秋の大運動会SP 不参加編:02 『みやげばなし』

 ――主が出かけてから、二日が経った。
 あの、おっきくて、ぼくのだいきらいな犬みたいな顔をした男と約束をしたんだとかで、遠く北の方にあるインテグラって街に出かけたらしい。
 主がそんな遠出をするのを、ぼくは初めて見た。主が出かけると言ったら、この十年間、近くの川や森の少し奥に行くくらいで、一時間くらいで帰ってくるか、もしくはほんの数十分で帰ってくるのがほとんどだったから。
 だから、こんなに帰ってこないとなると……本当に、この家に帰ってくるのか、とか。ぼくのこと置いて、あの男とどっかに行っちゃったんじゃないか、とか。すごく、不安になる。
 そんなことをぼんやりと思っていると、表で音がした。慌てて頭(ぼくにとっては花弁の部分が、人間にとっての頭だ)をもたげて扉の方に向けると、古い軋んだ音を立ててドアが開いた。
“――主!!”
《ただいま、マダラさん》
 いつもと変わらない笑顔で、遠出から帰ってきた主はぼくにそう言った。手にはバスケットを持っていて、そこからは白い猫が澄ましたように顔を覗かせていた。なぜかこの小屋の方まで、たまに思い出したようにふらふらとやってくる野良猫だ。今回も、主が出かける直前になって小屋までやってきて、当たり前のように主についていった。ぼくはここに根付いちゃってるから仕方なくオルスバンしてたのに、まったくずるいやつだ。猫はぼくの威嚇にも知らん顔して、バスケットから飛び降りると、スタスタと町(昔、主が住んでいたヴァルツっていう町だ)の方へと歩いていってしまった。
 ぼくも猫のことは無視することにして(あの猫がたまに主にするように)頭を主にこすりつけた。くすぐったそうに笑いながら、主も頭を撫でてくれる。ちょっと恥ずかしいけれど、なんだか嬉しい。
 そして、そのときになって初めて気づいた。主の後ろには、若い男が立っていた。いつもの、あの男とは違う、もっとひょろっとしたやつだ。ぼくと主を見比べて、びっくりした顔をしている。その両手には、重そうな荷物がたくさんあった。
「ま、魔物を飼っているのですか……?」
 男が、そう、主に訊いた。
 クスクスと笑いながら、主は首を振った。男はまだ目をぱちくりさせながら、ぼくのことを見ていた。
 主はバスケットの中から紙とペンを取り出すと、ささっと簡単に文字を書きつけて、男に見せた。ぼくには読むことができないから、何と書いたのかはわからない。ただ、その男は「仕事ですから」とか、「こんな重い荷物、お一人じゃ持てないでしょうし」と言った。それから主が、もう一度紙に何か書いたのを見せると、紙とぼくとを見比べて、「いや……まだ、仕事が残ってますので」と首を振った。それに、主が頭を深く下げると、男は荷物を地面に置いて、「それでは」と魔法で消えてしまった。
“……あいつ、なんだったの?”
《インテグラからここまで、魔法で運んでくれた魔法使いさんよ》
 にこりと微笑んで、主が答えた。
《本当は、もう少しはなれた所に着いたんだけど、荷物が重そうだからって、ここまで運んできてくれたの》
 ふうん、と、ぼくは適当な相槌を打った。
“それで…… 最後は何て訊いたの? 主”
《よかったら、お茶でも飲んでいきませんか、って。でも、忙しそうだったわね》
 屈託なく笑う主に、ぼくは少しだけ黙ってから、そうだね、と頷いた。

 魔法使いが運んできた荷物は、全て主がインテグラで買ってきたものだと言う。ぼくが呆れ気味に “そんなに一杯、いったい何を買ってきたの?”と訊ねると、主は嬉しそうに――少し、恥ずかしそうに、中身を見せてくれた。
《小麦粉に、このあたりでは採れない果物の砂糖漬け、それから……カップとお皿、それに歯ブラシと……》
 そう、主が広げて見せたのは、食料の他には生活用品がほとんどだった。カップと皿なんて、二つずつ、似たような柄のものを揃えている。それはどうしたの? と訊いたら、ミドリさんがいつ来てもいいように買ったの、という言葉が返ってきた。
《こっちの、満月の模様のカップが、ミドリさんのよ。ほら、ミドリさんの目みたいで、きれいでしょう?》
“…… ふぅん”
 隣に並べられた、控えめに星の模様が散っている柄のカップは、主のものらしい。二つ並んでいると、夜空が小さくそこに広がっているように見える。
 更にその隣に転がっている真新しい歯ブラシは、主が今使っているものよりも一回り大きい。きっと、これもあの男のなんだろう。
 なんだか、ずるい。
“……そっちの布は?”
 買い物の品が所狭しと並べられたテーブルの上には、厚い布も載っていた。深く、暗い緑色の布。テーブルクロスやカーテンにするにしては、厚過ぎる。
《……これはね、ミドリさんに、上着を作ってあげようと思って》
 少し迷うように、主はそう言った。
《ここら辺も、もうすぐ寒くなってくるし……それに、少し船の人たちとお話をしたら……船の上って、風が強いからけっこう寒いんですって。ミドリさん、船に乗ることが多いでしょう? だから、あの格好のままじゃ、いくらなんでもこの季節、寒いんじゃないかしらって……思って》
 言われて、あの男の格好を思い出す。身体の上半分を覆っているのは、口元のマスクと、腕の布くらい。下はズボンをはいているけど、上半身はほとんど裸だ。
 でも、あいつが上着を着ている姿っていうのも……なんだか思い浮かばないな。なんていうか、すごく似合わなさそうだ。
 ぼくがそう言うと、主は面白そうにクスクス笑った。
《そんなことないわよ。ミドリさんにだって、似合う服はあるはずよ。ただ……》
 そこで、主は少しだけ顔を曇らせた。
《……こんな、上着なんて……ミドリさんは必要ないと思っているのにあげたりしたら、迷惑に思われるかしらって……それが、心配なのだけれど》
“うーん………”
 それは正直、よくわからないところではある。ただ、前に主があげた毛糸のパンツは、見事穿いてくれたみたいだけど。あの赤いパンツを堂々と穿くあたり、なかなかあなどれないやつだ。………まぁ、あれを送る主も主だけど。
“まぁ、もらって、気に入らなければ着ないだろうし、必要なら使うだろうから、別にそこまで悩まなくてもいいんじゃないの?”
 あいつばっかりずるいなとは思いつつも、心配そうな主の顔を見てると拗ねることもできなくて、ぼくがそう言うと、主は少しほっとしたように、いつもみたいに微笑んで《それも、そうね》と頷いた。
“…… ねぇねぇ、それで、買い物のことはわかったけどさ。その、「うんどーかい」ってやつはどうだったの? それに呼ばれて行ったんでしょ?”
 ぼくがそう訊ねると、主はいつもより深く笑って、《楽しかったわ》と答えた。
《人混みって苦手だから……そう、長くはいられなかったのだけれど。ふふっ、いろんなひとたちがいて、面白かったわ。みんな、優しかったし……あぁ、それに、わたし、これとは違う服着て、皆の前で応援もしたのよ? はじめは、無理だからって断ったのだけど……でも、楽しかったわ。きっと、そうでもしないと人前に出ないあたしを、気遣ってくれたのね》
 そう、主はクスクスと思い出し笑いをする。そんな主を見ることなんて滅多にないから、ぼくは嬉しいような、淋しいような、ちょっと複雑な気分になった。十年、一緒にいて、ぼくはこんなふうに主を笑わせてあげられたことなんてないから。主が笑うのも、泣くのも、いつも外のにんげんが来たときだけだ。
 ふと、主が笑うのを止めて、《そうだわ》と呟いた。
《忘れてた。マダラさんにも、お土産があるのよ》
“え……?”
 いきなりの言葉に、ぼくがびっくりしていると、主は買い物袋から何かを取り出した。そしてそれを、ぼくの頭のすぐ下に伸びている茎に結びつける。
 それは、「うんどーかい」に行くときに主が持って行った頭に巻く細い布と同じ色の――赤い色の、小さな可愛い、リボンだった。




スズメ
文:穐亨

終わり無き冒険へ!