ハロウィンパーティ招待状から始まるそれぞれのサブストーリー

リクの場合「Moon River 01:wider than a mile」


何とも言い難い顔をしてポーディエ(タワーのコントロールルーム)に入ってきたミサトに、偶々談笑の途切れたコンダクター(管制官)達の視線が集中した。
「…どうしたんですか?顔暗ーいですよ?」
サラが首を傾げると、他の面々が頷いて同意を示す。元々ミサトは常に愛想を振り撒いているタイプでは無いが、だからと言って常に険しい表情をしている訳でもない。
ミサトは溜め息を吐いて右手を目線の高さに持ち上げた。中央に金色のシーリングワックスが浮かんだ、漆黒の封筒。封は開いている。
あぁ、と真っ先に反応したのは、以前同じ封筒を受け取ったことのあるユイキだった。
「今回はニワタリさんですか」
「良かったじゃないですかぁ!お菓子たーっくさんあるって話ですよぉ?」
「三度目の正直?とはちょっと違うかもしれないけど、ラッキーっすね」
封筒とのご対面も三度目ともなれば、中身を見ずとも内容は分かるというものである。夢と悪戯と甘味に溢れた世界への招待状。
コンダクターきっての甘味好きは、しかし眉を寄せたまま首を横に振った。
「俺宛てじゃない。これ、妹に届いて…」




話は同日の朝まで遡る。

きらきらとした夢の余韻を引き摺ったまま、リクは実に幸せな気持ちで目を覚ました。
兄の腕に抱かれている時のような温かさと安心感が、小さな身体をすっかり満たしていた。もうすぐ会えるからね、という柔らかな囁きは兄の声ではなかったが、夢から覚める直前に聞こえたその声は現実に響いたとしか思えない質感を伴っていた。
最愛の兄に連想が飛び、リクはほんの少し寂しい気持ちになる。カムの中央に位置するセントラルホールでの仕事が決まったと言って兄が家を出てから二年は経っているのだが、それでも未だに不在を意識してしまう瞬間があった。
簡単には会いに行けないのが原因なのかもしれない、そうリク自身は思っている。社会学校(小学校)の生徒であるリクは、成人が同伴していないと隣接していないセクションへは行くことが出来ない。リクの家のあるC-1はコロニーBに近しい所にありながら隣接していないため、一人ではコロニーBの中心にあるセントラルホールへ辿り着けないのである。
溜め息を吐いたリクは、ふと枕の横の黒い物体に気がついた。昨晩ベッドに入った時には、そんなものは無かった筈だ。
手に取ってみると、それは封筒だった。物語の世界でしか見たことの無い金色のシーリングワックスで封をされたそれは、幼いリクでも上質な素材であると直感で理解出来た。金色の中では兎の頭部をデフォルメしたシルエットが笑っている。
リクは恐る恐るシーリングワックスに手をかけた。封筒は想像以上にあっさりパカリと開き、中から橙色のカードと便箋と思しき白い紙が顔を出した。
リクは両方を取り出し、ベッドの上に並べて広げた。見たことの無い字が幾つかあるのに気付き、辞書を持ってきてベッドにぺたんと座りこむ。




ハロウィンパーティ開催のお知らせ


来る10月31日
我がRabbitHomeにて 恒例の「ハロウィン仮装パーティ」を開催致します。

美味しいお菓子と 楽しい夢と
そして 無邪気な悪戯心

上記をご持参の上、RabbitHomeまで足を運んで下されば、
当方一同が心より歓迎致します。
常連の皆様も、初めての皆様も
どうぞお誘い併せの上お集まりくださいませ。

合言葉は「Trick or Treat!!」





「…パーティー」
解読を終えたリクがぽつりと呟いた。”ハロウィン”がどんなものであるのかは分からないが、便箋に躍るその単語を口にするだけで、妙に心臓がトントンと跳ねる。
「リクー、いつまで寝てるの?」
と、ドアの外から母親の声が聞こえた。咄嗟にリクは手紙一式を掛け布団の下へ隠す。
がちゃりとドアが開いた。
「リク?…あら、起きてたんじゃない」
「今起きたの、おはよう」
「おはよう。早く準備しないと遅刻しちゃうわよ」
「はーいっ」
母親がドアを閉めるのを確認して、リクは手紙一式を布団から取り出した。丁寧にカードと便箋を折り畳み、封筒に収める。
何故か、身近な大人の人達には、例えそれが両親であっても見せてはいけない気がした。しかし同時に、誰かに見せたいという気持ちもあった。
そんな時に浮かんでくるのは、結局兄の顔だった。

両親に発見されないよう封筒を通学鞄に入れて、リクは急いで家を出た。
どうにかして兄に会いたい。しかし自力では辿りつくことが出来ない。兄に電話をしてこちらへ来て貰うという手もあることはあるのだが、余計な心配をかける可能性がある手段は避けたかった。
ぐるぐると悩みながら歩くリクの目に映ったのは、状況打破の糸口だった。兄のことをよく知っていて、或いは手紙のことも受け入れてくれる可能性のある、成人。
「先生!」
考えるより先に、リクの口から言葉が飛び出ていた。
診療所の前を掃除していたハセクラ医師は、リクの声に反応して手を止めた。ぱたぱたと駆け寄るリクの目線に合わせて、その場に屈み込む。
「先生、おはようございます」
「はい、おはようございます」
「あのね先生、お願いがあります」
「ん?何かな」
「病院お休みなのっていつですか?」
「今日の午後がお休みだけど…それがどうしたの?」
「あたしをお兄ちゃんの所に連れてって下さい」
「…え?」
真剣そのものと言うしかない表情のリクに、ハセクラの目が点になった。そのまま暫し虚空を検索する。
「えぇっと…、…セントラルホールか。そっか、一人じゃ行けないんだね」
空白の後に発せられたハセクラの言葉に、力強くリクは頷いた。
「お父さんやお母さんじゃ駄目なんです。でも他にお願い出来る人が居ないの。
 先生、あたしをお兄ちゃんの所まで連れてってくれませんか?」
現在の仕事が決まる前に大病を患ったリクの兄は、かなり長いことハセクラの世話になっていた。家族の他は同年代の子供達と物語ばかりが遊び相手だったリクには、兄の命の恩人しか頼れる大人が思い浮かばなかった。
「…リクちゃん。確かにお休みなんだけどね、私はお医者さんだから」
リクの顔を、優しい声と眼差しが覗き込んだ。
「もしも具合の悪い人や怪我をした人が居たら、私はリクちゃんとの約束を守れない。それでもいいの?」
一瞬だけ躊躇って、リクは大きく一つ頷く。
ハセクラの手が、小さなリクの頭を撫でた。
「それじゃあ、学校が終わったらここへおいで」




カムの要で働くコンダクター達は、その身分を徹底的に隠されている。
例えば表向きの職業を与えられることもその一つで、世間的にはミサトはタワー(カムの管制塔)の一階にあるセントラルホール職員ということになっており、実際勤務もしている。この日もミサトは、いつも通り事務室で職員として働いていた。
「ミサト君、お客さんよ」
受付に居たサトリに呼ばれ、ミサトは席を立った。ちなみにサトリも職員が本職では無く、ミサトとは二重の意味で同僚である。
受付から事務室の外を見ると、そこには恩人の姿があった。
「先生。直接お会いするのは久々ですね、どうしたんですか?」
ハセクラ医師はミサトの本職を知る数少ない人物の一人である。タワーとの通信時に画面越しの会話をすることはあっても、お互い忙しい身であるから直接会う機会は少ない。
ハセクラは悪戯っ子の笑みを浮かべた。
「今日の俺はボディガードです。君のお姫様を連れて来たよ」
さっとハセクラが横に身体を移動させると、ハセクラの背後から妹が姿を現した。
「リク!お前、何で…」
ミサトは慌てて事務室の外に出た。リクの前にしゃがみこみ、両肩を包むように持つ。
「何かあったのか?ここに来ること誰かに言ってきたか?どうして先生と一緒なんだ?」
「あのね、お兄ちゃんに見せたいものがあって…それで、先生に付いて来てってお願いしたの」
「見せたいものって、…わざわざこんな所まで出てこなくても、電話掛けてくれれば…。
 すいません先生、ご迷惑おかけして…診療所の方は大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ、今日は午後休診だから」
いつもより少し早口になったミサトに、ハセクラは笑って答えた。
ミサトとリクは、喫茶室の延長としてあるロビーのテーブルについた。サトリは持ち場に戻っており、ハセクラは少し離れた所に座っている。
リクが通学鞄から丁寧に封筒を取り出すと、ミサトの顔色が変わった。
「お兄ちゃん?」
兄の変化に気付き、リクが不思議そうな顔をする。かなり間を空けて、ミサトは頷いた。
「…知ってる、中身。ハロウィンパーティーの招待状だろう」
「え、どうして分かったの?」
リクはまるで手品を見た時のように目を輝かせるが、ミサトは渋い顔だ。
顔のパーツを中央に寄せたミサトが溜め息を吐いた。
「中身はちゃんと読んだのか?」
「うん。でもね、”ハロウィン”って何なのか分かんないの。
 子供でも行っていいパーティーなのかなぁ…大人っぽい格好した方がいいの?
 それに、お菓子ってどんなのをどれくらい持ってけばいいか分かんないし…
 あとね、”10月31日”なんて無いのに、書いた人はいつと間違っちゃったんだろう?」
「…つまり、パーティーに行きたいんだな?」
疑問形を取った確認に、リクは期待に満ち溢れた笑顔で頷く。
ミサトがもう一度溜め息を吐き、リクの肩に手をそっと乗せた。
「あのな、リク。俺の友達が前に同じ招待状を貰って、パーティーに行ったんだけど。
 パーティーの会場は物凄く遠い所にあるんだ。リクはそこに一人で行かなきゃいけない」
「えっ…」
「俺も父さんも母さんも先生も、誰も付いて行ったり連れて行ったりすることは出来ない。
 寂しいから帰りたい、なんてリクが思っても迎えには行けない。
 途中でそんなこと言うのも、招待してくれた人にちょっと失礼だし…。
 それでも、大丈夫か?」
長い沈黙があった。
事務室の中の雑音が、やけにロビーに響く。
「―…ってたんだもん」
俯いたリクの小さな声が、ミサトの耳に届いた。
「ん?」
「もうすぐ会えるからねって、言ってたんだもん。
 会えるのが楽しみだよ、待ってるよ、って聞こえたんだもん。だから…」
顔を上げて、リクは真っ直ぐ兄の顔を見つめた。
「だから、頑張る」
「…、そっか」
兄の手が、ゆっくりとリクの頭を撫でた。
微かな笑い声が聞こえた。二人が発生源に目を遣ると、ハセクラがクスクスと楽しそうに笑っている。ミサトは首を傾げた。
「どうかしました?」
「いや、ニワタリ君はリクちゃんが大好きなんだねぇ」
「…そんなにおかしいですか?」
ミサトが少々眉を寄せると、ハセクラは満面の笑みを浮かべた。
「ううん、分かるよ。そりゃあもう、物凄ーく、よく分かる」

出会えたから 友達になりたい