Novel:06 それは至極当然のように『遭遇』 2/6
鬱蒼とした森は前に訪れた時よりも闇の気配が強くなっていた。
元々闇の魔法を得意とするジルにとって、闇の気配は心地のいいものではあったが、まとわりつくような気配は同じ闇でも随分質が異なる。
言うなればジルの使う魔法が暗闇ならば、この森は陰鬱。
その濃い気配は森の至る所から流れ出ているような気配があった。
「………道を」
ジルは地面に手を突いて軽く眼を閉じる。
意識を集中させると僅かに道を示す流れが見える。それに従うように彼は歩き始めた。やがて彼は少し開けた場所で足を止める。
森の中腹くらいだろうか。
拍子抜けするほどあっさりと見つかったそれは巨大な魔法陣だった。一見すれば働いていないように見えるが、ジルが手をかざすと彼の魔力に反応をするように急速に動き始める。
魔力を持った動物が通れば作動する仕組みになっているのだろう。闇の気配が強くなるに連れて魔物達が集まってきたと言うところだろか。
(いや、違う)
ジルは首を振る。
確かに森に漂う闇の気配はこれも原因だろう。
だが、他に確実に別の気配があるのだ。
(魔物がいる……)
強い魔物の気配がする。
それは辺りを漂う闇の気配にかき消され分からなくなっている。恐らくこの巨大な魔法陣は闇を生むためのもので、恐らく他のどこかに別の魔法陣がある。それを利用して異界から魔物の召喚したのだ。召喚し続けていると言う方が正しいだろうか。
魔物の数が急激に増えたと言うことはどこかに扉を開いているといことになる。魔物を呼び出すほど大きな召喚術を使ったのならばこの近くを通った魔術師の誰かが気付くはずだ。気付かなかったということは恐らく開かれた道は小さい。
そうなれば可能性があるのは一つ。
ジルは小さく舌打ちをした。
(知れ者が、卵を召喚したか)
魔物の卵は厄介だ。
場合に寄ってはその匂いにつられて他の魔物を呼び寄せることにもなりかねない。
まずは一度この巨大円を閉じておく必要があるだろう。そうでなければ他の魔物の気配が探れない。
ジルは立ち上がりぱちんと手のひらを合わせた。
慎重に魔法を組み上げていく。
組み上げられていく魔法に反応するように魔法陣が青白い光を放った。
「‘蒼き扉の番人よ 流離する力を捕らえ 此を静寂となせ’」
言葉に力が反応する。魔法陣の上に新たに魔法陣が書き込まれるように異界の紋様が書き込まれる。やがてその紋様は先に描かれていた紋様と融合し、徐々に光を失っていく。
やがてその魔法陣は力を失い、地面の上にただ描かれているものだけになった。
同時にそこから生み出されていた闇の気配が少しずつ薄くなっていく。
ジルはしゃがみ込み魔法陣を描いていたものに触れる。
魔法の形としては珍しいものではない。少々大がかりではあったが、一人の人間ややって出来ないこともないレベルだろう。ただ少し気になるのは魔法陣を描いているもの。直接刻み込むことが出来ない所では大がかりな魔法陣を描くとき、特殊な砂や筆を使う。その使うものによってある程度魔術を学んだ流派が絞られてくる。
円を描いていたそれは白い砂のようでもあったが、ガラスを砕いたようなものでもあった。サラサラとしているが一粒一粒が結晶になっており、光に当てるときらきらと輝いていた。
(調べてみる必要があるか)
ジルは白い砂をひとつかみ布袋に入れ懐に仕舞い込んだ。
がさり、と何かの近づく気配を感じてジルは顔を上げた。
何かがいる。
獣でも魔物でもない。恐らくその気配は人。
がさり、と近くの茂みが動いた。
少年だった。先刻ギルドの外まで自分を追って来た少年だ。
彼はジルを見るなり好戦的な笑みを浮かべた。
「アンタが‘不死身のジル’か? 随分、探したぜ」
ジルは瞳をすっと細くした。
やはり自分を追って来たのだ。
シウ一門の者かと一瞬思うが、それにしても魔力の気配が感じられない。背負った大振りの長剣から察するに彼は剣士だ。年頃としてそれなりに実力も付き自信を持ち始めた位の年齢だろう。過信して強い相手に勝負を挑みに来たか、あるいは自分を倒して名を上げようとしているかのどちらかだろうと思う。
「不死身……確かに私をそう呼ぶ者もいるようだね」
確かにジルはこれまで幾度と無く生還が絶望視される状況で生き残ってきた。だがそれは運が良かっただけのことだ。不老長命であるのは認めるが、いくらジルでも首を落とされれば死ぬ。けして不死ではないのだ。
少年はにやりと笑いを浮かべた。
猛勇な印象の笑みだ。
「へぇ、否定しないところを見ると、本物だな。アンタ腕に覚えがあるんだろう?」
「……」
「勝負だ‘不死身のジル’!」
ジルはゆっくりと剣の方へ手を伸ばす。
「やれやれ、勝負かね? それは難儀な……」
正々堂々と勝負を挑んでくるだけまともな方だろうか。
「私に勝ったところで何の自慢にもなるまいよ」
挑発にも似た言葉を呟きながらジルは剣を抜いた。
正確には外したと言う方が正しい。ジルの剣は元々鞘がない。柄から刀身まで全て金で出来ていて刃も作られていない。
その剣を見て少年は鞘から抜いていないと思ったのだろう。一瞬険しい表情を浮かべた。
「アンタ……っ」
少年が口を開いた時だった。
辺りにいた鳥たちが一斉に飛び立った。
「魔物か?」
ずしん、と地鳴りが聞こえた。
少年の瞳が魔物の姿を捕らえ大きく見開かれる。
巨大な魔物だった。
人に似た形をしていたが、明らかに異質な程大きく、身体は鱗と鬣で覆われていた。その周りを複数の魔物が飛び交っているのが見えた。
これだけの大きさならば森に入る前に気が付いてもおかしくない。だが、ジルがそれに気が付かなかったと言うことは。
「……馬鹿者が、森の中に潜んでおったか」
ジルは奥歯をかみしめる。
これは自分の落ち度だ。
魔物の存在を隠すための呪術が破られた事で焦った者が慌てて召喚術を使ったか、魔物を巨大化させたか。
「全く、自分が情けない」
「アンタ何をぶつぶつ………!? 街の方に向かってる……っ」
少年の顔色が変わった。
ジルは穏やかに言う。
「少年よ、まずはあれを倒すのが先決と……おや」
「当然だ! 行くぞ!」
言い放った少年はジルの言葉が終わるよりも前に駆けだしていた。
ジルはほんの僅か笑みを浮かべる。
何も聞かずに走り出すのは少々無鉄砲だろうか。
それでも考えるよりも前に街を助ける為に走り出すというのはなかなか出来るものではない。ましてあれだけの巨大な魔物を目の前にして怖じずに挑める者もそうあるものではない。
(やれやれ、少々思い違いをしていたな)
ジルは少年の背を追いながら笑みを浮かべる。
もっと若さ故の傲慢さがある少年のように見えた。
(あの少年、なかなか見所がある)
>>続く