Novel:06 それは至極当然のように『渇望』 6/6

「へぇ、結構広いんだ」
 やはり追い出されて来たらしいミルドは部屋を見渡してそう感想を漏らした。
 ギルドの二階は通常職員が利用する宿舎だが、緊急時には解放して宿泊施設や簡易的な病室としても使われるため、入れる人数は多い。ジルが借りた部屋も数人で使ったとしても狭いと言うことはない。
 部屋にはジルの焚いたお香の匂いが緩く広がっていた。
「済まぬが今暫く待ってくれるか」
 ジルは手紙を書きながらミルドに言う。
 魔法陣を描くのに使っていたものがどこの流派のものであるかを調べよと、シウの当主に宛てた手紙を書いているところだった。ジルが回収したものの半分はギルドが預かり、もう半分は魔法使いの家である「シウ家」が調べることになった。その紹介状でもある手紙を認めているのだ。
「ああ。……寝ちゃったんだね」
 ジルは振り向かずに頷く。
「疲れたのだろうよ。おそらく一人で長く旅をして来たのだろうね」
「こんな小さな子が一人で? それ危険な事じゃないか!」
「正確に言えば一人と言うわけではないのだよ」
 ちらりとジルは窓の外を見る。
 慌てたように何かの気配が動いた。
「これも修行の一環というべきか……あの子達にとっても、フィーナにとってもいい経験になっているだろうね」
「……? 誰かいるのか?」
 ミルドは窺うように外を見る。
 外には特に誰もいない。彼は訝しげな視線を送って寄こした。
「今は誰もいないよ」
「今は?」
 誤魔化すようにジルは笑い、手紙を折りたたみ封筒の中に入れた。
 魔法で封緘する様子を見ていたミルドは不思議そうにジルに問う。
「そう言えば、あんたは魔法使いなのか? 魔物を一撃で切り倒したって噂があったから、てっきり魔剣士か何かだと思ったけど」
「魔剣士だよ。魔法も使うけどね」
 ジルの魔法の使い方は独特だった。魔法使いでも無ければ分からない事だったが、魔法の組み立て方がこの世界のものとは大きく異なる。この世界の形を取り入れて少し変化をしているが、元は「翔」で発達した魔術の形態だ。魔法使いならそれが区別出来る。自分が使う魔術がシウ一門のものであることを隠すためには魔法使いとしているよりも魔剣士でいた方が都合が良かったのだ。
 実際の所ジルは剣を扱うのはそれほど得意ではない。剣技に関してはそれなりに身につけていたが、昔から身体に筋肉が付きにくい為に力が足りない。だから魔法で強化しなければ女子供ほどに非力なのだ。
 世間では噂の方が先走りをして、凄腕の剣士のように言われているが、本当の実力はジル自身が良く知っている。
「じゃあ、この子はその魔法の弟子なのか?」
「候補だよ。慕ってくれるのは嬉しいけれど、まだ弟子にするつもりは無いから」
「何故? 随分と慕われているようだし、弟子として問題無いじゃないか。あんただって不死身とか異名で呼ばれるくらいだ。魔法のことは良く分からないけど、実力もあるんじゃないのか?」
 ジルは立ったままのミルドに椅子を勧める。
 脇のテーブルの上にあった果実水を注ぎ入れたカップをミルドの前に出す。自分には癖の強い葉の入った水を用意した。
 椅子に座りまだ幼い子を見つめると、少女は少し笑っているようにも見えた。
「この子は両親を早くに無くしてしまってね、私の家で預かる事になった。……家は少々有名な魔法使いの家系で、フィーナ自身魔法の才覚に恵まれていた。だから万一にも間違いの無いように魔法の使い方を教えてきた」
「魔法とか、えっと……呪文とか、色々教えてきたんだったらもう弟子じゃないか。この子だって魔法使いになりたいんだろ? 才能もあるんだったら、そっちに進んだ方が……」
「目指す先に私を見ているだけだったら止めた方がいいだろうね。それに、才能があるからといってその道に進まねばならない訳ではないよ」
 フィーナの魔法の才能は確かに危険なのだ。
 彼女自身がそう思っていたように、使い方を知らなければ人も自分も傷つける刃になる。だから必要な事を教えて来た。
 それでもこの道に進ませようとは思っていない。フィーナはまだ幼く未来がいくつにも広がっている。自分のように「そうならねばならない」と星の定めに縛られてもいない。だから魔法の道に進む未来も、結婚して子供を産んで平和に暮らす未来も自分自身で選べる。
 恐らく彼女は魔法に関わる職に付くだろう。彼女の稀な才能も理解しているつもりだ。でも、それをジルの口から伝えてしまえば彼女は迷うことなくその道を選んでしまう。
 今のように弟子になりたいと自分の後を付いてきたのも、自分の側にいたいだけで、魔法の事に関しては二の次なのかもしれない。無論学びたい意志はあるだろう。でもそれだけならあの屋敷に留まっていても同じ事なのだ。
 そんな状況で自分が今すぐあちらに戻らなければいけない状況になってしまったら。
「……もしも、この状況で私がどうにかなってしまったらこの子は再び道を見失う。そうなる前にもっと多く経験して欲しいと思うている」
 ミルドは少し果実水を口に含んだ。
「だったら、一緒に旅したって同じじゃないか? 経験を重ねるなら一緒に旅をしていたって出来るはずだ」
「うん、でもね、今のフィーナは私と同じ目線で見ようとする」
「無茶じゃなかったら別に背伸びしても俺はいいと思うけど」
 ジルは葉の入った水を飲む。苦い、独特の味が口の中に広がった。
 フィーナは頭のいい子供だから、ジルと同じ目線でものを見ようとすれば恐らくそれを正確に理解するだろう。でもそれではジルの出した「答え」を見て理解するだけなのだ。
 出来ることなら一緒にいたいと思う。
 自分を慕って手を握ってくれる少女のことを愛おしく思う。
 だからこそずっと一緒にはいられない。
「答えは自分自身で見つけなければ何の意味も無いんだよ」
 真摯な瞳がこちらを見返した。
 それは真意を理解しようとしている風にも、理解したという風にも見える。真っ直ぐで純粋だ。最初に受けた印象と随分と違う。
 荒々しい所はあるけれど、優しくて、痛みを知っている瞳だ。恐らく過去に辛い経験をしたのだろう。叫んでも喚いても消しきれない激情の中でそれでも真っ直ぐに歩いていこうとした者の瞳。
 ジルは微笑む。
「……君と、彼女が出会ったのは必然かも知れないね」
「え?」
「私もね、随分長く生きたけど、未だに迷うことが多い」
 ミルドは怪訝そうな顔をした。
「長く生きたって、俺と十も違わないだろう?」
「ん? ああ、そうだね。その位かもしれないね」
 言葉を濁し、ジルは軽い笑いを笑う。
 こちらの世界では不老長命が嫌悪の対象になりかねないことをつい失念してしまう。
 少し咳払いをして話を差し戻す。
「ともかくね、捜すために迷うことは悪いことではない。世界を巡って人に出会うことにも意味がある。それが例え遠回りになったとしてもね」
 いずれその経験が役立つこともあるかもしれない。無意味だったとしても、それを知ることがまた経験にもなる。結局の所最後の瞬間になるまで何も分からないのだ。
 そう、何も分からない。
「……もしもね」
「うん?」
「君が何か目的のある旅をしている訳で無ければ、南方のアドニアという国に行ってみるといい」
「アドニア?」
「そう、高地にある国で、面白い王がいる。会えば面白い経験になるだろう」
「王様に会うってそんな無茶な」
「あれは気安い男だから、誰にでも会うよ。……君も少し眠そうだね」
 あくびをしたミルドを指摘すると、彼は眠そうに目をこする。
「ああ……何だか急に眠気が」
「疲れたのだろうね。ゆっくり休むといい」
 ミルドは眠気と戦うかのように目元を抑えるが、眠気には勝てなかったのだろう。次第にその口調が緩慢になっていく。
「悪い、少し先に休むけど………ル」
「うん?」
「勝負………決着ついてな………」
 彼が怠そうに机の上に伏せる。
「………明日……勝負の続きを……」
 ことん、と彼は完全に意識を失った。
 くすりと笑ってジルは香炉をテーブルの上へと置く。その脇に、今回ギルドから報酬として受け取った袋を置いた。
「すまないね、この一件もう少し私の方で調べたいのでな」
 浅い寝息を立て始めた少年の肩に毛布を掛ける。
「ウグイス、いるね?」
『はい、これに』
 ふわりと現れたのは手のひらに載るくらいの小さな女だった。その姿を見たなら誰もが精霊を想像するだろう。
 彼女は確かに精霊だった。風の力を持つ、召喚精霊と呼ばれる類の存在だった。
 ただし、ジルと契約を交わしているわけではない。生まれたときに側にいたジルの力の影響を受けているために、彼を一族の長のように慕っているだけだ。いつも側にいるわけではないが、気付けば自分かフィーナの側にいる精霊だった。
「フィーナのことを頼むよ」
『連れて行ってあげないのですか?』
「安全ならば少し共に行動しても良かったのだけどね。少々危険を伴うことになりそうなのだ。……守ってくれるね?」
 ふわりと髪を揺らし、小さな女が頷いた。
『はい、もとよりそのつもりです。この子は私たちにとってかけがえのない存在ですから。もちろん、私にとっては貴方も大切です』
 ジルはくすりと笑った。
「私はついでかね?」
『あら、やきもちですか?』
 彼女もくすりと笑う。
『ご安心を。今、私がこの姿を保てるのは貴方の前でだけです。フィーナがいずれ私と契約を交わすその日までは』
「それは当然、起こることだろうね」
『はい、私はそう信じています。それまでは、貴方以外に使役されるつもりはありません。……どうぞ先をお気を付けて』
 うん、とジルは頷く。
「君たちもね」
『はい』
 少女は笑って姿を大気へ溶け込ませた。
 ジルはランプの明かりを消してフィーナの方に近づく。
 彼女の側に膝を折り、優しく髪を撫でた。
「……いつも置いていってしまってすまないね。いずれ君との時間をもう少し取りたいと思う。それまで、もう暫く」
 大切な子供。
 失いたくないと思うし、そして失って欲しくないとも思っている。
 ジルの救わねばならない世界はこちらではないけれど、同じようにこの世界も愛おしく思っている。住む者も、世界そのものも。
 その時が来れば当然、ジルはあちらの世界を選ぶ。
 こちらの世界を見捨てて、後悔することになっても。
(それでも……)
 ジルは祈るように目を閉じる。




 この子達の未来の為にも、せめて僅か、世界に平穏を。



ジル・ミルド・ヴェイタ・リフィル・フィーナ(・ルミナス)
文:みえさん。

終わり無き冒険へ!