Novel:14 『闇を焦がしてなお蒼く』7/9
彼女は海辺を歩いていた。
もうすぐ港町に着く。
そこから内陸に進めばインテグラに付くことが出来る。そこで彼と出会うことが出来るだろうか。
一羽の鳥が羽ばたいて彼女の肩に止まる。
「どうしたの?」
穏やかな口調で話しかけると、鳥は少し優しく鳴き、やがて嵐がくると彼女に告げた。
空は青く澄み渡り、水も穏やかだった。
だが確かに遠くから濃い嵐の気配がする。鳥はその嵐から逃げてきたのだ。見上げれば無数の白い鳥が逃げるように西に向かって飛んでいる。
「教えてくれたの、優しい子」
撫でると鳥は気持ち良さそうにした。
「ええ……でも、行きなさい。群れからはぐれてしまうわよ」
その光景を見ていた者は鳥が彼女の言葉を理解したように頷いたように見えただろう。
頭を動かして、鳥はばさりと翼を広げる。
飛び立った鳥は二度三度彼女の頭上を旋回し、やがて群れの中に戻っていった。
それを見送りながら歩いていた彼女は不意に何かを踏みつぶした感覚を覚えて振り返る。
「……?」
何か赤い生き物がいた。
海から打ち上げられたのか、浜辺に寝ころんだそれはずぶぬれの状況でぜいぜいと息をしている。人だろうが顔色が異常に悪い。赤い生き物に見えたのは、その髪が赤かったからだろう。ツィーダルとは似ても似つかない赤。
恋い焦がれる色なのにくすんで見える。
彼女が立ち去ろうとした時、赤いのか蒼いのか分からないそれが何かを言った。
だが彼女の耳には届かない。
別に大したことは言っていないのだろう。
彼女は踵を返して歩き始めた。
その時だった。
遠くから小さな鈴のが聞こえ彼女は弾かれたように顔をあげる。
「……この音」
この音色は落としてしまった鈴の音。
彼女は微笑んでその音色に誘われるように歩き出す。俄に沖の方の雲が暗くなり始めていたが、彼女はそのまま進んだ。
その音は港町に停まる船から聞こえてきた。
「この船は」
あの少女が乗っている船ではなかっただろうか。
美しい形をした船。
中からは嵐が来ることを悟ってか、慌ただしく準備をする気配がしてくる。
ぽつり、と雨粒が鼻先に当たる。
天の隙間から何かが運んできた雨粒がぽつりと地上に落ち始めている。
ぽつぽつと騒がしくなり始めた雨音の間から、鈴の音色が響く。それは船に近づくたびに大きくなり、そして彼女は船の真下に辿り着いた。
メレディスは静かに船上を見上げた。
……戦慄した。
すう、と心の奥で蒼く揺れる炎が目覚める。
軽く地面を蹴ると身体がふわりと宙に浮いた。浮き上がり、彼女はへさきへと降りた。
慌ただしく帆を畳む船員達の明るい声が響く。
「で、船長は?」
「爆笑しながら旦那追い掛けて海に飛び込んで行った」
「まったく、こんな時に」
呆れたような、それでも楽しげな声が聞こえてくる。メレディスは唇に微笑を浮かべてその横を通り過ぎた。
中にあの少女もいたような気がしたが、今はそれ以外のものが彼女の心を占めている。
「船長なんであんなにアホな……って……えぇ!?」
驚いたような声。
他の誰かもまた驚いたような困惑した声を掛けてきたが振り向く気にはなれない。
彼女の視界には鮮烈な赤が映り混んでいる。
ざわざわと雨が強くなり始める。
空は鈍色になり、遠くの方から地響きのような雷の音が響き始めている。
「で、そん時そいつがなー」
話に夢中になっていた赤が気配に気が付いたように振り返る。
緑の目が驚愕したかのように見開かれる。
「……見つけた」
笑いがこみ上げる。
どうしようもなく興奮をしていた。
身体の中を巡る血液が毒を孕んで沸騰してしまったかのように熱い。落ちてくる雨粒でさえ、肌に触れれば蒸発してしまいそうだった。
理性がすぐにでも吹き飛んでしまいそうだった。
「見つけたわ、ツィーダル」
「あんた……」
低く、掠れるような声。
彼と話をしていた人間達が戸惑ったように彼と彼女を交互に見やる。
だが、男の視線もメレディスの視線も他を見ることは無かった。
まるでその場所には二人しかいないような感覚。
「あんた、誰だ?」
「…………」
一瞬、思考が凍り付く。
彼の言葉が理解できなかった。
「……なん、ですって?」
「あんた俺のことしってんの?」
脳天気な口調。
沸騰した血が、一気に温度を下げる。
彼女の口元から笑みが消えた。
「……ふざけているの?」
「えー、ふざけてねぇって。俺、記憶喪失なんだ。気付いたら荒野にいてよー、何にもわかんねぇし……って、あー、あんた、俺のことしってんだったら教えて……」
「ふざけないでっ」
男の言葉を遮ってメレディスはぴしゃりと言い放つ。
人間よりも魔族の方が力の強い者も多い。魔界にいた方が戦いに飽きる事がないことを知りながら、人間界に来た。
それはこの男が人間界にいると聞いたからだ。
人間に対して制裁する神。
その一人が彼だと知ってメレディスは魔界から人間界に移った。
この男も自分が人間界にいると知れば自分を探さずにいられないと思っていた。
それが。
「記憶、喪失……ですって……?」
メレディスは顔を覆う。
予想もしていなかった。
この男が「じぶん」を忘れるなんて。