Novel:08 『小夜嵐』 3/4

 遠くから魔法を使う気配がしていた。
 人と魔物とが争う声。
 酒の肴にするには少々気が利きすぎているというところだろう。ジルは空になった酒瓶を草の上に転がした。
 吹いてくる風に運ばれて来たのか、冷たい雨が少し頬に当たる。
「御主はどのような場所に住んでいたのじゃ?」
「珍しいね、エラムがそんな風に聞くのは」
「何じゃ、秘密主義と言うわけでは無かろう」
「情報はタダではないというのは君の口癖だったのではないかね」
「友から金をせしめるつもりか?」
 友というのを否定したのはそちらが先ではないかと言おうとして止めた。
 先刻騙すような事を言ったのだからこれでおあいこだろう。
「私の故郷はここと余り変わりないよ。人がいて、国があって、大地も海も空もある。様々な種族があり、魔法もカガクという学問も存在する。大きな違いがあるとすれば星に定められた者が多くあると言うこと」
「星に定められた者?」
「私のようにね」
 こちらにも占星術というものは存在する。ある街には先を見えるミスティという名の娘がいた。彼女は未来を言い当てる。その占いは時に正確で、曖昧でもある。だからこそ人を導く力になるもの。それでもそれは絶対ではない。幼き少女が口を閉ざしたのは自分の言葉が曖昧な未来を確定してしまうことがあると知っているから。
 占いというのは確定した未来を見るわけではない。元来はそういったものなのだ。悪い未来ならば回避するために、いい未来ならば悩んでいる者の背を押すためのもの。
 だが、ジル達の使う占星術は人を導くものではなく定めるもの。定められた運命は多少の差違はあったとしても結果的に同じ所に行き着く。まるで誰かにそれを仕組まれているかのように。
 それが星の定め。
 ジルに永遠にも似た命を与え縛り続けたもの。
「私はその星に定められて長い命を得た。その分、成すべき事が大きいけれど」
 あの世界は本当にそうやって出来ている。
 流れを断ち切るために逆らって動き始めたのはジル達だ。本来ならば滅びる世界を救い、ただ一握りでも生かそうとしている。
 それは今までに無かった歴史。
 神すら知らない、新しい未来。
 おそらくその未来をミスティに尋ねても分からないと答えるだろう。それに大きく関わるジルの未来も彼女には見えない。彼女の力が確かであればあるほどジルの未来は真っ白で見えないものになるのだろう。
 ほんの僅か先なら見えるだろう。吉兆かそうでないかという兆しは見える。
 けれどそれ以上先は無理だ。
 完璧では無いけれど星を救えるかもしれない可能性をジルが見つけた時点で、確定されていた滅びの未来は曖昧なものに変わった。
 だから誰にも分からない。
 力が曖昧なものはジルの未来に終末を見る。だが確かな者なら見ることは出来ない。
「……もし」
 ジルは暗闇の向こうのエラムを見る。
「もし私がここで故郷に帰ることになって、君を誘ったなら、君は一緒に来るかね?」
「ジルの故郷へか」
「そう、沢山という訳ではないけれど不老の者もいる。もしかしたら君の方が先に老いて死ぬかもしれない。でも少なくとも私の故郷では不老長命の者を迫害はしない。小さな場所では分からないが、少なくとも呪王の領地ではそれがないと約束できる」
 ジルは目を細めて笑った。
「一緒に、来るかね?」
 答えは多分初めから知っていた。
 今まで何度も彼と出会い、そのたびに少し変化していく彼を見ていれば嫌でも分かるだろう。
 でも、問いかけずにいられなかったはおそらく、ジル自身の迷い。
 少し返事が遅れたのは彼も悩んだからだろう。
 絞り出すようにエラムが言った。
「……分からぬ」
「分からない?」
「分からぬのじゃ! もしも!」
 彼は早口でまくし立てるように言う。
「もし、御主と出会った頃にそれを聞かれていたなら頷きもした。じゃが、頷こうと、一緒に行こうと言葉にしようとすると詰まるのじゃ」
「どうして」
「分かればこんなに苦労はせぬ! おそらく御主と行けば我は平穏に暮らせる。御主の言う故郷を救う手だてを考えるのもまた一つの道かもしれぬ。こちらにいるよりは随分と有意義な時間を過ごせるのかもしれぬ。でも、頷けない。ネメシスのこともあるが……多分、それだけではないのじゃ」
 ジルはくすりと笑って酒瓶をエラムに向かって投げる。
 受け止めて、エラムが酒を煽った。
「メル」
「何じゃ」
「君、人間が好きだろう」
「!」
 ごほ、とエラムが酒を吹き出し掛ける。
 気管支に入ったのだろうか、ごほごほと咳き込みながら恨みがましい目でジルを睨め付ける。
「な、何を突然言い出すのじゃ!」
「前に私は君が人間不信なのだと言ったけれど、不信というのは信じたいという感情があることを前提に言う言葉ではないかね? 裏切られて、傷つけられて苦しいのは相手を好きである証拠。君が臆病なのは人間が好きだからだろうね」
 厳しい視線がジルを見る。
「臆病、臆病とよくもそのような暴言ばかり! 御主はどうなのじゃ。臆病で無いと言えるのか? フィーナを正式に弟子に招かないのも御主が臆病だからではないか」
「そうだよ。臆病なんだ、私は」
 ジルは素直に頷く。
「臆病でない人間などいないよ」
 だからこそジルにはエラムが人間に見える。
 傷ついて、再び傷つくのを恐れて人との距離を保っている間に付き合い方を忘れてしまったただの人。
「君が‘人の愚かな歴史を脳に刻むため’に旅を続けているのも、或いは期待をしているのではないかね?」
 良い意味で裏切ってくれる人間が現れるのではないかと。
 愚かだ、滑稽だと思っている人間達の中で自分の心を揺り動かすほどの存在が現れてくれるのではと期待をしている。今までの自分の考え全てを否定されるくらいの人が現れるのを期待している。
 エラムは肯定とも否定とも思えるような顔で言う。
「それは御主が勝手に思っている事じゃ」
「そうだよ。私は君が人間が好きだと信じたいんだ」
「全く、御主は甘すぎる」
 肯定なのか否定なのか分からない言葉。
 でも、ジルはそれが肯定であると信じたかった。

>>続く

終わり無き冒険へ!