Fly me to the Moon [ 01:many words ]



すっかり暗くなった街の中、一つの長い影がふよふよと移動している。
「…なーんか、こんなことばっかやってる気がすんだけど…」
地表から10cm程度浮き上がり、クーバ(車輪の無いローラーブレード)の力でやっと進んでいる状態のソウタは、はぁ、と盛大に溜息を吐いた。まだ後頭部がズキズキと痛い。
ソウタのルーブリケーターという仕事は、本来はカムの治安維持を主な仕事とするものである。先程ソウタが行った仕事も、確かに治安維持の一つと言えるのかもしれないが、どうにもこうにも何かが間違っている気がしてならなかった。
平たく言うと、痴話喧嘩の仲裁をした。
最初に助けを求められた時は何の冗談かと思い、現場に赴いて1秒で認識の甘さを後悔した。ただの痴話喧嘩の癖に、言葉以外の余計なものが飛び交いすぎている。クッション、スプーン、ハンガー、ゴミ箱、皿、フライパン、椅子、等々。刃物が弾丸候補に上がらなかったのはある意味奇蹟かもしれない。
何とか身体を張って制止を試みたが治まる気配は無く、遂には流れ弾のマグカップに後頭部を殴られた。何とも皮肉なことに、当事者は蹲るソウタを見て正気を取り戻したのだが。
そして話を聞いてみると、本人達も何が原因で始まった喧嘩なのか忘れていることが判明し、傍迷惑にも程がある喧嘩は周囲の惨状と一人の怪我人を残して終息を向かえた。
「平和、っちゃあ平和だけどさー…もっとこう、楽しいことで実感してーよなぁ」
仕事とはいえ、唯一の被害者が自分というのはどことなく切ないものがある。ぼんやりと呟きながら、ソウタは天を仰いだ。疲れているせいだろうか、天球の光がまともに認識出来ず、全体的に黒っぽく見える。だから気付くことが出来なかった。
突然ソウタ自身の顔から、ぺちん、という何とも間抜けな音がした。
「ぬぁっ!」
反射的に目を閉じ、顔面を直撃した物体を手で掴む。思いの外手ごたえは弱かった。
それからクーバの動きを止め、安全を確認して着地。やっと手の中を確認出来たソウタは、思わず周囲を窺った。
上品な金色のシーリングワックスで封をされた、黒い封筒。それが、乱暴に掴んだせいで所々歪んでいる。
「や、っば…」
各家庭に一つボックスがあり、携帯端末も普及しているカムにおいて、通信手段はほぼボックスか携帯端末か、直接顔を突き合わせての会話である。手紙という手段を選ぶこと自体、皆無ではないが珍しい。
しかも、どう考えても事務的な無機質さとは縁遠い。誰か大切な個人に宛てたものだろう。封筒の色等、少々気になる点は多いが、或いは結婚式等の招待状かもしれない。
それを、言ってみれば傷物にしてしまった。
誰も現場を見ていないことを願いつつ、ソウタは何とか皺を伸ばそうと努力した。しかし、当然といえば当然だが、自分の行為を無かったことには出来ない。厄日という単語を背負った黒猫の大群が謎のダンスを踊りながら頭の中を駆け抜けていく。
30秒も格闘しないうちに、ソウタは腹を決めた。受け取り主に直接事情を説明するしかない。黙して不可解と不快を与えるよりはきっとましだろう。
そう決めたはいいのだが、
「宛先も差出人も書いてないじゃんかー」
漆黒の中の情報源はシーリングワックスのみである。途方に暮れたソウタは、意味も無く封筒をくるくると回した。
世の中にシーリングワックスという物体があることは知っていたソウタだが、現物を見るのはこれが初めてだ。いかにも手作業らしい歪な輪郭の中に、専用のスタンプでも使うのだろうか、正円の縁を持った模様が沈み込んでいた。兎の頭部のシルエットに細いルナの影のような口をつけたその模様には、妙な滑稽さと不気味さが共存している。
封筒の回転を止めたソウタが、これが差出人の署名代わりなのかもしれないとシーリングワックスを軽く撫でた瞬間だった。
音も無く、シーリングワックスが取れた。
「…え…っ、ちょっ、はぁぁっ!?」
ソウタは慌ててシーリングワックスを拾い、あっさり取れた割には形を保っており案外丈夫なそれを元の位置に押し付けたが、再び封がされる気配は無い。
少し躊躇って、思い切って中身を引き出した。流石にこちらには宛先なり差出人なりの手がかりがあるだろうと、自分に言い聞かせた結果だった。
行儀良く整列していた中身は、案外するりと抜けた。二つ折りになった橙色のカード、真っ白な便箋。ソウタは、便箋の方を選んで開けた。
宛先の手がかりは見当たらかったが、文面がソウタを惹いた。
「…”ハロウィンパーティ開催のお知らせ”…」




ハロウィンパーティ開催のお知らせ

来る10月31日
我が「RabbitHome」では 今年も
ハロウィン仮装パーティを催すこととなりました。
持ち物は勿論

少しのお菓子と
少しの夢と

そして
少しの悪戯心

期日にRabbitHomeまで足を運んで下されば、
RabbitHome一同が心より歓迎致します。
常連の皆様も、初めての皆様も
どうぞお誘い併せの上お集まりくださいませ。

合言葉は「Trick or Treat!!




「―で、これがその手紙なんだけど」
ルーブリケーターの事務所に戻ったソウタが事情を説明しつつ机上にカードと手紙を広げると、残り四名がそれを覗き込んだ。彼等もまたルーブリケーターであり、ソウタと同じグループに属する仲間である。
五人はこの事務所で寝食を共にしている。手紙の件に関しては隠すつもりは無いし、隠す意味も無い。相談もしたかったし、報告しないことがカムの危機に繋がる可能性も否定出来ない。
「まさか、またあれってことは無い、よね?」
おずおずとイツキが言うと、ユウとイチヤがげんなりした表情になった。
差出人不明のメッセージによって世界が終わりかけた大騒動から10ヶ月経った今も、当時の自他の心身衰弱ははっきりと覚えている。出来ることなら二度目以降には立ち会いたくないし、そもそも二度も三度も起こってくれるなあんなもん、というのがルーブリケーターという職務を離れた個人としての偽らざる本音だった。
「だと思いたいけどさー、どうよ、これ」
「…”ハロウィン”って何」
それまで紅茶を飲みつつ黙々とカードに目を通していたヨシツグが、ぽつりと呟く。
何しろ以前騒動になったメッセージも、かなり暗号めいた奇怪さが漂っていたのだ。今回もと疑い出せばキリが無い。全員が首を捻って同意を示した。カードに描かれた、顔の描かれたカボチャに嘲笑われている気すらしてくる。
「それもだけど、”RabbitHome”ってどこだ?」
「え、”一同”だから団体名じゃないの?」
会場と思しき場所も分からなければ、差出人もよく分からない。
「いや、っつうかさ」
そして何よりも。
「”10月31日”って、いつ?」
暗号としか思えない要素が、多すぎる。


出会えたから 友達になりたい