Novel:14 『闇を焦がしてなお蒼く』6/9
その女はまだ娘とも思えるような年齢の女だった。
一瞬男にも見える外面をしている。
だがそれが男に見える程メレディスの目は悪くない。
身体は鍛えられ丈夫そうな男にも見えるが、鋭い瞳の奥にある色は女の色をしている。
「あら、可愛らしいひと」
言うと彼女の瞳に敵意のような色が芽生えた。
強い警戒心と、絶対的に心に踏み込ませない要にするような鉄壁の護り。武器を握っていないと言うのに刃物を突きつけられている気分になった。
「貴方も赤い髪をしているのね。けれど、ツィーダルともカサンドラとも、印象が全く違う」
彼女からはもう少し儚い色を感じる。
脆くて崩れやすい、まるでガラスで出来た花のようだと思った。
強そうに見えても突けば簡単に壊れてしまう。
メレディスが一番嫌いなものだ。
それなのに何故かこの女に興味を持った。少なくとも話をしていても不快ではなさそうだった。
「失礼ですが、貴方様は」
「メレディスよ」
彼女は怪訝そうに眉根を寄せた。
「……‘海の保護者’?」
「あら、貴方随分と古い言葉を知っているのね。レディでいいわ。その方が呼ばれ慣れているもの」
「リズ、話すと長くなる。彼女は俺の恩人と思ってくれればいい」
「陛下の、恩人ですか?」
問いかける彼女の顔が少し優しい色を帯びる。
ガラスのような強さと脆さが消え、代わりに大地に根を張る強さを持った優しい花の色を感じる。
だが、自分の方に向けられる視線は警戒心に満ちたものだった。やはりどこか危うく壊れてしまいそうな印象だ。
メレディスは少し瞬いた。
「ああ、だから少し力になってやって欲しい。人捜しをしているそうだ。お前の情報網で何とかならねぇか?」
「はい、陛下のご命令とあらば、尽力させて頂きます」
「あー、まぁ、命令なんて堅苦しく考える必要はねぇが」
「はい」
苦笑して王が彼女を見ると彼女はしっかりと頷いてみせる。
覚えず笑いが零れる。
国王と話をしている時だけ、心の形が変わる。この娘は王の事が好きなのだろうか。少なくとも強い信頼を置いているように見える。そうだとすれば先刻可哀想なものを見せてしまったのかもしれない。
「それで」
言われてメレディスは彼女の方を見る。
「それでって、何かしら?」
「探し人とはどんな名前で、どのような特徴を持つものだろうか。それを聞かなければ探しようがない」
「ああ、そうね」
彼女の愛らしさに、つい忘れていた。
自分はまだツィーダルに関して何の説明もしていない。
「ツィーダルという男。人の形をしているわ」
「……名前に覚えはないな」
「綺麗な男よ。貴方よりももっと鮮烈な赤い髪……ああ、肌は白くて、瞳は緑。……長い剣と短い剣を使っていたわ」
「……それだけじゃ探すのは難しくないか?」
アリオトに言われ同意するように女も頷く。
「出身や服装の特徴とかないだろうか」
「さぁ、知らないわ」
ツィーダルが天界のどこで生まれたのか知らない。いつ生まれたのかも知らない。そんなことが意味のあることのように思えなかったから興味も無かったのだ。
服装と言っても思い出せない。
思い出すのは鮮烈な赤と、緑の瞳、そして彼の得物だけ。
「ならば顔の特徴は? 陛下のように傷があるとかならば探しやすくなるが」
「そうね……傷は無かったと思うわ」
メレディスはしゃがみ込み砂浜に彼を描く。
「こんな風だったと思うけれど……」
「………」
「………」
「………」
砂浜に描かれた‘彼’を覗き込んだ三人が一斉に黙り込んだ。
訝しげにメレディスは顔を向ける。
国王は笑いをかみ殺し損ねたような、アリオトは反応に困ったような、娘は驚き困惑したような表情を浮かべている。
「どうしたの?」
「……いや。その……これは随分と抽象的な絵、だ、と……」
そう言ったきりアリオトは黙り込み、国王が盛大に吹き出した。
赤髪の娘だけが真剣にその絵を見ている。
メレディスにとってその絵は真剣に描いたものだったが、周囲にはとても人を表した絵には見えない。それを自覚しない彼女は、何かおかしいところがあったのだろうかと首を傾げるだけだった。
「人には得手不得手があるものだ。俺はこれはこれで魅力的だと思うが」
「?」
「ともかく、それでは何の手がかりにもなら……リズ、どうした? その絵に何かあるのか」
真剣に絵を見ている彼女に王が問いかけると弾かれたように彼女が顔を上げる。
「いえ、絵から手がかりを得た訳ではないのですが………先刻言った特徴から思い出した人物があるのですが」
「ほう?」
「先だって懇意にしている情報屋から気を付けるようにと知らされた男です。名前は知りませんが、なんでも大食いの上に、無銭飲食の常習犯であるとか。それがアドニア方面に近づいているようだから気を付けるようにと。それが先刻メレディス殿が言った男の容姿に酷似しています」
「……それ、本当?」
メレディスは立ち上がる。
今度こそ、本命に当たったのかもしれない。
リズと呼ばれた娘は頷いてみせる。
「今はどこに? アドニアに向かって来ているの?」
「いや、進路を変えたという報せがあった。故に警戒の必要がないと」
「進路を変えた? 方向は分かる?」
「東の方へ。推測するにインテグラ方面に向かったと思う」
「インテグラ……っ!」
言うと同時に海の沖に向かって歩き出した。
おい、と声を掛けたのが誰なのか彼女は認識出来なかった。誰が発した言葉なのかという興味よりも、彼女の脳裏に浮かんだ深紅の色の方が勝る。
それでも一瞬だけ振り返り微笑む。
迎えに来た波が彼女を包み込んだ。
いつかまた会いましょう。
その言葉は彼らに届かずに消えた。