Novel:03 『爪先』 2/2

 「一年くらい前のことだ。北の方の国、名前は忘れた。戦争中だった。今は冷戦状態が続いているが。南のほうに迂回して抜ければ良かったんだが山があって断念した。なんとかして冬になる前に通り過ぎたかったのであせっていた、さらに北のほうを大きく回って進もうとしたんだが、考えが甘かった。無理をしてでも山側を通ればよかった。それが駄目なら半年くらい長く滞在していればよかったのだ。・・・北の村の門をくぐったとき後悔した。出迎えたのは大きなクモの形を模した魔法生物だった。網で捕らえられて、もうその場では何もわからなくなっていた」
 ずず、と粥をひとすすりする。牛乳ではなく水で作ってもらい、上には半熟の卵が乗っている全体的に薄味でとても美味しかった。
 ひとしきり泣いた後に、アオサがぐしょぐしょの顔を軽く拭った程度の面を下げて厨房の女将さんに病人食を頼みに行ったところ、何があったとひどく心配されたらしい。髪はぼさぼさ、脱ぎ癖のあるアオサのローブはすでに前が乱れていて、親しくなる気のない他人に対してはネコを被る彼は、女将さんから確実に女の子だと思われている。心配されるのも無理はない。隣の部屋も全員出かけていたので何があったかなんか誰も知るはずはない。そもそも何も起きていないのだ。
 上半身を起こしてひざの上に粥の椀をのせ、ゆっくり冷ましながら食べることにした。ベッドの脇のほうには床に直接あぐらをかきながらスプーンを使わず粥をすすっているアオサが居る。なぜ彼も同じものを食べているのかは聞くだけ無駄なのでよしておく。
 「両国共に、優れた魔道の力を保有しており、それらは全て軍事力に費やされている。北よりの地方の国は人形を媒体に数多く生産する特色を持ち、対して南よりの地方では多くは作れないが一体が強力な完全魔法生物を作ることに成功している。しいとちあを捕らえたクモ型のものは南の地方のものだ。低コストでの生産が可能になり量産体勢の整った新型だったらしく、村の人間は全てこれらに捕まったらしかった。北の村に南の手が入ってきている時点で、北は劣勢を強いられていただろうが、そんなことはしいの問題ではない」
 先ほどから自分でも驚くほどすらすらと言葉が出てくる。前々から誰かに伝えたくて何度も頭の中で繰り返していたことだった気がする。
 膨れて赤くなった顔で見上げてきた。口の周りがぬるぬるになっているのもお構いなしで、なんだか可笑しな顔になっている。
 「捕まって、なんかされなかったのか」
 しいの心情とは裏腹にアオサの眉間にはしわが寄ってきている。真剣に心配しているのだ。
 「これからの話が何をされたかだ。何人かの兵の前に連れてかれ、荷物を持っていかれた。しいの箱を開けた兵がばらばらに分解されるのが脇で見えた。ちあに触らせたらああなるのか。と思うとぞっとする。何も考えなかった他の兵が箱の中に悪魔でも飼っているのかと箱を叩き壊した。しいはこの瞬間が一番怖ろしかったが、何も起きず、箱は木片になった。壊されたら、てっきり全て飲み込む闇でも出てくるものだと思っていたのだ」
 わけがわからない。といった顔で部屋の隅の箱と、しいの顔を見比べるアオサ。わけがわからないのはしいも同じだ。
 「大した調査もしないで、しいとちあは服を剥かれて真っ暗な部屋に押し込められた。怖ろしく臭かったので一回吐いた。奥のほうにぬめぬめとした巨大な生き物が居ることがわかった。瞳がわずかな光を反射させている。すさまじい勢いで襲い掛かってきたので逃げようととりあえず駆け出した。何か硬い棒のような物を踏んだはずみにしいは転び、ちあの手を離した。ちあの絶望的な叫び声が響いた。その時しいは死ぬんだと思った。ちあと一緒に。嫌だったけどどうすればいいかわからない。出口は開かない、よくわからないがしいとちあを捕食しようとしている生き物がいる。多分、転んだ棒は人の骨だ。バリバリとその生き物が移動するたび折れる音が聞こえる。しいの足にはその骨が擦れて裂けたため血が流れていた。その生き物は叫び声よりもしいの血の匂いにつられたようで、不定形の触手につかまれたしいは足からそいつの口に運ばれていった」
 まるで他人事のような口ぶりで話すしいをいぶかしまずアオサは聞いている。また泣きそうな口の形になっているが、隠すように粥をすすり始めた。
 「吐くものが残っていたらもう一度出したであろう気持ちの悪い感覚が下半身を包んだ。ちあの叫び声が狂ってしまったんじゃないか心配するほどその時ピークを迎えた。このまま飲み込まれるのか、と思ったのだが逆に吐き出された。わけもわからず地面を転がっていると、数秒待たずしてその生き物は体液という体液を体中から出しながら息絶えた。まるで、毒でも飲んだようだ」
 そう言いながらしいは粥をひとすすりした。逆にアオサは食べづらそうに椀から口を離す。
 「その生物の制御を行っている魔道士たちが部屋の中へなだれ込んできた。後は放心するちあを連れて兵の隙間をかいくぐって逃げるだけ。今思うとよく逃げられたものだと関心する」
 むむむ、とうなりながら椀を見つめるアオサを見下ろしながら、しいは自分の頬がわずかに緩むのを感じた。少しばかり和んでいるらしい。それが奇妙な感覚で胸のところがくすぐったい。
 「あの生き物がメインの生物兵器だったらしく、常に人間から採れる生体エネルギーを摂取させていなければ体が保てなかった、脆くも強い魔法生物だったようだ。しいの中に流れる人工的だが抗魔の血がアレを殺させてしまった」
 それでも魔除けの護符を飲み込んだ位であの生き物は死んだとは思えない。それほどやわな兵器ならばとっくに北側の勝利である。そうとなると、よほど親父が組み込んだ抗魔の力が強かったことになる。
 「いっ君さー、なんでそういう言い方するかなー。おかしいって殺されかけたんだぜ?もっと恨んだっていいだろ主観的に感情ぶつけてくれよ」
 「そういうのは、ちあがするからしいはいい」
 しいが言うと、アオサは椀の端をかじりながら首をかしげる。その後のちあの荒れ方はひどいものだった。
 「・・・・・・、ねねね、もしかしていっ君その時のこと、やじさんのおかげで助かった、・・・とか思ってない?思ってたら平手な」
 上目遣いに脅迫してきた。何が悪い。しいはうなづいてみた。理不尽に叩かれたら叩き返すまでだと思ったからだ。
 下唇をかみながら不満そうににらんでくる、アオサはいきなり自身の頬をひっぱたいた。
 意外な行動に驚いて、木製のスプーンを落としそうになった。
 自分でやっておいて痛そうに頬を押さえている。しいは「なぜ?」と目で聞く。
 「どうせ叩き返されるんだったら痛いのはオレだけでいいさ。いっ君のアホ、ファザコン」
 いつか言われると思ったがついに言われたか。
 「一つ良い事があるとな。ずっとそれにすがってしまう、あの時紛れもなくしいとちあは親父の所業に助けられた」
 「やじさんがそんな人でなければ、いっ君もあーちゃんもそんな変な生き物の前で怖い思いなんかしなくてすんだはずだろ」
 アオサは、しいとちあが父の研究費稼ぎのために大陸を行商して回っていることを言っているようだ。もちろん彼からしてみれば、金は自分で稼ぐもので、親父のことを理解できないのは当然のことだ。
 「それを言うな。親父がそんな人だったから、こうしてアサオと粥を食うことが出来た。アサオの仲間と遊んだりすることができたんだ」
 しいの言葉に、アオサは口をつぐみ目に涙を溜めて「んんー」とうなりながら椀の中に顔を埋めてしまった。まだ涙腺は緩んだままのようだ。
 もしアレがなかったならば、の話はしいは好きではない。数式の話なら別だが、現実にある運命の話は虚しいだけだからだ。そんな話よりも現状を受け入れる努力をすべきだと思っている。
 椀の中を見下ろすと黄色い丸が、まだかまだかと待ちわびている。しいは小さく息を吐いた。
 『俺は、ちあもアサオも母さんも親父も、皆大好きだ。ちあを助けてくれたやや暑苦しい人たちも、みんな』
 照れくさい言葉は母国語で隠して、最後に残した粥の卵を飲み込んだ。
 


 日が傾こうとしていた。部屋のど真ん中でアオサは大の字に寝転がっている。広がった髪の毛が少し不気味だ。
 まさかずっと話に付き合うとは。実のところ適当に話を切って言いくるめて追い出そうと、思っていたのが昨日のことのように感じる。
 ふと、こちらに向けられた左手の傷が気になった。もののついでに聞いてみようかと思い口を開いたが、同時進行で見たアオサの顔がこちらを見ていて驚いてしまった。彼のとろんとした目には不思議な印象がある。
 「この傷ね。ああ、んー・・・別に大した話じゃないって。しめにするほど面白くねーよ?ただこっち、左手が利き手だったってだけだから」
 その傷は対人戦についたか、明らかに人から加えられた傷のように見えた。いくら根がドジだからと言って彼が事故でこんな傷をおうとは思えない。やはり誰かに意図的につけられた傷のような口ぶりだが、それがなぜ利き手と関係があるのか。
 しいの想像力では追いつけない事実があるのだろう。続きを待つように首を傾げて見せた。
 それを見たアオサは、視線を天井のほうに向け、含みのある笑いを浮かべながら喋り始めた。
 「ピーンチ、屋敷に潜入したら変なトラップで利き手の左手が食われた。残った右手だけで錠開けを含む他のトラップはずしが可能か!」
 そういうことか。うかつに聞いてしまったことが申し訳ない。
 「しいにはできない、元より、そんな技術ないけど」
 くすくす笑っている。なんだか怖い。
 「右腕がないおじさんがオレに言ったよ、そんないらない右手なんか切っちまうか、それとも訓練して両方の手で同じ動作ができるようになるか。好きなほう選べくそガキって。極端なんだよ。んで、訓練するって言ったらいきなりグサッだ。下手すりゃ左手がいらない手になるところだっつの」
 苦い言葉を吐き捨てる割には口元は笑っている。彼は賊時代を多く語ろうとしない。聞かなくても話してくるのが修道女と共に過ごした時間なのだが、それらはひどく対照的で悲しくなってくる。
 「これ見っとな、嫌になんだよ。恥ずかしくなんだよ。オレなんかいなけりゃいいのにって思うんだよ。なんでこんな半端なんだろーなー。賊にも戻らねえで、お姉ちゃんたちには恩返しもしねえで、男のオレが女のカッコして町練り歩いて、夜になるとまた仕事で・・・。駄目な男のオレはお日様には見られたくねえんだわ。いっ君がさ、日の光に顔さらしたくないって言ってたとき、驚いたよ。オレも見られたくねえんだ」
 腕を顔の前に交差させて目を隠した。そんなことしたって誰からも隠れることはできないのだ。
 別に太陽信仰なんてそこいらじゅうにある、しいとアオサに限ったことではない。誰だって明るみに出したくないものは持っている。だがそれを見せ合うことは、とても勇気がいることだ。
 「いつか、な。いや5年以内に清算するとしいに誓え。覚えておいてやる。アサオの悔いだ。綺麗になったらしいも親父に文句を言いにいってやるから」
 明らかに不平等な交換条件にアオサは目を見開いてぱちぱちさせた、それから笑い飛ばして「かなわねえなあ!」と言った。
 5年後も仲良くしてやる。という言葉は生真面目なしいにとって怖ろしい呪縛になるだろう、と自分の胸の服を強く握った。ちあとおそろいの鈴がちろちろと小さな声で鳴いた。
 静かな時間の流れを一変させるように、ノックも無しにいきなりドアが開いた。ドアの角がアオサの脳天に刺さり途中で止まる。
 『兄は元気になったのか!?』
 しいにとってひどく聞きなれた母国語が飛び込んできた。半分しか開かないドアから赤い頭が割り込んで入ってくる。勢いをつけてそのままちあは、しいの胸に飛びついてきた。視界が、アオサの頭の色とは違う柔らかな赤で染まる。
 『もういいだろ?私は耐えたんだ。どうして兄はいつも風邪を引いても黙っている?私はそばに居させて欲しいのだ、風邪なんかうつったって構わない!』
 ずいぶん視界の上のほうで、割れたっておかしくない衝撃を受けた頭を抑えて、ふらふらと立ち上がるアオサが見えた。
 『そう思うんだったらな、妹。その発言はフィーナと出かけてから1時間以内で俺のところに戻ってきたときに言えばその言葉に効力が働くようになるんだぞ』
 しいがそう言うと、ちあは動きをぴたりと止めた。
 『楽しかったよな。おでかけ』と、全く嫌味を込めずに言いながらちあの頭を撫で額の髪の生え際に口付けた。
 「にいの・・・いじわる・・・」
 現地語でいまさらかわいこぶりはじめた。別に可愛いからいいけれど。
 「兄妹なかよしー、はいいけどあーちゃん、オレのことちょっとは見てよ」
 む、と口をへの字に曲げると、はじかれたようにちあはアオサのほうへ向き直った。
 「あー、アサオさんがいるー!なぜにかしてちあには理由をわかることがかなわない!」
 『おい、妹。わざとらしく訳のわからない言葉を使うな、癖になるぞ』
 忠告すると、困ったような顔をしながらちあは再びしいのほうへすがってきた。いきなり部屋の中がにぎやかになった気がする。
 『なぜセコイ泥棒である彼が病弱で物静かな私の兄の部屋にいるのか。邪推していいか?彼は兄に何かしていないか確認をとりたい』
 たまにしか聞いた事のない言葉で兄妹が会話するのに困惑したアオサは、軽くちあを指差して「なんて言ってんの?」と聞いてきた。
 「ちあのかわりにしいの面倒を見てくれてありがとう。って」
 とりあえずうそをついてみた。そのまま訳すには問題のある発言でもあるわけだ。
 「ありがとうなら、こっち向いて言ってくれよ・・・」
 しいはちあの額をぴしゃり、と打った。小さく声を上げてから、口を再びへの字に曲げて涙目で見つめてくる。赤い頬を両の手のひらで抑えるように包んで、じっと瞳を見据えた。
 『ちあ、アサオに謝れ。あいつは俺の友達だ。どんなヤツでもそんな風に言われたら気分のいいもんじゃない。お前だって、フィーナ馬鹿にされたら腹が立つよな?立て、立たないんだったらお前の意思が弱い』
 顔を突き放すように開放すると、後ろを向かせてアサオに頭を下げさせる。
 「・・・アサオさん、ごえんなさい。あと、にいのことはありがとう」
 アオサは何について謝られたのかわからず、反応に困っている。
 振り返ったちあの頬は空気でパンパンに膨らまされ、まだまだ不満の残る面持ちでしいのベッドに飛び乗る。しいの胸と言わず腰と言わず頭を押し付けはじめる、ちらっと顔を上げるとアオサをにらんだ。その目は早く帰れ。と語っている。
 こら、としいがその額を小突く。言ったってわかってくれない反抗期だろうか。
 「だって、だって、やだやだぁ。にいは、ちあのにいなの、取っちゃやなの」
 中々この妹は虫のいいことを言ってくれる。自分の感情に忠実に喋るのではなく、この子が物の道理を理解して言葉を口に出してくれる日が来るのを早く早くと願うばかりである。
 「ちあ、・・・ちあ!」
 大きな声で名前を呼ぶと、胸の中でちあがびくんと震え、動きを止める。
 ちあは、しいが出す大声が何より怖ろしいのだ。
 「しいは頭が痛い。熱もある。また少し寝るからちあは、どこか行っていてくれると嬉しい」
 眉をへにゃっと崩し、今にも泣きそうな目で見てくる。小さな声で「でもでもでも・・・」とつぶやいていた。そんな声を出さないで欲しい、だが負けない。
 「いっ君また悪くなってたのか、あーちゃん行こう?ルドさんがじゃんけん勝負の相手探してたよ。遊んでもらおう」
 中々動こうとしないちあを、アオサが引き剥がしてくれた。泣きそうな顔はそのままでアオサに連れられて部屋を出ようとする。
 「アサオはもう少し居れ」
 あら何かしら。とアオサは止まってちあを出してからドアを閉めた。向こう側からちあの泣き声が聞こえたが今が堪え時だ。
 「あーちゃん泣いてる」
 「知ってる。わがままは親父譲りだ。しいはちあの腹黒を心配している。ちあは将来みんなに好かれる女の子になってもらいたい。そのためにはもっと人の気持ちを知らないといけない」
 アオサの口角がにっとつりあがった。
 「オレはいっ君が皆に好かれる男の子になってもらいたいぜ」
 何もかも、全てはお互い様だということか。小さくため息をついた。
 大分疲れた、眠りたいのは本当だったので、横になって布団を被る。そむけた後頭部に声をかけられた。
 「なあなあなあ、いつか近々オレはいっ君とあーちゃんのやじさんふくろさんと会ってみたい。駄目かな。無理かな」
 嫌に楽しそうに弾んだ声で聞いてきた。外にはまだちあが泣いている。ちあにはもっと考える時間が必要だろう。誰もちあに声をかけないで欲しい。
 「実はそこまで実現不可な問題ではない。母は島から出れないが、親父ならば簡単に呼びつけられる」
 意外な答えだったのか、アオサは目を丸くさせた。本人は駄目で元々のつもりで話したらしい。
 「毎週手紙を書いている。母宛に、それさえ出さなければいいだけだ」
 「因果関係がわからない。もっと詳しく頼む!」
 「桶屋の話より簡単だ、予備知識として、父は実際母の尻にしかれている。とは言ってもただ逆らえないだけだが。ここで母への手紙が途切れると、母はしいとちあを心配して、最後に手紙が送られていた場所まで父を無理やり派遣する。もともと親父は大陸出身だ、ここまでくるのにそう時間はかからない」
 アオサはしばらく考えているのか、黙ってしまった。かなり時間が経ってからはじけるような大声を出した。
 「だー!だから、戦場で壊れたはずの箱が直ってそこにあるのか!」
 アオサのくせによくそこまで考え付いたものだ。戦場で何とか逃げ切ったすぐ後、目の前にはどうやってしいらを見つけたのか親父の姿があった。もしかしたらしいの体に発信器なるものが埋め込まれているのかもしれない。
 以前のに比べサイズが少し大きくなった服と、鈴。新しい箱を持っていた。なぜだろう、まるで何もかもわかっているかのようだった。前の箱と同じ空間の穴を作り、品物は全て無事だった。あの時なぜ魔術が暴走しなかったのかはしいにはわからないままだが。
 自分の頬が少し緩むのを感じた。どんな理由があっても母を心配させてはいけないと思っていたのに、今はその親心を利用しようとしている。もちろん道に反した行為だが、アオサが会いたいと言っているのだ。その言葉を口実に少しでも甘えさせてもらいたい。
 「そうか、会えるのか。楽しみだー、なんかひでえやじさんらしいじゃん。なのにどうしていっ君はいい子なのかわかるかもしれないだろ。って建前はこんな感じだけど、本音は人のお父さんお母さんが見てみたい。やっぱさ、町で会う他人のお父さんお母さん見ても全然、実感わかないけど。知ってる子の親見たらなんかオレの両親とか想像できるかなーって思うの」
 「やめとけ、理想の崩壊を招きかねない」
 あはは、とアオサは笑った。窓が開放されて夕暮れの涼しい風が頬を撫ぜる。そちらを見やれば窓枠に足をかけるアオサの姿があった。もうその背中は飛び降りる気満々で。
 「どこへ行く?」 
 「あの世じゃないところさ。もうドキドキしてな。今日のことが嬉しくてたまらないのな。あいつのことも、もうそんなに怖くない。ああ、赤いの一式預かっといて。夜中か、明日取りに来るから」
 あいつとは夕日のことか。と聞こう思ったが、言うだけ野暮なのでしまっておくことにした。
 バッと風が吹いたと思ったら赤い布は床にふわりと落ちていて、後は軽装になったアオサが長い髪を一つに縛っていた。
 「じゃあ、最後に一つ聞いとく」
 男の後姿とは思えないそれに声をかけた。髪紐を口にくわえて「あにー?」と答える。
 「アサオは、なんとか角形って名の付くものでどの形が一番好きか」
 んー、とうなるとしばらく考えているのか、上手く縛れないで困っているのか答えが返ってこない。
 


 「三角。あの安定感にかなうもんはねえ」
 そういうと夕日に染まる赤い風景の中に溶けて消えてしまった。
 ちあの泣き声はもう聞こえてこない。誰かに助けられることも成長には必要か。
 ゆっくり横になるとまぶたを閉じた。こんなにだるいのに、こんなに満たされた気持ちになったのはどれくらい久しぶりのことだろう。
 もう、しいは四角い部屋の中で角ばろうと努力しないで良いのだ。
 四人だけが家族ではない。
 自分の胸にはとくとくと少し早いくらいの速度で震えるものがある。この振動が心地よく、ゆっくりと暗い身の内に意識を引っ張っていく。


しい・アオサ・ちあ
文:イズ

終わり無き冒険へ!