気がつくとアリスは満天の星空の中に居た。
数え切れないほど散らばった星々。
夜の闇とは違う、漆黒の世界。
あまりにも広大で、見渡すだけで目が回りそうになる。
目の前には、膨らみ始めたばかりの細い月が、まるで手を伸ばせば届きそうなほど近くに見える。
いや、実際にそれらは目の前にあるのかもしれない。
アリスは手近の星にそっと手を伸ばした。
手のひらで掬うようにすると、パチパチとはぜるように光を零す。
熱くはない。
― わぁ
アリスは目を輝かせてその星をみた。
そのとき
くすり
と、微かな しのび笑いが聞こえた。
― 気に入ったみたいだね
アリスは驚いて、声のしたほうを見上げた。
星空に溶け込むような色の燕尾服にシルクハット。
月と同じ色に輝く髪に、アリスを見つめる赤い瞳。
そこには件の少年が、ゆったりと三日月に腰掛けてアリスに笑みを向けていた。
アリスの目の前の月ではない。
アリスの目の前の月より、鋭利さがなくなっている。
よくよく見れば少年のさらに上方に、さらに半円に近い月が浮かんでいた。
― あっ
パチリと大きな音をたてて、星がアリスの掌から逃げた。
それに気をとられている間に、いつの間に降りて来たのか少年が傍に立っていた。
― 時計、返して貰ってもかまわないかな
穏やかに言われて、アリスは はっとした。
自分のポケットに手をいれたが何も入っていない。
脳裏に、ベッドにもぐりこんだ際に枕元に置いた時計が浮かぶ。
― 私、部屋に置いてきてしまったみたい・・・
いつもなら持っているのに、とアリスはがっかりした。
だけど、優しく方を叩かれて顔をあげたアリスの瞳に映ったのは、にっこりと悪戯っぽく笑う少年だった。
― 君はちゃんと時計を持ってきてるよ
きょとんとするアリスに向けられた紅い瞳は、月の光をうけて きらきらと輝いている。
さらに口元を にやり とさせて、少年がアリスに手を差し伸べてきた。
アリスは少し逡巡してから、その手に自分の手を載せた。
軽く握ると、白い手袋ごしに少年の体温が伝わってくる。
少しだけ、胸がドキドキした。
少年が足元に浮かんでいた星のひとつを軽く蹴った。
ふわりと浮かぶような不思議な感覚。
― あのときと同じ
アリスは思った。
月と星が二人の傍らを流れていく。
― これは夢なの
アリスが問うと、思わせぶりに少年は笑う。
― 僕にとってはどっちも同じさ
その意味をアリスが理解する前に、2人は、明るい場所に飛び出した。
思わず目をつぶってしがみ付いたアリスの肩に、そっと抱くように少年の手が置かれた。
足元が地についた感触がした。
― ほら、
おそるおそる目を開いてみると、あの懐中時計が落ちているのが見えた。
少年はアリスからそっと手を離すと、それを拾い上げた。
そして、開いたりひっくり返したりして懐中時計を確認している。
― さっきの星空は、時計の
アリスが呟くと、懐中時計を懐にしまいながら少年が答えた。
― うん、そう
少年が微笑んでアリスの方を向いた。
あのときと変わらない微笑。
月の光のように、優しくてあたたかい。
アリスは、思わず口を開いた。
― また、会えたらいいなと思ってた
少年が首を傾げた。
― 僕に
アリスは頷く。
― どうして
問われてアリスも首を傾げた。
― なんとなく
少し沈黙が流れる。
― また会える
少年がまた、微笑んだ。
― 君が望むならいつだって
その笑顔がどことなく寂しげだったので、アリスはどきりとした。
― あなたは
突然、羽音が響いた。
その羽音が大きくなるとともに、その世界が急速に薄れていく気配を感じた。
誰なの、と言った言葉は届かなかった。
やがてアリスの耳から音が遠ざかっていく。
視界も雪のように舞う白い羽にさえぎられてみえなくなった。