06:ラナの場合 [01]



その一連の騒動は、一通の手紙がこのおれ、ラナ・リッドバーンの元に届いたことから始まった。
今思い返せば、とんでもなく奇妙な話だったと思う。
おれ、よく信じたよな。
これからそれを思い出して話すけど、誰も信じてくれないかもしれないね……








「手紙? おれ宛に?」
軒先でウサギトカゲに昼ご飯の人参サラダを出していたおれは、その話を聞いてまず不思議に思った。
おれの知り合いはみんなソルトーにいるから、用があれば直接言いに来るか、誰かに伝言を頼めば済む。身内が誰もいなくてジドに引き取られたおれは、ソルトー以外に知り合いなんていない。だからこれまで手紙なんか届いた事はなかったから、何かの間違いじゃないかと思ったんだ。
だけど黒獅子族のジドの黒くて大きな手には、これまた真っ黒な一通の手紙が確かに握られていた。
「誰から?」
「……分からん」
誰が書いたか分からない真っ黒な手紙……なんだか不吉だなと思いつつ、おれはその手紙を受け取って眺めた。
表には何も書かれていない。裏返してみてもただ黄色い三日月を象った封がしてあるだけで、あとは何も書かれていない。平べったくて厚みがなく、軽く振っても音がしなかったから、何か危険なものが同封されているということはないみたいだ。
宛先も住所もかかれていないのに、どうやって家に届いたんだろう。手紙配達人のマクスはいい加減なやつだけど、仕事はきちんとこなしている。配達ミスではないと思うけど……
「……これ、本当におれ宛てなの?」
「……違うのか」
そりゃ、誰への手紙なのかも書いていないんだから分かるわけがない。
「ただ……窓の近くに落ちていたから、お前のものだと思っただけだ」
「うーん」
そんなことを言われても困ってしまう。おれは今初めて、この手紙を見たんだから。
おれの手紙だと思ったということは、ジドにはこれに思い当たることがないんだろう。
だとすればマクスの手違いでない限りは、これはおれへの手紙ということになる。
ジドの家には、おれともう一人……人? ではないかもしれない……しか住んでいない。そいつが手紙をもらうなんて事は、多分ないと思う。
「なに難しい顔してダンマリ決め込んでんだよォ、てめぇら」
うわさをすれば何とやら。
得体の知れない開けるか開けまいかで悩んでいると、眠たそうな響きを含んだ乱暴な言葉遣いの声がすぐ足元から聞こえてきた。
見下ろすと、真っ赤な体の小さなトカゲが、腕組みをしてこちらを見上げていた。燃えるようなオレンジのたてがみと上半身に巻いた青いバンダナをなびかせて、鋭い目つきの黄金色の瞳がじろりと睨みをきかせている。
家に勝手に居候している赤トカゲ……ヴァルブラスだ。おれはブラスって呼んでるけどね。
目つきも悪ければ口も悪いこいつは、今の姿は仮の姿で本当は自分は赤竜王ヴァル・ガ・ルードなんだと言い張っている。おれとしてはどう考えても信じられないけど。どんな本にも決まって「偉大で威厳ある精霊の王」なんて書かれている竜王様が、こんなに性格が悪いわけがないと思うんだ。
「昼間っから景気悪くってしょうがねェ。ん? なんだァ、そりゃ」
小猿のような身軽さでひょいひょいっとおれの肩に飛び乗ると、ブラスはおれの持っている手紙を興味津々に眺めた。
「手紙だよ、誰が出したのかも、誰へ出されたのかも分からない手紙」
「何で開けねェんだ?」
「だから、誰へ出されたのか分からないって言っただろ。人の手紙を」
「いいじゃねェか、そいつァ書かないほうが悪いぜェ」
勝手にあけるわけには、と言いかけたおれの言葉を遮って、ブラスは強引に手紙をひったくると、なんの躊躇いもなく封を切ってしまった。
書かないほうが悪いって……そりゃそうかもしれないけど、随分と勝手な理屈じゃないか。
「おい!」
「えェと、なんだって?」
ブラスは捕まえようと伸ばしたおれの手を楽々かわして、ジドのふさふさの茶色いたてがみの上に陣取った。おれの手が届かない事をいいことに、楽しげに手紙の中身を取り出して読み始める。
乗っかられたジドは止める気も無いみたいで、腕組みをしたまま黙って頭上のトカゲに目を向けている。ジドも手紙の中身が知りたいから止めないのかもしれない。かく言うおれも気にならないって言えば嘘になるんだけど。



ハロウィンパーティ開催のお知らせ

来る10月31日
我が「RabbitHome」では 今年も
ハロウィン仮装パーティを催すこととなりました。
持ち物は勿論

少しのお菓子と
少しの夢と

そして
少しの悪戯心

期日にRabbitHomeまで足を運んで下されば、
RabbitHome一同が心より歓迎致します。
常連の皆様も、初めての皆様も
どうぞお誘い併せの上お集まりくださいませ。

合言葉は「Trick or Treat!!


「……なんだァ、こりゃ」
読み終えたブラスが不可解そうにぼやいた。
おれにだって分からない。ハロウィンなんてもの、見た事も聞いた事もなかった。
「なんだと思う?」
「さぁな……パーティという辺り、おそらく祭の一種だろうが」
「祭?」
「おそらくだが……俺も初めて聞く名なのでな」
髭をさすりながら、ジドが小さく唸る。
昔色々な場所を渡り歩いた行商人のジドでさえ知らないというと、どこか遠い所の祭なんだろうか。
「で、そのハロウィンとやらが何だってェんだ!」
手紙を持ったまま、苛立たしげにブラスが地団太を踏んだ。ジドの頭の上で。
おれはため息をついて、ぽつりと呟いた。
「……さぁ……」




行き詰まってしまったおれは、手紙を持って家を出た。
行き先はいつもの場所、町外れのガラクタ置き場……というのは仮の姿で、実の所はバンダナ団の秘密基地だ。
バンダナ団っていうのは、おれの友達のワノってやつが仕切ってるグループで……なんて言ってもたった三人だけなんだけど……特に理由も無く集まっては色々やってるんだ。
一人で悩んでてもしょうがないから、そのメンバーたちの知恵を借りようってわけ。
ブラスはどうしたって? あいつは置いてきた。「ハロウィンとかいうのよりも今日の睡眠の方が大事だ」なんて言ってさっさと昼寝を始めてたからね。ブラスがいると話がややこしくなるばかりだし、おれとしてはその方がありがたい。
「ハロウィン? の意味は分からないけどさぁ、ここに仮装パーティとか、お菓子とか書いてあるじゃん。なんか楽しそうだね」
そう言って朗らかに笑ったのは、バンダナ団員ナンバーその3、猫の女の子のキトラだ。
頭の中で楽しいパーティを想像しているのか、灰色の細長いしっぽを振ってウキウキな様子だ。まだ楽しいパーティだって決まったわけじゃないのに……
「そもそも「Trick or Treat!!」ってなんて書いてあるんだろうな。少なくともこの辺りの文字じゃねえよな」
地面に枝でTrick or Treatと手紙の真似して書きつつ、首を捻っているのは犬顔の少年ワノだ。
バンダナ団リーダーにして自称頭脳担当の彼としては、この手紙の謎をどうしても解明したいらしい。さっきからああでもない、こうでもないと地面に書いた仮説を足でもみ消しては、うんうん唸っている。
「大体さぁ、これ誰への手紙なわけ? ラーちゃんのじゃないなら、マクスに文句言ってつき返しちゃえば良いじゃん」
あたしがいっても良いんだったら喜んでいくのになぁ、なんていいながら、キトラはガラクタの上で足をぶらぶらさせている。
「マクスならさっきここへ来る途中に会ったよ。聞いてみたけど、こんな手紙運んだ覚えはないってさ。差出人の名前も無いから、渡されても困るって言われたよ」
「あの黒ウサギ、職務怠慢だな。……あいつじゃねえとすると、その手紙は直接お前の家に入れられたって事だよな。案外、近くにすんでる奴のイタズラかもしんねえぞ」
「それは……ないと思うけどな」
「何でそう言いきれるんだ」
「だって、ほら」
「……あー、お前の義父さん、コワモテだもんなあ」
なるほどねえ、と腕組みすると、ワノは手近な所にあった椅子に腰を下ろしてふんぞり返った。
椅子は足が一本折れかかっていたが、釘と添え木で補強されているので、少年一人が座ったくらいではビクともしない。薄汚れたグーグルと口にくわえたネジがトレードマークのワノは、ここに積まれたガラクタで何かを作ったり、壊れたものを修理したりするのが得意だった。
「だろう? ジドにケンカ売るような勇気のある人、うちの近所じゃ見たこと無いよ」
おれは肩を竦めて言った。
ジドはとにかく見た目が怖い。黒獅子の一族出身で鋭い赤い瞳をいつでも光らせていて、無愛想な顔で年中押し黙っているのだから、怖くないはずが無い。実際付き合ってみるとそうでもないけど、万が一怒らせたらどうなるか、おれでも分からない。
「じゃあ、何だ? これはマジで、誰かさんからお前への手紙って訳か」
「おれって決まったわけじゃないけどさ」
「でもジドおじさんは違うって言ったんでしょ?」
「そうだけどさぁ」
「……はぁ。訳が分からん」
ワノがばかばかしい、とでも言うように、持っていた枝をぽいと放り投げた。枝はくるくると回りながら、後ろのガラクタにガツンと当たって瓦礫の山の中に埋もれてしまった。
おれだってそう思うよ。でもこんな奇妙な手紙を貰ってしまった以上、せめてハロウィンが何なのかくらいは知りたい。
「しゃあないな。それじゃ、ニライにでも聞いてみるか? あの人なら何かしら知ってるだろ」
「あ、そうか」
ワノが何気なく言った言葉で、おれは初めてその存在を思い出した。
鷲の頭に獅子の体、蜥蜴のしっぽを併せ持つ不思議な旅人の青年の優しげな顔が頭に浮かぶ。
世界中を旅していて、今までにも色々な面白い事、変わったことを教えてもらった。彼ならハロウィンの意味を知っているかもしれない。
おれは大通りの広場に向かう事にした。
彼がいつもウサギトカゲを休ませ、子ども達に世界中の面白おかしい話を聞かせてあげているのは、いつもその場所だったからだ。




「簡単に説明すると、ハロウィンというのはね……夜中に仮装をした人たちが家々を回って、その家の人からお菓子をもらうお祭りなんだ。このトリック・オア・トリートというのはその時に使う合言葉で、カンタンに言うと"お菓子をくれないと悪戯するぞ"という意味があるんだ」
場所によって少しの違いはあるけどね、と言って締め括ると、鳥顔の旅人ニライ・カナイは手紙を丁寧に折り畳んで黒い封筒にしまった。
「夜中にお菓子を? 随分変わってるんだね」
「勿論、意味はあるんだけど……そこまで話すと長くなってしまうからね。とりあえずそんなところで分かってもらえたかな?」
「うん。ありがとうニライ」
おれは返してもらった手紙をポケットにしまいながらお礼を言った。
とりあえず、ハロウィンがどういうものなのかが分かって一安心だ。
世界中のことを何でも知っているんじゃないか、というぐらい物知りなニライならきっと何か知っているだろうと思って尋ねてみたけれど、大正解だった。
おかげで手紙に書いてあった持ち物のお菓子とか、悪戯心とか、「Trick or Treat!!」という呪文のような言葉の意味も分かった。これはそのハロウィンというお祭りへの招待状だったんだ。
でも、一体誰に……? 招待状なら、招待する人間の名前くらい書いてあったっていいのに。
「君が行っても問題は無いと思うよ」
おれの心を見透かしたかのようにニライがそう言ったので、おれは驚いてしまった。
「何で? 誰あてなのかも分からないんだよ?」
「もしかしたら、ワザと書かなかったのかもしれないよ。たとえば……誰でもいいから、これを最初に見つけた人に来て欲しい、とかね」
「そんなことってあるのかな……」
「それをもらったのも何かの縁だと思って、参加してみたらどうだい。ハロウィン、気になるんだろう?」
「まぁ、そうだけど」
「じゃあ決まりだ」
青の目をいたずらっぽく輝かせて、ニライが言った。
よく分からないけど、おれが行くという風に勝手に話が決まってしまった……ハロウィンに興味が無いといえば嘘になるけれど、こんなあっさり決めちゃっていいんだろうか……
「ねぇねぇ、仮装って例えばどんなカッコするの?」
おれが複雑な心境でいる間にも、バンダナ団の基地からついてきたキトラが後ろから手を挙げて質問し始めた。
「怪物やオバケだよ」
ニライの回答は素早かった。それを聞いたキトラの顔がひきつる。彼女はその手の類が大の苦手なんだ。
「へ、へぇ……楽しみがいが、あるんじゃない? あたしの分も楽しんできてよね、ラーちゃん」
さっきまで行く気満々だったくせに、変わり身が早い。
「それにしても、怪物やオバケか……そんなものになれるような服装は持っていないし、どうしようか」
……そもそも、そんなものって売ってるんだろうか? いくら色々なものが売られているソルトーとはいっても、オバケの衣装なんて扱ってるところはないだろうし。
あるとしたら多分、反物屋さんだろうけど……正直言って、あそこには近づきたくないんだ。
何でかって? そこの店の子が怖いからさ。
何を情けないことをって言われそうだけど、反物屋の店番をしているのは兎族のピッチっていうおっかない人なんだ。
ウワサでは自分より大きい男の人を殴り倒したとか、10メートルもある乾燥ミミズを一撃で仕留めたとか……お母さんが昔の内戦で戦った戦士なんだとかで、ソルトーでも(色んな意味で)名高い人なんだ。
ワノなんか彼女を勝手に永遠のライバルだなんて決め付けちゃって、挑んではボロボロにされて帰ってくるのが日常になってるし。戦士の娘さんなんだから、敵いっこないのにね……
ワノがそうだから、オマケにキトラもピッチが嫌いらしい。おかげで、同じバンダナ団のおれまでピッチに睨まれてる。勘弁して欲しいよ。
と、まぁそういうわけで、あまり行きたくないってわけ。でもソルトーには反物屋さんは一杯あるけど、裁縫してくれる店はそこしかないんだ。参ったなぁ……
「衣装は反物屋さんに頼むしかないね。ハロウィンに使われる衣装は、この辺の地方のデザインとは全然違うから、一から作らないといけないし……僕がそれっぽい服を頼んでおいてあげるから、後で取りに来なよ」
「えっ……」
「それじゃあ、僕はこれで」
おれが反論する隙も与えず、ニライはひらりとウサギトカゲに飛び乗って、反物屋のある方の小道へとさっさと走り去ってしまった。
確かに、ハロウィンのハの字も知らないおれじゃ、どんな服を頼んでいいか分からないけど……本当に行かなきゃダメなのかな。あぁ、気が重いよ。
「さて、あたしも帰ろっかな……そうそう、あんな兎女になめられちゃダメだよ、ラーちゃん。あたしは家に帰ってお菓子作っておいてあげるから、頑張ってねっ!」
続いてキトラが去り際に言った一言がおれの気を更に重くする。キトラが何か食べ物を作ると、どんなに偉い料理の先生の本を読んでも信じられない見た目のものが完成するんだ……
まずは犠牲者第一号になるだろうワノに心の中で同情しながら、おれは沈んだ足取りでニライの後を追って歩き出した。




出会えたから 友達になりたい