次第に形を現し始めた雲に少しずつ覆われて、月や星の淡い光が次第に遠くなっていく。
だけどそんな些細な光には誰も気付かないほどに、今日の街は明々と暖かい光に包まれていた。昨日積もった分厚い雪も、すぐに溶けて消えていってしまいそうなほど。
ぱちぱちと勢いよく炎をあげる暖炉に、小さな炎で周囲を照らし出す蝋燭。
通りも家の中も、赤や緑で色鮮やかに飾られて。
あちこちから笑い声や、聖歌が聞こえてくる。
そう、今日はクリスマスイブ。
道を行く誰も彼もが浮き足で、特に子供達は期待に小さな胸を膨らませて少しもじっとしていられない。テーブルの上に並んだローストチキンやクリスマスプディングを指でつついて両親に軽く諌められたり。壁にかけた大きな毛糸の靴下に穴があいていないか何度も確かめてみたり、大きなクリスマスツリーの周りを駆け回ってみたり。
通りにはいくつもの雪だるまが並んで、道行く人々に墨でできた黒い瞳で愛想を振りまいている。
街は幸せな空気で満たされていた。
とある家のひときわ高い屋根の上から街の様子を眺めていた少年は、そんな空気を胸いっぱいに吸い込むと、満足そうに微笑んだ。
着込んだ燕尾服が夜空の色にとても近いため、下から見れば空に溶け込んでしまって少年の姿はよく見えない。ただ、深く被ったシルクハットの隙間から飛び出した金の癖っ毛だけが、微かに降り注ぐ月の光にきらりと輝いて存在を主張していた。
「この辺りは悪夢なんて寄り付く隙間もなさそうだね」
周囲を軽く見回してからほっと息を吐くと、少年は自分の隣に置かれた白い袋に話しかけた。屋根の上から突き出した煙突に支えられるようにして置かれた大きな白い袋は、当然のことながら何も言葉を発しない。
だが、突然袋がごそごそと身動(みじろ)ぎしたかと思うと、ずるりと傾斜した屋根を滑り落ちそうになった。
「おっと」
少年が慌てて手を伸ばす。
「こら、悪戯はよせよ、ダイア、ダン」
少年が袋をひっぱりあげて諌めるように言う。
視線の先は白い袋ではなくて、白い袋の置かれていた煙突の脇。
積もった白い雪の上に、同じくらい真っ白の2羽の鳩が並んでいた。
「店で買ったときから目立って仕方無かったんだ。それを漸くここまで持ってきたっていうのに。君たちは僕の努力を無駄にするつもりだっていうのかい?」
少年は軽くその2羽を睨みつけていたが、2羽が"何か悪いことしましたか?"とでも言いたげに一緒に首をかしげたものだから、思わず噴き出してしまった。
少年は笑いながら手を差し伸べる。
「わかったよ・・・。まったく。君たちも茶化すのが上手くなったね」
片方の鳩がひょい、とその手の上に飛び乗ると、少年はそっとその手を持ち上げて鳩を右肩の上に乗せた。そして同じように手をさしのべて、もう一羽も左肩の上に乗せる。
それぞれの鳩が、少年の頬に擦り寄るように体を寄せた。
「温かいな・・・」
少年は目を細めて微笑んだ。
通りを通る人々の数は次第にまばらになり、やがて全く見えなくなっていく。
そしてただ、家々の明かりだけが残されるまで。
彼らはずっとそこで寄り添って街を見つめていた。
夜空はもはやすっかり雲に覆われて、月も星も ちら とも見えない。
かわりに静かに舞い始める白い雪片。
もともと積もっていた雪の上に舞い降りては家々の明かりにきらきらと輝く。
少年の肩や、シルクハットの庇にもうっすらと白い膜ができていた。
「きれいだね」
遠くの方まで街の灯りを見渡してから、少年がそっと呟いた。
「まるで足元に星空があるみたいだ」
少年は夜空を見上げた。
見えるのは自分を避けるようにして周囲へ降り落ちる雪ばかり。
彼はゆっくりと家々へと視線を戻した。
「そろそろ 行こうか」
じっと暖かな灯りを見つめながら少年が言う。
それに答えるように鳩たちが少年の両肩から飛び立つ。
雪降る空へと舞い上がった白い体は、あっという間に雪と見分けがつかない距離まで飛んでいった。
少年は白い鳩達の姿が夜の空に消えていくまで見送ってから、もう一度だけ街を見回した。
そして、微かに微笑んで足元の袋を持ち上げると、踵を返して街の暖かい灯りが作り出した影の中へひっそりと姿を消した。