Novel:14 『闇を焦がしてなお蒼く』5/9

「ツィーダル?」
「強い男よ。探しているの」
 国王の目が少し優しく緩む。
 強い表情が好きだが、こんな風な表情も嫌いではなかった。
「姉さんの想い人か?」
「ええ。とても、焦がれる相手なの」
 忘れられない相手。忘れたいとも思わない。
 神にしておくのが惜しい男。
 メレディスの嫌いな神達の中で唯一純粋に綺麗だと思った。戦いの中にあればきっともっと輝く。
 眩しくて見えなくなるほど輝くだろう。メレディスすら焦がす程に。
「この辺りに来ているのか?」
「こちらに来ているのは確かよ」
「強い男だというのなら、うちにも噂くらい届いているだろ。……アリオト、こっそり戻ってリズを呼んでこい」
 アリオトと呼ばれた青年は息を吐く。
「一応言っておきますが、見つけるまで付き合うとか軽々しい約束は俺が許しません」
「………ちっ」
「何ですか、その舌打ちは。少しはご自分の立場を自覚しなさい」
「へーへー」
「返事くらいちゃんとしろ。ガキか、あんたは!」
 怒鳴られて彼は半笑いで肩を竦める。
 反省している色が全くなかった。
 これ以上言っても埒が明かないと諦めたのか怒ったような足取りで彼は水辺から離れていく。
 その後ろ姿を見送って国王は少し考えるような表情を浮かべる。
「わざと怒らせたの?」
「何のことだ?」
「私と二人きり話をするため? 怒らせて早く人を払った……訳でもないのかしら。貴方分かりにくいわ」
 言うと男は褒め言葉だと声を上げて笑った。
「……カサンドラは一緒ではないの?」
 問いかけると彼の表情が少し変化をする。
「……やっぱりあんたが‘水辺の人’か」
「彼女は私の事をそう呼んでいるのね」
 メレディスはアドニアの王妃を知っている。
 王妃が別の誰かを見つけていたのならともかく、王と名乗ったこの男は彼女の夫に当たるはずだ。
「……やはり人ではなかったか」
「彼女は今どこ? 一緒には来ていないの?」
「あいつは……もうこの世にはいない」
 言われたことが一瞬理解できず彼女は瞬いた。
「……死んだの?」
「ああ」
「いつ?」
「十八年前だ」
「そう、残念だわ。私、彼女の赤い髪が好きだったの」
「俺もだ」
 少し懐かしむように微笑む王は今も彼女を想っているように感じた。
「あの時の子供は? ちゃんと生まれた?」
「ああ、あんたのおかげでな。今は城の方にいる」
 言われてメレディスは微笑む。
 彼女は死んでしまったようだが、彼女の宿していた生命はちゃんと生きている。
 それを見て王は表情を険しくさせる。
「……あんたはカサンドラ達だけでなく、俺にとっても恩人だ。だが、わからねぇ」
「分からない?」
「あんたが何であの時カサンドラを助けたのかだ」
 メレディスは虚を突かれたように彼を見返す。
 二十年か三十年ほど前だろうか。彼女にとっては大した昔ではない昔、戦の気配を感じこの辺りを訪れたことがある。
 あの時王妃は身重であり戦うのが困難である故に王とは別行動を取っていた。何という国であったか覚えていないが、その国の刺客に襲われ殺されそうになっている彼女は、もう一人の娘と共に水に飛び込んだ。その方が生き延びるチャンスがあると考えたのだろう。だが産み月も近い彼女には危険な行為だった。
 何故と聞かれても分からない。彼女は何となく助けたいような気がしたのだ。
 もう一人の娘もついでに助けたが、別に助けたかった訳じゃない。彼女が抱えたまま話さなかったから結果的に助ける事になっただけだ。正直そっちの娘に関してはどっちでも良かった。
「水に落ちたから助けたのよ。それだけの理由じゃ、いけない?」
「そんなことは無い。だが、あんたは……」
 鋭い目が静かにメレディスを見下ろしている。
 勿体ない、と彼女は想う。
 この男とカサンドラが並んでいる姿はさぞかし見栄えのしたことだろう。
 見れずにカサンドラがいなくなってしまったのは本当に惜しい。
「あんたは人の命なんてどうとも思っていない」
 直接的に言われ、メレディスは微笑んだ。
 回りくどい言い方をされるよりもずっと気持ちがいい。
「ええ、そうね」
「否定なし、か」
「否定する理由がないわ。その通りだもの」
 眉に皺が寄る。
 難しそうな顔をして王が続ける。
「自覚するほどに命をどうとも思ってないあんたが、何故人間を助けた?」
「なら貴方は何故私を助けたりしたの?」
「あのまま放っておけばあんたはあいつらを簡単に殺しただろう」
「あら、じゃあ貴方は私からあれを護ったの?」
「最初は純粋にあんたを助けようと思って近づいた。俺の目の前で女がどうこうなるのは許せねぇことだ。だが、あんたの目を見た時、感じた」
「何を?」
「あんたの目は連中をただ動いているだけのものとしか見ていなかった。まるで魔物の目だ」
 メレディスは目を細める。
 挑発しているのだろうか。
 面白い男だ。
「それなのにあんたからは殺戮を好む気配はしない。……そいつは、血に飢えているんじゃねぇ。戦いに飢えている目だ」
「凄いわ。まるで私の心の中を見てきたみたい」
 メレディスは楽しそうに笑った。
 手を伸ばしても男は全く逃げなかった。
 まるでその駆け引きを楽しむのかのように笑っている。
 彼女は彼の顔に指を這わせた。焼けた黒い肌は熱い。その熱に焦がされてしまいそうだった。
「……強いひと、好きよ」
「随分と色っぽいこと言ってくれるじゃねぇか」
「全ての命がどうでもいいわけじゃないわ。貴方みたいな魂、とても好き。近づきすぎるとその熱で全てが溶かされてしまいそう。まるで太陽のような人……」
 彼女は彼の首を撫でるように指を這わせる。
 太い首だった。
 力を込めても簡単に折れてくれそうにない。
「彼女もとても似た形をしていたわ。だからきっと彼女を助けようと思ったのね」
「あいつと戦いたいと思ったのか?」
 言われてメレディスは目を細める。
 カサンドラのことは綺麗だと思った。
 だが、戦いたかったかと問われれば少し違う気がする。少なくとも今この男に抱いた感想とは全く違う感情。
「どうかしら。貴方とは戦ってみたいけれど」
 くすりと彼女は声を立てて笑う。
「私、貴方を殺してしまうかもしれないわ」
「殺される趣味はねぇが……美人にそう言われるのは本望だ」
 傷をなぞるように触ると、男は目を細める。
「だが誘いには乗れねぇ。まだ、俺にはやることがある」
「ふふ……じゃあ待つわ。私も今、捜しものをしているから」
「……その、何とかっつー男か?」
「ツィーダルよ。あの人が、今、私の心の半分を持っているの」
「それは妬けるな」
 メレディスは笑う。
「私を振っておいて何を言っているの? 貴方って……」
「………何をしていらっしゃるんですか」
 不意に寒々しい気配を感じてメレディスは王の首に手を回したまま振り返る。
 先刻誰かを呼びに言ったアリオトが両手を組んでこちらを向いている。
 顔は笑顔だったが、目に見えて分かるほど怒っていた。それどころかどんな風にしたらそんな気配を出せるのかが分からないほど彼から不穏な色の空気が湧き出している。
 それがメレディスを通り越し、王の方に向かっているのを見て、彼女は目を瞬かせる。
「何って……会話をしているようにみえねぇか?」
「……その距離で、ですか?」
「こっちの方が話しやすいだろう」
「話難いだろうがっ! シラフで何やってんだよ、自分の立場を自覚しろってあれほど……大体貴方も貴方だ!」
 怒鳴られて、メレディスも肩を竦める。
「あら、私まで怒られてしまったわ」
 そんな行動をとったつもりは無かったが、どうやら青年はこの王のことを大切に想っているらしい。そうでなければこんな風な物言いは出来ないだろう。
 不意に、鋭い視線を感じメレディスはそちらに視線を移す。
 赤髪の女が静かに彼女を見ていた。

終わり無き冒険へ!