Novel:14 『闇を焦がしてなお蒼く』4/9

 水温が少しずつ高くなっているのを感じながら彼女は浜辺を歩いた。
 髪が揺れると鈴の澄んだ音が聞こえる。
 その音を聞きながら彼女は目を閉じる。
 海の音と鈴の音。
 その二重奏が何よりも綺麗に聞こえる。穏やかな心地よさが、一瞬だけ癒されない渇きを忘れさせてくれる。
 この穏やかな海のどこかに、彼も触れただろうか。
 夕陽の赤を見て彼を思い出すように、彼もまたこの海の青を見て自分を思い出しただろうか。
 不意に笑みが零れる。
 彼もまた自分を想い焦がれていればいい。
 それだけで少し、気が紛れるのだ。
「おい、聞いているのか!」
 言葉を聞いてメレディスは目を開いた。
 いつの間にいたのだろうか。
 人間が自分を取り囲んでいる。
「……貴方、なに?」
 問い返すと、それは酷くいきり立ったように顔を赤くした。
 醜いと思った。
 これは酷く醜い。
 そして腐ったような匂いがする。
 人間が何かを叫んだがメレディスの耳には聞こえなかった。興味もない。目障りだから早く消えて欲しいと思った。
「海に沈めても、海が汚れるだけかしら」
 ぱしゃんと水が跳ねる。
 不自然な動きに人間が少し驚いた風を見せる。
 筋肉が発達しているそれらは、街に住む人間よりは強そうに見える。けれど醜く見えるのはその魂の形が歪だからだ。
 悪になりきれず、善意もない。こんな風に歪んだ魂は弱く、少し叩けば砕け散る醜い存在。普段なら視界にすら入らないはずのものが、自分勝手に目の前にやってきた。
 消えてしまえ。
 二度と自分の前に姿をみせないように。
「……てめぇら、俺の目の前で人さらいたぁ、いい度胸じゃねぇか!」
 低く、唸るような声を聞いて彼女は目の前に立った者に気が付く。
 大きな男が立っている。
 日に焼けたような褐色の肌に、水面に反射する光のような銀色の髪の男。
 男はメレディスを見やるとにやりと笑みを浮かべた。戦の数を物語るような顔の傷が酷く印象的な男だった。
「姉さん、俺の後ろに隠れてな。すぐにカタ付ける」
 ぶん、と振ったのは大きな剣だった。
 それは一気に醜いものをなぎ払う。
 醜いものたちは何か男に言ったが、男はそれを覇気で散らした。
「四の五の言ってねぇで、とっととかかってきやがれ!」
 男はその場から動こうとせずに剣を振るった。
「……素敵」
 メレディスは呟く。
 男は強かった。でたらめに剣を振るっているようにも見えるが、そうでもない。彼女を庇いながら的確な剣裁きを披露している。重い武器と体格のせいか、機敏さが足りない気もしたがそれを補ってなお余る力強さを感じる。
 まるで太陽のようだと思った。
 醜いものが彼の隙を狙って襲いかかった。
 気が付かないのか男はそれに全く反応しない。武器が男の頭部を狙って振り下ろされようとした時だった。
 入り込んだ一陣の風に彼女は見惚れる。
「おせーぞ、アリオト」
 にやりと男が笑うと、ため息が戻る。
 大男の方とは違い白い肌をしている青年だった。
「全く、無茶な戦いばかりされる」
「お前が見えた。だったら、守る必要はねぇだろ」
「少しは自重して下さい」
 苦い顔をした男は槍を構えメレディスを守るようにしながら大男と背中合わせになるように並んだ。
 真っ直ぐな目をした青年だった。
 大男とはまた違う強さを感じる。それは迷いのない真っ直ぐな強さ。大男の方が太陽なのだとしたら彼はその太陽にかかる雲を散らす風。真っ直ぐに突き進む彼を迷わせない為の迷いのない強さ。互いに共にあることで一層力を増す。
 メレディスは青年の筋肉を確かめるように青年の背に触れる。
 衣服の上からでも分かる。ずっと触れていたくなるような筋肉。
「……っ」
 一瞬青年の気配が変わる。
 訝しげにメレディスは彼を見上げる。
「………?」
 背中からでも狼狽したような気配が明らかだった。
 だがそれも一瞬で元の鋭い気配に戻った。攻撃を仕掛けてきた醜い者達を青年の槍が的確になぎ払う。
 戦闘とも言えないような戦いはすぐに決着が付いた。青年と男、二人の圧倒的な強さを目の当たりにしたものたちは、敵わないと悟るやすぐに散らすようにいなくなった。
 去り際に何か醜い声で言った気がしたが、メレディスには聞こえていない。
 彼女は目の前にいる二人に夢中になっていた。
「怪我はねぇか、姉さん」
「ええ。ありがとう、おかげで汚さずに澄んだわ」
 答えると大男は首を傾げる。
「汚す? 服をか?」
「海を。……強いのね、とても素敵だわ」
「当然だ。でなきゃアドニアの王なんて務まらねぇだろ」
 自信満々に答えた男の傍らで青年が深くため息をつく。
 青年は何故か自分と妙に距離を置いているように思えた。
「貴方、アドニアの王様なの?」
「ああ、アドニア国王、ヒルトだ」
 堂々と名乗られてメレディスは少し笑う。
 彼はどこかの国に訪問した帰りだと言った。正直それに関しては興味も何もない。
 それよりも本当にこの男が国王なのかという疑問が浮かぶ。
 アドニアは、密かに魔王を討伐しようとしていると誰かが噂していた。潰すべきか否かを迷い、結局潰さなかった国。潰さない方が面白い事になりそうだと思ったのだ。
 その王が自分だと男は言った。
 他の者なら笑い飛ばせるだろうが、この強い魂の形は王の器を持つ者の証。
「………そう、貴方が‘彼’を倒すの」
「なんだって?」
「いいえ。何でもないわ」
 面白そうだ。
 魔王の元にいればこの男と戦う機会に恵まれる。強い人間を引き連れて彼は魔王を倒しにやってくる。例え志半ばで倒れたとしても、彼の意思を嗣ぐ人間は必ずいるだろう。
 この男からはそう言った覇気を感じた。
 今すぐにでも戦いたい衝動に駆られるが、メレディスはそれを押さえ込む。
 まだ早い。
 待てばもっと楽しいことになるはずだ。
「貴方はこの人の家臣?」
「あ……ああ」
「……どうしたの?」
 近づくと青年はあからさまに緊張したように凍り付く。
 けたけたと横から笑いが漏れた。
「お前、こんな美人が近くにいるんだ。少しくらい嬉しそうな顔しろ」
「……」
 青年は複雑そうな顔をして王を睨むように見る。
 口を開けば何か文句を言い出しそうだったが、彼は何も言わなかった。無口な人なのだろうか。
 王は笑いながら男の肩に自分の腕を回す。
「悪いな、姉さん。どうやらあんたがあまりに美人だから緊張しているらしい」
「……何口説いているんですかっ!」
「口説く? 私を? 貴方が?」
 メレディスはおかしそうに笑う。
「いいの? 王様がそんなことをして」
 彼女は王が倒そうとしている魔王の同盟者なのだ。知らないとはいえ、口説いていい相手ではないはずだ。
 国王は腰に手をあて自信ありげな笑みを浮かべる。
「おう、俺は国王だ。好き勝手やればい……」
「いいわけがねーだろうがっ!」
 すかさず言われて国王は更に楽しそうに笑う。
「あんたって人は、節操がなさすぎるんだっ! 女と見れば老若問わず声かけまくりやがって、あんたの頭は酒か女のことしか入ってないのかっ!」
「あはは」
「笑い事じゃねぇ! だいたいあんたは……」
 怒り出した青年に対し、国王の方は楽しそうに笑いながら聞いている。
 いつもこうなのだろうか。
 奔放過ぎる王を叱り窘める側近。ちぐはぐな気もするが、これはこれで正しい関係なのだ。この王だからこの臣が付き、この臣だから王も心おきなく背を任せられる。
 だから先刻青年が来たことで、彼の強さが増した気がしたのだ。
 この関係は面白い。
 もっと待てばもっと面白いことになる。それを確信した。
「ねぇ、聞きたいことがあるのだけど、いいかしら?」
 彼女が問いかけると青年がぐっと押し黙り、国王は笑みを浮かべる。
「ああ、俺に答えられることならな」
「あなた達、ツィーダルを知っている?」

終わり無き冒険へ!