Christmas Fantasy 〜5.Wing your way〜

今日も変わらず、街は光に包まれている。

 少年は昨夜と同じように、とある家の屋根の上で街の温かい空気を吸い込んでいた。ただ昨日と違うことと言えば、彼が煙突に凭れて座り込んだ格好のまま、眠るように瞳を閉じていたことだ。

 片膝を曲げ、片足は無造作に投げ出して。白い手袋を嵌めた手は組まれて、曲げた足を抱えるように添えられている。瞳を閉じた顔は自らの腹を見つめるように俯いていて、深い夜空の色をしたシルクハットの頭が傾いて空を向いていた。

 昨夜からちらちらと振りつづけている雪が一片、彼の肩にも降りる。だが、その雪片は少年の体をするりとすり抜けて屋根の上に舞い落ち、すぐに積もった雪と見分がつかなくなった。
 肩だけではない。
 雪は、彼の足も腕も頭にさえも降り積もることなく、彼の下の屋根だけが白く埋められていく。

 そのことに気付いているのかいないのか。
 少年は俯いたまま、長いこと蹲っていた。

 街には溢れる感謝と喜びの歌。

 その中に紛れた微かな羽音を聞き取って漸く、少年はそっと瞳を開いた。
 紅玉のような瞳に、雪のように白い鳩達の姿が映る。

 少年の顔に、微笑が浮かんだ。

「おかえり」



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 エイミーが白い花を店先のリースに飾りつけていると、ぱたぱたと、街路をかけてくる軽やかな足音が耳に入ってきた。振り返れば、幾人かの子供達が笑いながらこちらへやってくる。その子供達には見覚えがあるな、と思ってよく見れば、教会の孤児院の子供達だった。

「そんなに急ぐと危ないわよ」

 エイミーが笑って声をかけると、子供達が互いにぶつかるようにして足を止めた。
 随分と遅れて、シスターが歩いてくるのが見える。
 エイミーは屈んで子供達の顔を見回した。

「皆、どこかへお出かけ?」

 エイミーが問うと、子供達が答える。

「うん、僕達、公園で劇をするの」
「聖誕祭の劇だよ」
「歌も歌うんだよ」

 無邪気な笑顔を見せる子供達に、エイミーも微笑みを返す。
 子供達は自分達がどんな役をやるかをそれぞれ語りながら、観に来て観に来て、とエイミーの袖やエプロンをひっぱった。

「あまり無理を言って、困らせては駄目ですよ」

 その頃、やっと追いついたシスターが静かに子供達を諭す。普段から化粧ッ気のない真っ白な頬が、急いできたせいで赤く染まって、息も切らしている。エイミーと視線があうと、シスターは穏やかな微笑みを浮かべた。

「朝から張り切ってしまって、大変なんです」

 ふふ、とエイミーが笑うと、一人の女の子が袖を引いてリースを指差した。

「綺麗なお花」
「そうでしょう?もともと綺麗なお花なんだけれど、この花は特別ね。なんて言ったって、天使様がくれた花ですもの」

 彼女が天使と言ったのには別段深い意味はなかった。
 誰かから貰った筈の花束。だけど、誰から貰ったか思い出せない花束。
 じゃぁきっと、天使様にでも貰ったんじゃない?と昨夜の団欒の時に笑って言ったのは、彼女の妹だ。

 だけどエイミーの言葉に、子供達がぱっと顔を輝かせた。

「ホントっ!?お姉ちゃんも天使様に会ったの!?」
「ね、シスター、言ったとおりでしょ。街に天使様が来たんだよ」

 何のことか、とエイミーがシスターを見上げる。
 シスターは少しばかり困惑したような顔で笑った。

「子供達がね、皆、昨日の夜に天使様に会った、って言うんですよ」
「本当だよ。だって皆見たんだもん」
「すごく優しかった」
「一緒に遊んでくれたんだよ」
「沢山プレゼントだってくれた。シスターも見たじゃないか」
「あの怖い人たちが急に優しくなったのも」
「そうだよ、きっと天使様のおかげだよ」

 口々に言う子供達の言葉を引き継ぐように、シスターが口を開く。

「そう、今朝、教会の門の前に、白い袋がおかれていて…中には人形やおもちゃが沢山入っていたんです。誰が置いたのか。ずっと雪が降っているものだから足跡も消えてしまってて・・・」

 最初からなかったんだよ。天使様だから飛んできたんだよ、と子供達が言う。

「それに・・・今まで教会を・・・その、こんなこと言っては駄目なんですけど・・・教会の土地をとろうとしていた人達が・・・突然朝やってきて。今までの懺悔をさせてくれって。皆、人が変わったみたいに」
「おじさん達、赤い瞳の悪魔が出た、って言ってたよね」
「凄く怖かったって」
「きっと天使様が、あの人たちを叱ったんだよね」

 シスターが、子供達の頭を撫でた。

「最初は子供達が見た夢だって思ってたのですけれど・・・。牧師様も天使様に会ったって言うんです。だからきっと・・・」

 シスターがにっこりと微笑んだ。

「僕等、まだ天使様に有難う、って言ってないから」
「だから今日、頑張って劇やって、一生懸命歌を歌うの」
「天使様と神様に有難う、って言うの」

 エイミーは、子供達の瞳を見回した。
 澄んだ瞳がいくつも並んでいる。

「・・・そう、頑張って。私も観に行くわね」

 絶対!と、子供達が嬉しそうに返事をした。

「じゃぁ、皆、行きましょうか」

 シスターの言葉に、はぁい、と子供達が行儀良く返事をする。
 今度は もう少しゆっくり歩いて頂戴ね、とシスターが子供達の背を押して歩き始めようとしたとき、エイミーは一度躊躇って、ねぇ、と声をかけた。子供達のきらきらと輝く瞳がエイミーを振り返る。

「天使様って、どんなだった?」

 子供達はちょっとだけ顔を見合わせてから、得意げに口を開いた。

「絵で見るみたいにふわふわの金色の髪」
「月の光みたいにきらきら光ってた」
「真っ赤な瞳だったけど、怖く無かったよ」
「すごく綺麗だった」
「優しかった」
「手があったかくて」

「あとね背中に」
「そう背中に」

「羽が生えてた」


「だから天使だって わかったんだ」



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 傍らに舞い降りた鳩が、雪の上にちょんちょんと引っ掻くような足跡を残して少年に近寄る。

「どうだい、この街にはもう仕事はないだろう?」

 声をかけると真黒の瞳が二組、少年に向けられた。
 少年はその瞳を順に見返してから頷く。

 1羽が首を傾げて少年を見上げた。

「僕?僕は結局、今日は一日中ここから動けなかった」

 もう1羽が少年の片膝の上に飛びのって、白い羽を広げて短く鳴いた。
 少年が苦笑する。

「そう言うなよ、ダイア。確かに昨日は大勢の夢に入るなんて無茶したけど。・・・僕は後悔してない」

 鳩の目前に水を掬うような形を作った手のひらが掲げられる。雪の結晶が一つその中に舞い落ちて、やはり留まることなく屋根上に落ちた。紅く澄んだ瞳に一瞬、影がよぎる。だけど少年は口許に浮かべた微笑を崩さないまま、ぎゅっと手のひらを握り締めた。

「もう一回ぐらい街に降りたい、って思ってたんだけど。諦めた方がよさそうだ」

 膝上の鳩が、ちょんと肩にのりかえる。
 おいで、ダン。と、少年はもう1羽の鳩に手を差し伸べた。
 両肩にいつものように白い鳩を乗せて。少年はゆっくりと立ち上がった。

 少年の背が高くも華奢な体が、辺りで一番高い屋根の煙突に影を落とす。

 彼の頬に鳩達が擦り寄って、喉を鳴らした。
 赤い瞳を街の灯りに向けながら、少年の手が鳩たちを優しく撫でる。

 彼はふと撫でていた手をとめると、鳩たちの羽にキスをするように顔を埋めて、瞳を閉じた。

「こうしても・・・今の僕には、君たちの温かさも感じられない・・・」

 彼はまた瞳を開いて街を見渡した。
 瞳の中で、街の灯りがきらきらと明滅する。

 ひとつ、ひとつ。
 瞳に刻むように光を追いかけながら、そっと呟く。

「いつか あの中に・・・」

 光を掴もうとするかのように、少年はそっと手を伸ばした。



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「金髪・・・赤い目・・・白い羽・・・」

 エイミーは子供達の言った天使の姿を思いながら蝋燭に火を燈した。

「天使・・・」

 白い花が蝋燭の炎に照らし出された。

「・・・」

 花をくれたのは誰だったか。
 良く、知っていたような気がする。
 もしかしたら・・・恋心を抱いていたような気もするのに。

 燭台を、窓辺に飾ったツリーの隣に置く。

 ここなら、きっと遠くからも見えるだろう。



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 掴めないことは勿論知っていたけれど。
 彼は指の隙間から毀れる街の光を見ながら、そっと宙を掻いた。

 だけど無情にも光はその手をすり抜けて。
 空のままの握りこぶしだけが、力なく降ろされる。

 風に乗って、聖歌が流れてきた。
 穢れを知らない子供達の声で。

 聖歌に耳を傾けているかのように、彼はしばらくじっとしていた。

 やがて、その最後の一節も空気に溶けるように消えていく。

 「帰ろう」

 息を吐いて、少年はゆっくり街の灯りに背をむけた。

 左右の肩に乗った白鳩達が、少年の言葉に答えるように翼を広げる。

 だけど、羽ばたくことも、飛び立つことも無く。

 彼らはただ、翼を広げていた。

 輝くように白い、鳩たちの翼。



 それはまるで





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誰も気が付かなかったけれど

とある家の煙突の上から

翼ある人影が 街をそっと見下ろしていた

その影は、長いことそこで街の灯りを見つめていたけれど

瞬きの間に消えていて

後には、星空のように温かい灯りを宿した街が 残された













+ Fin +















あの灯りの中に 帰る場所があったなら
どんなに幸せだっただろう