Novel:09 『緋と藍と』 1/3
殺戮。
それは淫靡な響きを持つ言葉。
誰かがそんなこと言葉を呟いたことをどこかで覚えている。
けれど、彼女はそれを納得していなかった。
激戦、血戦、それとも………死闘?
そんな狂気と隣り合わせな戦いだけが、消えかけた灯火を呼び起こす。
だから、殺戮が楽しいと思ったことは一度もない。剣を僅か動かすだけで消えていく命には興味がなかった。そんな戦いをして多くの人間を殺したところで、その場に残るものは咽せ返るような血の匂いと虚しさにも似た喪失感だけ。
いつ頃からだろうか。
名を捨て天を降って、戦いの中に身を置いた自分が、そのことにすら失望し始めたのは。
魔族達の中には恐ろしく強い者もいる。人間の中にも時折強い者はいる。だけど、何一つとして満足出来なかった。戦う意思の無い者と争ってもそれは殺戮と同じ事。戦う理由を持った人間を力でねじ伏せるのも、とても面白いとは言えないことだった。
望んだものは手に入らない。
望めば望むほどに遠ざかり見えなくなる。それは天にいた頃からそうだった。彼女の望んだものは手に入れることは敵わない。
「メレディス様」
呼ばれて彼女は顔を少しだけ持ち上げる。
「敵軍が現れました」
「敵……誰、だっけ?」
怠そうに彼女は答える。
どうでもいい。
今回もまた一瞬で終わる。一方的な殺戮が始まる。
「天界の、神共です」
「………神」
そう、と彼女は息を吐く。
神は嫌いだ。
それは憎しみとは違う。
どちらかと言えば嫌悪に似た感情かもしれない。あまりにも自分と考え方が違いすぎて気持ちが悪いのだ。
彼女が天を降ったのはそれが理由。
どうしても好きになれなかった。主神も、自分の半身である‘甘い水の神’も。
「強い人、いるの?」
「貴方ほどの者はありませんでしょう。……ですが、敵陣にツィーダルありと報告をうけております」
「ツィーダル? 誰?」
「炎の力を持ち、双剣の異端の神と聞きます。神格はそれほど高くはないでしょう。ですが、このところ魔王軍はかの武人により押されていたというのは実状です。かの者の力はメレディス様と相反するもの、不利に働くでしょう。くれぐれもご自愛下さいませ」
「不利なのは、向こうも一緒よ」
炎と水。
こちらが不利であれば、相手も恐らく不利に働く。だとしたら、純粋な戦いが楽しめるのでは無いだろうか。
彼女は立ち上がり剣を抜く。
赤い紐を結びつけてある鞘をその場に落とすと彼女は鍔に少し唇を寄せた。
「ツィーダル……戦場で見分けが付くかしら」
「赤い髪をしていると聞きます」
「赤い、髪」
それは自分の青い髪と正反対の色を持つ。
会ってみたいと思う。同時に会いたく無いとも思った。
もしも思い描いている人物と違ったら?
噂ばかりで実力の伴わない男だったら?
その失望感は計り知れないだろう。
けれど、
「……久しぶりに、楽しめそう」
彼女は小さく笑みを浮かべた。
それが、彼女にとっての全ての始まりになった。
>>続く