楽しき悪夢 〜幕間〜

 後からリースに聞いた話。
 私とアレックスが部屋を出て行った後、フェイズとリースがどうしていたか。

 フェイズは言葉もなく、窓辺に座ったままずっと外を眺めていたらしい。
 声を掛け辛い雰囲気だったから、リースも黙っていたんだという。静かなのは嫌いじゃないから、とリースは言ってクロスを握った。静かな時間・・・彼女はそのとき、祈りを捧げていたのかもしれない。
 だけど唐突にフェイズは声を発した。

「僕は・・・」

 視線は窓の外を見つめたままだったから、リースも最初は自分に話し掛けているとは思わなかったそうだ。

「僕は昨日、君に酷いことをした・・・?」
「え・・・」

 フェイズは頬に手を当てて、呟くように言う。

「さっき、あっちの子に叩かれた」

 リィン?と、リースが聞くと、フェイズはゆっくり頷いて首だけで振り向いた。

「酷いことをしてしまったなら、謝らないといけない」

 私が彼を叩いたのは、リースって誰、と言ったからだ。キスをしておきながら名前も覚えていないなんて、って腹が立ったから。でもそんなこと、リースは知らないから首を振った。

「いいえ、何も。酷いことなんてされてないわ。寧ろ助けてくれたわよね・・・?」
「なら、良かった」

 フェイズは笑った。斜めに差し込む夕陽が、彼の顔に深い影を作って感情を読み取り難くする。

「・・・僕は・・・忘れてしまうんだ」

 彼は首を元の位置に戻して、また呟いたという。

「それも、呪いなんだね」

 良くわからなくて。特に返事を求められているようでもなかったから、リースは黙ってフェイズの横顔を見つめていたという。フェイズの顔を斜めに過ぎる大きな傷。私達は、まだその傷の理由は知らない。

「思い出せない。昨日のことですら」

 右手を上げると、彼の手首に嵌められた手錠に繋がる鎖が、重そうな音を立てる。彼はその手を自分の額にあてた。

「ずっと一緒にいるからなのかな。アレックスのことは分かるんだ。だけど君達のことは・・・」

 言葉が途切れて、視線が鎖に落ちた。

「君達に会ったのは昨日、なんだろ。だけど僕にとっては、今日初めて会った人だ」

 フェイズは私達のことも、昨日のことも全く覚えていなかった。忘れて飄々としている彼に、あのときは腹がたったけど・・・。今は叩いて悪かったな、と思う。別に彼は、忘れたくて忘れているわけじゃないし、忘れて良かったと思っているわけではないようだからだ。それはこの後、彼が言ったことで良くわかった。

「こうして話していても。明日になれば、また君のことを忘れてしまう」

 彼は顔をあげて再びリースに顔をむけると、じっと瞳をみつめた。飄々とした軽い雰囲気は消えて、すごく真剣な瞳だったから、視線が逸らせなかった、とリースは言った。
 彼はそうして、リースに謝ったんだ。

「ごめんね」

 と。

「それは・・・あなたのせいじゃないわ」

 リースはそれしか言えなかったという。

 後でアレックスから、詳しくフェイズの呪いの話を聞いた。フェイズは、眠って目が覚めると前日以降のことが思い出せなくなってしまうんだそうだ。基本的な生活習慣とか、毎日繰り返すことは覚えているという。だから、彼はアレックスについては、もう忘れないらしい。でも、覚えるまでに3年かかったけどな、とアレックスはため息をついていた。

 アレックスはそれ以上詳しいことを話したがらないけど・・・。彼はきっと、フェイズの呪いを解きたいんだ。

 ・・・呪いって、私はまだ詳しく知らない。村の皆の病が呪いだと言われて、だけどだから病気とどう違うのか、なんて実はまだ良くわからなかったし。ずっと同じ影響を及ぼし続ける持続性のある魔法、とアレックスは教えてくれたけど・・・。

 呪いは、変化がないまま繰り返す。フェイズは、彼の意思に関係なく毎日全てを忘れて新しい朝を迎える。村の皆は、治ることも悪化することも無い病をずっと味わっている。

 そうね、とにかく一日も早く呪いを解かなきゃいけないんだわ。













+ End +