Novel:05 落ちた篝火『陽の光の中で』 4/4

 デュナンがその報せを聞いたのは父が戻って十日ほど過ぎた時だった。
 フィーナの住んでいた街からの依頼である。
「……お受けしてもよろしいのでしょうか」
 窺うように尋ねると、彼は柔らかい笑みを浮かべた。
「今の当主は君だよ」
 自分に伺いを立てる必要などない、そう言う言葉だった。
 シウ家の方針としては来た依頼は出来得る限り引き受けることになっている。当主としてはすぐに頷きたい所だったが、父から簡単な経緯を聞かされていたデュナンは、彼が見捨てろと言ったのならば依頼を受けないつもりでもいた。デュナンにとっても街の者の言い分は腹立たしいものだったのだ。
 だから余計にほっとしたのかもしれない。
 渋い顔をせずに微笑んで見せた父親にデュナンは頭を下げた。
 シュゼルドの立場はデュナンの「血の繋がらない息子」と言うことになっている。デュナンがそうだったようにシウ家を継ぐ立場の者としているのだと直接触れた訳ではないが、創始者の名を名乗ったと言うことで周囲にはそう判断されたようだ。
 人のいる前でこそデュナンは彼に対してぞんざいに接したが、二人きりともなるとやはり昔のような態度になってしまう。自分は甘えているのだろう、とデュナンは思った。
「では、あの街に呪師を派遣します」
 強力な魔除けの結界を貼って欲しいという依頼だった。
 近くの魔術師に簡易的な結界を貼ってもらったが、それでは心許ない、というのが街の者の考えのようだ。
「父上はあの所業をお許しになったのですか?」
 デュナンは尋ねる。純粋な疑問だった。
「赦すという問題ではないだろうね。大人になって正しい判断が出来るようになったフィーナがするならともかく、これ以上私が手を出すことではないよ」
 穏やかに言ってはいたものの酷く腹を立てているのは分かった。ただ、それはシュゼルド自身が腹を立てているだけであって、報いを受けた街に対して更に何かをする気にはなれない、そう言う言葉だった。
 もっとも、これほど忠告したのにもかかわらず万が一にももう一度同じようなことがあったら、彼のことだ、容赦はしないのだろう。
 この人は、筋の通らないことを嫌う。
「フィーナの後見には私が立ちましょう。シウ一門が責任を持って育てさせて頂きます」
「全く、良くできた息子だね」
「貴方に育てられましたから」
 そう言って笑う。
 不意に、外に気配を感じた。
 バタバタと慌てたような足音と、引き留めるような声が聞こえてくる。
「いけません、フィーナさん。そちらは師父の……」
 出入り口はあるものの、扉はない。
 そこから小さな少女が顔をのぞかせた。
 男が慌てたように頭を下げる。
「すみませんっ……今連れて……」
 男が言い終わるより先に少女がどこかまだおぼつかない足取りで部屋の中に入り、椅子に腰をかけた状態のシュゼルドの足を強く抱きしめる。
「それでは立てないよ、フィーナ」
 困ったような口調だったが声音は優しい。
 フィーナはよじ登るようにシュゼルドの膝の上に座り、今度は胸元に抱きついた。子供にしてはまだ表情は乏しい。だが、確実に初めてここに来たときよりもほぐれた表情でシュゼルドに甘えた。
 彼は苦笑しながら彼女の髪の毛を梳くように撫でた。
「仕方のない子だね。ここまでの道を覚えてきたのかね?」
 少女は躊躇いながらも自信たっぷりに答える。
「うん、おぼえてきた」
「短い間に良く覚えたね、君はとても良い子だ、フィー」
 それは貴方がここにいるからだ、と言いかけてデュナンは口を押さえる。
 少女が、ここに来てから一度も笑顔を見せなかった少女が、ほんの僅かの間であったが微笑んだのだ。
 胸を締め付けられるようだった。
 それは人目もはばからずに甘えられる彼女に嫉妬したからではない。恐らく昔の自分を見ているような気分になったのだ。
 あの頃の自分は少女のようには素直でなく、不器用な甘え方しか知らなかった。甘えてみたり、時には癇癪を起こして噛みついたり、挙げ句彼が護身用として持たせたナイフで刺し殺そうとさえした。ナイフはベルトの留め金で弾かれたが、あるいは本気で刺されるつもりだったのだろうかとも思う。その事件があってもシュゼルドは自分から武器を取り上げたりはしなかった。
 今考えれば恐ろしいことだ。
 それに自分が彼の立場なら子供を警戒しただろう。
 それなのに全てを許容してしまった父。
 少女には分かるのだ。この人が苦笑いを浮かべながらも受け止めてくれる。悪いことをすれば叱ることもあるが、認めて謝れば赦してくれる。絶対に自分を嫌ったりしない人だと。恐らく少女は無意識だろうが、その本質を理解したのだ。
 この子は見失わないだろう。
 例え道を照らす篝火が落ちたとしても、この子は道を見失わない。迷ったとしても必ず見つけることが出来る。
 デュナンは眩しいものを見るように目を細める。
 闇を遣う人なのに、優しく穏やかで、周りを導く光となる人。
 それを見つけた少女は例えどんな状況下に置かれたとしても大丈夫だと思った。有り余る魔力を暴走させて、人に危害を加えたりしない。
 そしていずれこの子が道を照らす光になる。
「フィー、近くの街に出かけようと思うが、君も来るかね?」
「………」
 怯えているのだろうか。
 あの街の人間に追い出された時のように、心ない言葉で傷つけられるのでは、と。
 否、恐らくそれもあるだろうが、一番は自分と一緒にいることでシュゼルドが傷つくのではという気持ちなのだ。この子の根底にはどこか自分は呪われた子供なのだという気持ちが渦巻いている。大人しく街を出てきたのも、あれ以上街に迷惑をかけたくなかったからだ。
 シュゼルドが笑う。
「優しい子だね。心配することはないよ。私に遠慮することもない。それとも私と出かけるのはいやかね?」
 フィーナは慌てて首を振る。
「いやじゃない」
「そうか、なら一緒に行ってくれるかね、フィー?」
「うん、行く」
 抱き上げて、父が言うと幼い子が答える。
(……かなわないな)
 どんなに自分が年を取って、名声を重ねたとしても、例えこの人が得た呪術よりも優れた呪術を得たとしても、この人だけには一生敵わない。
 デュナンは微笑んだ。
「気を付けて行ってきなさい」
 悪いことはその人が全て払ってくれるから。
「夕刻にまでは戻るのだよ」
 太陽の光が道を照らす。
 この人が自分の太陽なのだと、デュナンは深く感じていた。



ジル・フィーナ
文:みえさん。

終わり無き冒険へ!