TheGrinningMoon 〜笑う月(4)〜

気がつくとアリスは満天の星空の中に居た。

数え切れないほど散らばった星々。
夜の闇とは違う、漆黒の世界。
あまりにも広大で、見渡すだけで目が回りそうになる。

目の前には、膨らみ始めたばかりの細い月が、まるで手を伸ばせば届きそうなほど近くに見える。

いや、実際にそれらは目の前にあるのかもしれない。
アリスは手近の星にそっと手を伸ばした。

手のひらで掬うようにすると、パチパチとはぜるように光を零す。

熱くはない。

― わぁ

アリスは目を輝かせてその星をみた。
そのとき

くすり

と、微かな しのび笑いが聞こえた。

― 気に入ったみたいだね

アリスは驚いて、声のしたほうを見上げた。

星空に溶け込むような色の燕尾服にシルクハット。
月と同じ色に輝く髪に、アリスを見つめる赤い瞳。

そこには件の少年が、ゆったりと三日月に腰掛けてアリスに笑みを向けていた。

アリスの目の前の月ではない。
アリスの目の前の月より、鋭利さがなくなっている。

よくよく見れば少年のさらに上方に、さらに半円に近い月が浮かんでいた。

― あっ

パチリと大きな音をたてて、星がアリスの掌から逃げた。

それに気をとられている間に、いつの間に降りて来たのか少年が傍に立っていた。

― 時計、返して貰ってもかまわないかな

穏やかに言われて、アリスは はっとした。
自分のポケットに手をいれたが何も入っていない。

脳裏に、ベッドにもぐりこんだ際に枕元に置いた時計が浮かぶ。

― 私、部屋に置いてきてしまったみたい・・・

いつもなら持っているのに、とアリスはがっかりした。

だけど、優しく方を叩かれて顔をあげたアリスの瞳に映ったのは、にっこりと悪戯っぽく笑う少年だった。

― 君はちゃんと時計を持ってきてるよ

きょとんとするアリスに向けられた紅い瞳は、月の光をうけて きらきらと輝いている。

さらに口元を にやり とさせて、少年がアリスに手を差し伸べてきた。

アリスは少し逡巡してから、その手に自分の手を載せた。
軽く握ると、白い手袋ごしに少年の体温が伝わってくる。
少しだけ、胸がドキドキした。

少年が足元に浮かんでいた星のひとつを軽く蹴った。
ふわりと浮かぶような不思議な感覚。

― あのときと同じ

アリスは思った。

月と星が二人の傍らを流れていく。

― これは夢なの

アリスが問うと、思わせぶりに少年は笑う。

― 僕にとってはどっちも同じさ

その意味をアリスが理解する前に、2人は、明るい場所に飛び出した。

思わず目をつぶってしがみ付いたアリスの肩に、そっと抱くように少年の手が置かれた。
足元が地についた感触がした。

― ほら、

おそるおそる目を開いてみると、あの懐中時計が落ちているのが見えた。
少年はアリスからそっと手を離すと、それを拾い上げた。

そして、開いたりひっくり返したりして懐中時計を確認している。

― さっきの星空は、時計の

アリスが呟くと、懐中時計を懐にしまいながら少年が答えた。

― うん、そう

少年が微笑んでアリスの方を向いた。

あのときと変わらない微笑。
月の光のように、優しくてあたたかい。
アリスは、思わず口を開いた。

― また、会えたらいいなと思ってた

少年が首を傾げた。

― 僕に

アリスは頷く。

― どうして

問われてアリスも首を傾げた。

― なんとなく

少し沈黙が流れる。

― また会える

少年がまた、微笑んだ。

― 君が望むならいつだって

その笑顔がどことなく寂しげだったので、アリスはどきりとした。

― あなたは

突然、羽音が響いた。
その羽音が大きくなるとともに、その世界が急速に薄れていく気配を感じた。

誰なの、と言った言葉は届かなかった。
やがてアリスの耳から音が遠ざかっていく。
視界も雪のように舞う白い羽にさえぎられてみえなくなった。

ただ君と一緒にいたかった