに笑う。
 ほほえましく感じながら不意にメレディスは視線を鋭くさせた。
「伝言、頼んでいいかしら。あの、ゴンベと呼ばれていた、赤い髪の彼に」
「え?」
 少女は言葉に戸惑った様子だったが、男の方はいいぜぇと笑いながら答える。美人の頼みは断れない、と口走り、少女は男を不満そうに睨んだ。
 それに笑って、メレディスは伝言を頼む。
「今の貴方じゃ、足りない。……そう伝えてくれる?」
「いいけどよぉーー、俺の船になんかしたらただじゃおかねぇーー」
 先刻の戦闘をどこかで見ていたということだろうか。
 笑いを含んだ先刻と変わらない口調だったが、男の声の奥底に冷たい流れを感じる。いや、熱いと言うべきだろうか。
 やはり変な男だ。
 ここまで自分を挑発するようなのに、戦いたいという気分を起こさせない。
 その理由が何となく分かった気がしてメレディスは微笑む。
「私、船は海の上にある方が好きよ」
 同感、と彼は返す。
 遠くから誰かが駆け寄ってくる気配がしてメレディスはそちらを向いた。船の方から落ちた彼女を心配した人たちが駆け寄ってくる。
 その中に、彼の姿はない。
 すう、と彼女は息を吸って停泊している船を見る。
 その甲板の上に赤い人影が見える。人の視覚ならばこちらを見ている事すら分からない距離だったが、視線が交わったのを感じる。
 彼女は笑う。
 首をもたげて、まるで彼を挑発するように。

 ざあ、と足下に波がかかる。
 彼女はそれに溶け込むように消えた。

 海は蒼く澄み渡っている。


 何色にも変えられない蒼がそこにあった。




メレディス・ゴンベ・ヴェイタ・フージェン・ヒルト・アリオト他
文:みえさん。

終わり無き冒険へ!