Novel:02 『ある日ある夜の物語』


   世界は広くて、とても狭いと誰かが言った

   矛盾でできたその言霊はまるで当たり前かのように脳の片隅でうずくまっていた


「なぁにしけたツラしてんだよぉーー」
「止めてくだされ、我の頭はあまり硬くは無いのじゃぞ」
 酒の匂いが漂った酒場。数ヶ月前までは硝子ごしに眺めていたかのように朧に映っていた世界も、今では鮮明に視界へと飛び込んできていた。
 リーにぬれたビールジョッキを頭にぐりぐりと押さえつけられていたエラムは手でそれを弾くと椅子から立ち上がった。
「我には酒はあわぬ。少々夜風に当たってくる。」
「いってらーー」
 めんどくさそうにそういったリーはエラムが頼んでいた生魚の料理を器用にナイフの上に乗せるとそのまま口に放り込んだ。
 それでもまだ胃袋が満たされていないようでお粗末なテーブルに並んだ酒瓶数本をみて眼を輝かせた。いくら酒に強いリーでもアレだけ飲んだ後にまた飲むのは体に悪い。
「御・・・」
 御主も少しは酔いをさませ、そういおうとおもったがやめた。自分はそういう性格ではないと自負しているからだろうか。「お前らしくもねーー!」と笑われて終わるだろうと想像は付いている。
 エラムは二階建ての酒場に取り付けられたベランダへと出た。
 分厚いカーテンによって窓がさえぎられている為、始めてきた人間にはベランダがあるとは気がつけない。エラムもリーが連れてきてくれるまでは解らなかった。ついでに言うと人が出入りしてもカーテンはその重みで床についてしまうので出入り口はまたも隠れてしまっている。
「我も随分とお節介になったようじゃの」
 これが俺の船だと叫んだリーの顔を思い出して噴出してしまった。ベランダに備え付けられた心許ない手すりに体重をかけて下に広がる海と、その上を我が物顔でふんぞり返るロカターリオ号を眺める。
「君にはあわなかったのかね?」
「・・・ジル・・・」
 マントを脱いで上から誰かから借りたであろう毛布を羽織ったジルが酒瓶片手に近寄ってきた。
「この毛布かね?これはフィーナが潮風はあまり身体によくないからと・・・」
 酒のせいなのか、もしくは宿屋で寝息を立てるフィーナの話をしだしたからなのか、彼の頬はほんのりと赤くなっていた。
 もう夫婦になってしまえ、らぶらぶカップルめ。
「ルヴァとかいう娘の歓迎会はどうなったのじゃ?」
「なにをいうか、随分前に終わったであろうに。」
 あっそうじゃったの、とエラムは一人ごちた。十九歳以下には宿屋へ行かせて寝かせたのをわすれていた。今は二十歳以上の飲み会と化している。
「あの娘は好かん。髪が青などとチャラケタ色をしおって・・・」
「君の緑色の髪も十分チャラケテいるようだがね。」
「・・・あの娘は無口で・・・」
「あの娘御はそういう子なのだよ。君はどうだったのかね?私と始めてあった時はかなり無視をしていてくれたようだがねぇ」
「うっうるさい!!我もあの時は色々とあったのじゃ!!」
 エラムはジルの酒をひったくるとがぶがぶと一気飲みをした。口から溢れた液体がシャツを湿らすがそんなのは気にしない。
「・・・御主は怖くは無いのかのう・・・?」
「なにをかね?」
 空になった酒瓶を後ろへ投げ出すとエラムは人差指で瓶を指さした。瓶は指の高さで止まるとくるくると回転し始めた。
「世界は我がこうしている間もまわっておる。人の悪意も、憎悪も、狂喜も。彼女が今は我らと笑っていても、いつかはあの銃口を向けてくるやもしれん。それが怖くてたまらんのじゃ」
 エラムが人差指を引っ込めると瓶は力を失った人形のように床に落ちた。大小の様々な形をした破片を撒き散らして瓶は割れた。
「我が幸せと思っていた世界もやがてはこの瓶のように砕けてしまうやもしれん。そのときは我が皆を傷つけないようにそやつを殺すが・・・・その後我はミルドなどに合わせる顔がなくなってしまうのではなかろうか?」
「君は本当に臆病だね」
 臆病、そうなのかもしれない。馬小屋でうずくまって村人から自分の身を守ろうとした時、やつらを自分で殺そうとすれば手元の丸太で殴りつける事はできた。しかし、今まで笑いあっていた日常を自らの手で壊すのが恐ろしかった。

 それを臆病以外の言葉でどうやって表すのであろうか。
「良く言えば用心深い。悪く言えば人間不信。君はどちらかと言うと人間不信だと思うのだがね」
「我は人間不信なのじゃ。自分で常々そう思っていたほうが他人から言われたときに気が楽じゃ。」
 エラムはそういうと砕けた破片を踏みつけた。パリパリと音をたてて粉になっていく硝子を見ながらどこか悲しそうな笑顔を浮かべた。
「御主とあってから何年が過ぎたであろうか・・・?あの頃と変わらぬ姿を持つ我と御主、もう、人間ではないのかもしれぬな。」
 足を上げて残りの破片を砕いていく。耳障りな音とともに粉になる硝子。そのなかでも砕ききれなくてエラムの頬へと飛ぶ破片は魔法で蔽われた結界のおかげでエラムに当たる前に消滅する。
「エラム殿、私達が人でなくても・・・」
 一心不乱に踏みつけるエラムを見てジルはためらいがちに彼をなだめようとした。

「ぎゃんmんvがおふぇkwlk、dkうぇ」

「「!?」」
 人では発することが出来ない音階で構成された悲鳴に似た方向。
「エラム殿!!」
「わかっておるわ!!!」
 二人はベランダから飛び降りた。下から吹き上げる風によってジルの羽織っていた毛布が一瞬月を隠してからどこかへと飛んでいった。しかし、二人はそんあことは気にしなかった。
 二階から飛び降りたというのに音すらもたてずに地面に着地したジルとエラムはあたりを見回した。月によって照らされた海はゆらゆらと揺れ、ロカターリオ号のシルエットにへばりついたもう一つの何かを確認した。
「ししょぉ!!」
「フィーナ!!?」
 金髪の少女が自らの師のところへと駆け寄ってきた。服は海水で重くなり、可愛らしくまとめてあったツインテールも力なく垂れている。
「ししょー!遅いですよもう!!もうわたし達だけだともちませんよぉ」
「わかったよ。フィーナ。だからもう離してくれないかね?」
 ぎゅーっとジルの服にしがみついたフィーナは半べそになりながら海のほうを指差した。船にへばりついていたシルエットは飛び掛ってくるいくつもの影に触手を伸ばして対抗していた。
「・・・」
 エラムは目を細めて影を見つめた。この距離では影の主顔がよく解らない。
「ニックルにウォルター、ミルド、テオフィル・・・んでもってルヴァといったところかのう?」
 エラムはジルからフィーナを引き剥がすとジルを立たせた。フィーナが軽く悲鳴を上げていたが気にしない。
「御主は人を呼んで来るのじゃ。我は時間稼ぎをしてくる」
「・・・それは難儀な・・・」
 たしかに、酒を飲んだエラムの身体は火照っていて魔法を扱えるか解らない。その上、例えジルが大人たちを呼べても大半は酔いつぶれていて戦う事はできないだろう。でも、かけるしかなかった。
「難儀なことにもまずは挑戦せんとなぁ」
 エラムはケタケタと不気味に笑うと紫の髪留めを抜いた。
「では、私は行くぞ」
「さっさと行ってはくれぬかのう・・・」
 エラムの言葉を聴いて少しムッとしたジルは渋々といった様子で酒場へと走っていった。それを見送ってから一息つくとエラムは髪から海水を絞っているフィーナへと視線を向けた。
「フィーナ御主はちと魔力を使いすぎておる。これで回復しておくべきじゃの」
「は、はい。」
 荒く息をついたフィーナは髪留めを握った。
 あの髪留めにはいつもエラムが魔力を貯めておりいざという時にそこから魔力を頂戴する。黒と赤の髪留めは最近使ってしまったばかりであまり魔力がたまっていない。フィーナのように魔力が膨大な人間には今最も魔力がたまっている紫が的確だと判断したのだ。
「我も行かねばな」

 鋭くとがった右手を左手に食い込ませ、紅い鮮血が宙を舞う。
「ガアアアアアアア!!!!」
 獣人ニックル、己の血により呪いを解除し、人の姿捨てて完璧なる獣となる。獣の姿の方がはるかに戦闘能力は上がるのだが必ず負傷しなければならないという欠点がある。それを自ら実行したということは何かしらの理由があるのだろう。
「テオフィル、アレはなんなのじゃ!?」
「わかりません。恐らく海の生き物かなにかが巨大化しただけだと思いますが、でもあのままだと船が沈められてしまうので・・・」
 エラムは軽く舌打ちをすると両手を肩の高さまでにまで掲げて呪文を紡ぎだした。敵に飛びついている仲間達をきづつけないように調整をしながら。
「足下で眠る土塊の鬼神よ。頭上で暴るる愚か者に粛清を。今もって、契約を成し遂げてみせよ!」
 足元に広がる緑の魔法円。それがいくつも広がると冷たくなったアスファルトが盛り上がり、人型となる。眼も鼻も口も無い子供が作った泥人形を大きくした様な物が魔法円の数だけ出来上がっていく。
「多少は時間稼ぎになるじゃろう。その間やってしまうのじゃ!!!」
 そう叫んだ後、膝が力をなくしてカクカクと笑い出す。
「ぎゃあgんぢfねwmksdmんfjうぇ」
 それを好機とみたのか、ニックルやミルド、ウォルターの攻撃をまぬがれた触手がエラムへと伸びる。
 飛ぶ銃弾がその触手を引きちぎった。正しく言えば弾けとんだといったところか。
「ルヴァは貴方を援護するのだ」
 何処からか取り出したリボルバーを片手に紅いマフラーの少女は無愛想に呟いた。
「ありがたいな」
 正直こんな娘っこに助けられるのは癪にさわるが今はそれどころではなかった。酔っているときに魔力をいきなり使ったからか足が小刻みに震え、立つ事すらままならない。それでも呪文を紡げるため、直接攻撃を繰り出す仲間の手助けくらいはできる。
「ヴヴヴヴヴ!!」
 獣となったニックルが鋭利な牙で触手に噛み付いた。触手はニックルをはらうように揺れるがニックルはしがみついていた。
「だああああああああああ!!」
 ウォルターは金色になった瞳を爛々と輝かせて鎖鎌を投げつけた。うまく触手に引っかかったのを確認すると手元の鎖を力強く引っ張った。
「kdgなおいえなんkm」
 赤とも緑ともいえぬ液体を振りまきながら耳障りな悲鳴が夜空に響く。
 悲鳴の発信源へと土で作られた人形は吸い付くように走りこみ、そのレンガの角が見え隠れする腕を振り下ろした。
 ミルドが耳に残る悲鳴や気合のこもった絶叫を聞いて呆れたようにいった。
「近所迷惑な奴らだこと」
「君に言われたくはないんだけどね」
 そんな他愛の無い会話をしている間にも剣を握った腕や鎖鎌は的確に触手へと動いていく。エラムも視界がききにくいことを考慮して二人の武器の軌道を魔法により修正しているがそんなものが必要に無いほど二人の攻撃は精確である。
「お二人とも早く倒して寝ましょう。」
 今までエラムの隣で援護をしていたテオフィルはルヴァにその仕事を任せて鎌を握りなおした。さながら死人の魂を狩る死神のように口元を歪ませた。
「御主の笑顔が怖いと思ったのは今日が初めてじゃ」
「右に同じだ」
「僕もそういつまでも甘くないんですよ」
 テオフィルはそういうと走り出した。
 右手を腰の辺りにまで持っていき、勢い良い右手を振る。その手から放たれたのは投剣。
 それがテオフィルへと伸びていた触手を落としていく。それでも落としきれなかった触手から逃れるために身体を捻っていたが触手はテオフィルの額を狙って近づいてくる。
「くっ!!」
 頭をぶち抜かれると思ったテオフィルは足を動かすのを止めようとしたが。
「そのまま走れぇ!!」
「ミルドさん!!」
 重たそうな剣を振りかざしてやってきたミルドはテオフィルを狙っていた何本もの触手をなぎ払っていく。
 それでも残った触手は攻撃対象を変え、ミルドへと伸びていく。
「ああああああああ」
 茶色い塊が弾丸のごとく触手を切り落としていく。右耳の青いピアスがその高度な動きによって揺れていた。
「行かせてもらいますよ」
 テオフィルは速度を落としかけていた足で地面を蹴ると船へとへばりついている怪物へと鎌を振り上げる。
 だれもが勝利を確信したその瞬間・・・
「うるああああああああああ!!!」
 金髪碧眼の男がテオフィルと怪物の間を跳躍するとそのいかつい剣で怪物を切りつけた。

「良いとこ取りですよぉぉ!!!」

 テオフィルの絶叫が海に多少の波を起こさせた。

 場所はまた戻って酒場。しかし、そこはもう酒の匂いではなく、タコを炙ったり焼いたりした香ばしい香りに包まれていた。
 理由はいたって簡単。倒した怪物がタコの巨大化したやつであったからである。
 倒した後に巨大すぎると両手で抱え込めるくらいの大きさに切ると、まだ体力のある者達が汗を流しながらここまで運んできたのである。
 酒場の店長も眼を丸くしてかなり驚いていたが新鮮だというだけで気のおおらかな彼は棚にしまっていた鉈を使ってさばいていった。
 そんな経緯から、エラム達が囲むテーブルの上にはタコの刺身やら味噌汁、揚げ物にスパゲッティ、そのたもろもろが所狭しと並べられている。それでも余ったタコは調理して長持ちするものは貰ったが、残りは料理してもらった代金として酒場へと押し付けた。

「ノクトさん酷いですよ。僕が決着をつける筈だったのに・・・」
「いやはや、貴公の邪魔をするつもりは無かったのだが、ジルが慌てて呼びつけたものだからついつい。」
 照れ笑いを浮かべるノクトはまさに『誰でも打ち解けられるおじちゃん』といったようだ。実際にエラムも知り合って二日で会話をしたり、共に食事をするような仲になっている。
「つ・・・つかれた・・・」
「そうだな・・・今夜だけ酒を許されてても飲む気がしない・・・」
 テーブルに仰向けで倒れているウォルターとミルドは大人組みから今夜だけは、と進められた酒に口をつけようともしない。
「ああ!ししょーあの毛布はどこにやったんですか!?」
 フォークでタコのから揚げを皿に乗せながらフィーナは自らの師へと怒鳴った。
「あ、ああ。何処かへ飛んでいってしまったのだよ・・・」
「取ってきて下さい!!」
「それは難儀な・・・」
「難儀な事なんですぅ!!」
 いつみてもバカップルめ、というかあの二人がああいう事意外で喧嘩していたり言い争っている所を見たことが無い。
「よーーエラムどうだったーー?」
 「はし」という二本の木の棒で刺身を掴んで口に入れていたエラムは後ろからの衝撃で一瞬むせてしまった。いきなり肩を掴むのもどうかと思うが・・・
「酒クサッ!!御主何本酒瓶を開けたのじゃ!?」
「・・・さぁーー・・・」
 わからなくなるまで飲むくらいなら寝ろ。
 エラムの心中を知ってかしらずか、リーはさらに酒瓶を掴んでコルクを指先で弾くとぐびぐびとラッパ飲みをはじめた。エラムもコップに注がれた生温い酒に口をつけた。
「ところで、ルヴァの印象は変わったかーー?」
 肩をいきなりつかまれたときよりも驚きが強かった。口に含んでいた酒が肺へと誤って流れ込んでしまった。
 げほげほと何度かせきをした後、エラムはリーを睨んだ。
「なっななんでじゃ?何故御主がそれを知っておるのじゃ!?」
「海賊に必要なのは好奇心だぜーー」
「だからといって人の話を盗み聞きするのは良く無かろうに。」
 呆れ半分にエラムは肩を落とした。その半分はこいつの前では気が抜けないといった警戒心だろう。
「結構変わったな。あの娘御によって変わったわけではないが、ミルドたちのように種族や生い立ちなど関係なく協力している所を見ると悩んでおった自分が悲しくなったのう。」
 からからと笑うとエラムは持っていたコップを掲げた。
「我やジルがたとえ人間でなくとも、ミルドたちは我を受け入れてくれる、そう考えると我は嬉しくなるのじゃがな。」
「いいんじゃねーーか?別に平和ボケするわけでもねーーしよ。海賊には仲間を信頼する心ってのも必要だからな。」
「我は海賊ではないのじゃが・・・」
「気にするなーー」
 肩を抱き合ってエラムとリーは笑った。
 酒瓶を持ち上げてお互いのコップに注ぐ。たとえ生温くても、舌にべとべとと絡み付いても、今夜の酒はきっと生涯で最も美味かったのだと思う。
 空が白んでも、港で栄えていた酒場は珍しく酒以外の匂いと笑い声が絶えなかった。

エラム・リー・ジル・フィーナ・ルヴァ・ニックル・ウォルター・ミルド・テオフィル・ノクト
作:水鴇 裕加

終わり無き冒険へ!