Novel:11 『Lily of the Incas』2/4

 スズメは慌てて玄関へと駆け寄った。そして急いで、鍵を開ける。
《ミドリさん……?―――ッ!?》
 扉を開けた瞬間、胸倉を掴み上げられ、数瞬呼吸を忘れる。スズメに掴みかかったのは、白い、太い腕だった。見知らぬ男――だが、血走り、息を切らしたその男がどこから来たのかは、頭のどこか冷めた部分で判断できた。おそらくは、この森に囲まれているように存在する町、ヴァルツからやってきたのだろう。
“主―――!!”
 切羽詰った声が、スズメの頭の中に響いた。同時に獣染みた威嚇音が鼓膜を打つ。
《……っマダラさんダメッ》
 部屋の一角に巣くっている巨大な植物が、鎌首をもたげて突然の闖入者に襲いかかろうとしていた。長い蔓に、棘の生えた太い茎――そして、斑に毒どくしい模様の入った花弁。意思を持ったその食虫植物は、招かれざる客人に喰らい付く――その一歩手前というところで静止した。そして、スズメの方にちらりと花弁の先を向けてから、長い蔓と茎でゆっくりと二人の周囲を囲む。
 男は、「ひ……ひ……っ」と引き攣るような声を上げながら、
「や……っやっぱり、まだ、こここんな、ところに……っい、いやがったかっこの、魔女めッ」
 胸倉を掴み上げる腕以上に、「魔女」とスズメを弾劾してくる言葉の方が、スズメの胸をきつく締め上げた。今までスズメの家に寄ってくれた旅人の話を聞く限り、他地域ではそんなことはないようだが、少なくともこの地域一帯に限っては、「魔女」という存在に対する嫌悪感、忌諱感に並々ならないものがある。そしてその場合、「魔女」とは魔法を使う者に限らず――むしろ町にとって有益な魔法使いならば歓迎される場合もある――町人たちには理解し難い外れ者にその烙印が押される。そしてその「外れ者」がスズメの育ての親である老婆であり、またスズメ自身であった。
 そのために、スズメは十数年前、住んでいたヴァルツを出、この森に住むようになったのだったが―――町人たちにとっては、それでも充分、「魔女」という存在は脅威らしい。思い出したように、肝試しにやってくる子どもや、森に住むようになった魔女の存在を確かめにくる町人がいる。今回も、その類だろうか――今朝、誰かが訪ねてくるように感じたのは、この男のことだったのか。
「俺の子を……リドを何処へやった魔女めッ!!」
 血走った目で目をぎょろつかせながら、男が吐き出すように怒鳴った。胸倉を掴む力は緩まない。頭がくらくらとする――リド? 子ども? この男は、何を言っているのだろうか……。
《……お子さんが、いなくなったの………?》
 そう、口をぱくぱくさせるが、男に通じるわけもなく。かえって「ひっ」と息を飲んだ男は――スズメが呪文でも唱えていると思ったのだろうか?――「な、何をする気だッ!?」と上ずった怒鳴り声を上げながら、片手をスズメの胸倉から放し、代わりに拳を握って振り上げた。殴られるのかしら――と、どこかぼんやりとした頭で思う。スズメと老婆を迫害していた町人たちの中には、そうやって暴力を振るう者もいたから、拳への恐怖は当に麻痺してしまっている。むしろ、それでこの男の興奮が収まるのであれば、それに越したことはない。単純な暴力よりも恐ろしいものを、スズメは幾らでも知っていたし、あの町にいた頃は実際にそれを味わっていた。
 ――が。
「うわぁっ!?」
 慌てふためく男の声。見ると、その腕にマダラの蔓が絡み付いていた。男が怯んだと同時に戒めが解け、スズメはよろめく身体をなんとか支えてテーブルに向かった。「おいっ」と男が怒鳴るが、この際無視した。そして、テーブルの上に転がっていたペンを取り、メモに何か書き付ける。そして、急いでペンを走らせたそれを、絡まった蔓をなんとか解こうともがく男の前に差し出した。気付いた男が眉を寄せながら、そこに書かれた文字を、血走った目で反射的に追う。
《ここに、貴方のお子さんはいません。私たち以外の、誰もいません》
「――っざけんなッ! じゃあ、リドは何処に行ったんだ?! この森に行くって言っていたんだ……お前に攫われたんじゃなかったら、何処にッ」
 噛み付くような勢いでそう怒鳴る男。スズメはそれを、怖いと思う以上に悲しく聞いた。この男は、余程自分の子どもが心配なのだ。だからこそ、「魔女」と仇名されるような自分のところまで来たのだ。ヴァルツの人間にとっては、“恐ろしい”魔女のところに来るなど、どんな酷い目にあうか解からないという恐怖が付き纏う行為であろうに。
《………マダラさん。放してあげて》
 ぽつりと、植物にだけ通じる言葉でスズメが言うと、“でも、主……”とマダラが渋るように花弁を揺らした。
《いいの。……大丈夫だから》
“………”
 マダラが蔓を緩めると、男は驚いたように動きを止め、それから慌てて蔓を剥がしにかかった。その横を通り過ぎて、スズメが外に出る。
「お、おい待てッ」
 その腕を掴もうと手を伸ばす男に、マダラが「シャーッ」と威嚇する。途端に、男は「ヒィッ」と手を引っ込めた。そんな遣り取りを目の端だけでちらりと確認してから、スズメは外の木の一本にそっと手を伸ばした。
 無骨な手触り。だが、確かな温もりを感じる木肌。手をあて、次いで耳をあてると、まるで幹の中を隅々まで通う水の流れが聞こえるような気さえする。
《お願い……どうか教えて。この森のどこかに……町の子どもが、迷いこんでいるの……?》
 そう訊ねると、風もなしに梢がさわさわと鳴った。
“我等の主よ……人の子は、森の奥に………古い魔物の巣に………”
「………!」
 スズメの顔が、険しいものになる。そして、不審げにスズメを睨んでいる男に向き直ると、黙ってその腕を取り、森の中へと駆け出そうとする。
「……ッなんなんだ急にっ! 何処へ連れて行くつもりだ!?」
《いいから来てッ》
 滅多にないことではあったが――相手に伝わらないことも忘れて、スズメは音なき声で怒鳴った。その気魄だけは伝わったのだろうか、男は口を噤むと、黙ってついてくる。
  ―――森の、奥へ奥へと入り込んでいく。周りの緑が、どんどん濃くなっていくのがわかった。長くこの森に住んではいるものの、こういった奥地まで来ることはめったに無い。無秩序に伸びている草や木の根、それから突き出た小枝の類――足元を見ている余裕などないが、不思議と足をとられるようなことはなかった。むしろ、スズメが踏み分けた場所を走る、後ろに続く男の方が、先から小さな悲鳴を上げている。
《あ……》
 木々が途切れ、急に視界が開ける――丸盆のように開けたその場所には、一際大きな木が佇むように立っていた。太く、無数に張り巡らされた根……そこには、幾つも絡めとられ捕まっている“獲物”の姿があった。その殆どが、森の獣――干からびたものもあれば、まだかすかに動いているものもある。それらの中に紛れるようにして、人間の子どもが一人、やはり根に絡みつかれていた。
「リド……!」
 男が、それを見るなりスズメの腕を振り切り、慌てて駆け寄ろうとする。止めようかと瞬間迷うが、緩く首を振るとスズメも男を追った。
「リド……リド!」
 まるでうわごとのように子供の名を繰り返し呼ぶ男。それを、スズメは僅かに眉を寄せながら見た。唇をぎゅっと噛み締め、傍に寄る。そうして初めて、息はかろうじてあるものの、子供の顔色がだいぶ悪いことがわかった。急がなければ……。
「リド……っくそ、この根、外れねぇッ。……おい、魔女っ、なんとかしろっ……ぅわっ!」
「……!!」
 子供に絡みついていた根を必死に引き剥がそうとしていた男にもまた、新たな根が絡みついていく。男の腕に、足首に、首に……。
《っやめてッ!》
 スズメは男の首に巻きつこうとしている根にしがみ付くようにしながら、巨木に向かって声を上げた。
《この人は、自分の子を助けに来ただけよっ。貴方に害を与えたりしない……この人と、この人の子を離してあげて! お腹が空いているのなら―――代わりに私を食べても、構わないから……ッ》
“………主にそのようなことをしたら、我が他の者どもから怒りを買う……”
 しわがれた声が、頭に響いた。はっとして顔を上げると、幹の一部が、めきめきと音を立てながら盛り上がっていく。それを、根に抱きつくようにしたまま見ていると、幹に老人の顔が浮き彫りのように刻まれた。


>>続く

終わり無き冒険へ!