外ではやっと日が昇り始める頃だろう。
だが、北西にある俺達の部屋には、北側に申し訳程度の明り取りの窓一つしかないため、光が差し込むことは殆どない。部屋の中は年中暗く、冷え冷えとしている。それでも、この部屋の蜀台や暖炉に炎が燃えたのは過去に数えるほど。人ではない俺達にとっては、暗闇も寒さも問題視するようなことではないからだ。
俺は暗闇の中、部屋の中央にあるベッドに歩み寄り縁に腰を降ろす。古いベッドのスプリングが軋んで、奥歯を擦り合わせるような音を鳴らした。
ベッドの上へと視線を投じれば、横たわるのはフェイズの身体。
生気のない顔、微かな身動ぎさえしない手足。吐息すら一切零れない。
その額に手を添えたところで、脈は勿論、微かな温かみすら伝わってこない。
ただ、じっと時が過ぎるのを待つ。周囲では音を立てるものは一つもなかった。
外はもう明るくなった頃だろうか、と顔を上げたとき。広間の時計が朝を告げる鐘の音が聞こえてきた。その鐘の最後の余韻が消えないうちに、ふ、と息を吐く気配。
相変わらず、時間には正確だ。
俺が見つめる側で、胸が微かに上下し始め、頬に赤味が差す。瞼が徐々に開かれて、深紅の瞳が覗く。
俺はその焦点に合うように体を傾け、不敵に笑ってみせた。
「よぉ」
深紅の瞳が俺を捕らえ、ひた と見つめてくる。
背筋が冷やりとした。
情けないことだが、この瞬間はいつも酷く緊張する。
俺が固唾を飲んで見守る中で、フェイズは少しだけ逡巡した後、唇を開いた。
「・・・・・・っ」
しかし、出たのは掠れた空気だけ。渇いた喉では上手く声を発することができなかったらしい。水差しの水をとって湿らせてやると、漸く弱々しい声が毀れた。
「・・・ア、レックス・・・?」
名前を呼ばれ、張っていた肩から力が抜ける。
「・・・そうだ」
俺が頷くと虚ろだった瞳に光が差し込んで、フェイズはいつものように微笑んだ。
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騒ぎが終った時、周囲は酷い有様だった。
窓は割れてる、石像は粉々。床は破片と埃で埋もれ、勿論俺達だって埃を被ったり、服のあちこちが破けていたりとお世辞にも整った姿だとは言い難い。
「全く、とんだ夜になったもんだ」
俺が呟いた傍では、フェイズが埃を吸い込んだらしくケホケホと堰をしている。視線を感じて、顔をあげるとリィンが刺すような視線で俺を睨んでいた。だが視線が合うと、ふい、と露骨に逸らされる。
リィンとリース。二人の少女がこんなところまで旅をしてきた理由を聞こうと思ったが、どうやら今夜は無理そうだ。まぁ、リィンが先ほど漏らした言葉 ―― 吸血鬼から逃げてきた ―― から、もう大方の想像はついている。
吸血鬼は大抵単独で行動し、それぞれにテリトリーを持っている。
彼らの狩り ―― つまりは人間を襲うということだが ―― は、運悪くそのテリトリーの中にある村や町に住む人間、又は、迷い込んできた人間が対象となる。獲物が逃げ出すか、もしくは狩り尽さない限り、吸血鬼自身がそのテリトリーから離れることはない。二人の少女がそれ程旅慣れているようには見えないことから、多分彼女達は前者・・・運悪く自分達の故郷が吸血鬼のテリトリーに含まれていた類だろう。
その故郷から逃げ出してきた…か。
吸血鬼の目は、何も頭についている二つだけではない。どんな格下でもテリトリー内に住む野生の動物達を従えているのが普通だし、格の高い奴になると魔力でテリトリー内の状況を常に見張っていたりするというから、逃げ出すと一口に言ったってそう簡単なことではない。
無事に逃げ出せたとは、二人はよっぽど運が良かったと言える。メリットがないのに見逃されたとも思えない。
それは目出度いことでいい。
俺が気にしているのはそこじゃない。
テリトリーがあるということは、つまり、他の吸血鬼仲間がそのテリトリーに入ってくるのを許さないということだ。勿論、俺のテリトリーにだって他の吸血鬼はいない。だから当然、彼女達は俺のテリトリーの外から来ている。山と森と村がいくつか含まれたそのテリトリーの広さは・・・端から端を横切るだけでも結構な距離がある。
彼女達がどこから来たかは知らないが、逃げ込むにしろ助けを請うにしろ、道中やこの山の麓にだって村はあった筈だ。なぜわざわざ、危険を冒してまでこの山を登って来たのか・・・。
いや、助けを請うだって?
自分の考えに、苦笑が漏れる。人間が吸血鬼を倒そうなんて考えるとは正気の沙汰じゃない。何せ吸血鬼というのはほぼ不死身のモンスターだ。銀の弾丸、胸に杭・・・有名なように方法が無いわけじゃないが、能力・体力・手下の数。人間が村人全体束になったところで倒せる相手ではない。俺の城はそんなものは全て外してしまったが、通常吸血鬼の城にはトラップが仕掛けてある ――それも相当陰湿な―― から、寝込みを襲うのも不可。そもそも睡眠自体をあまり必要としない。
俺は自分の手に視線を落とす。今はもう爪も元通りだが、己の意思で伸ばしてナイフより鋭い凶器と変えることも出来る。先ほど、狼野郎につけられた傷が行く筋かあったが、既に血も止まり傷口も塞がって、何日も前についた傷のようになっていた。
尽きない体力、回復しつづける体・・・そう、吸血鬼同士でだって、お互いを倒すことは不可能に近いことなのだ。
吸血鬼を倒す方法があるとすれば、只一つ。
それは・・・
「アレックス?何をそんなに怖い顔しているのさ」
フェイズに話し掛けられて俺は我に返る。
知らず眉間に皺を寄せていたらしい。
「いやなんでもない・・・あの二人は?」
「随分前に部屋に戻ったよ。とてもじゃないけど、今は一緒に居られる気分じゃないって」
「・・・そうか」
まぁ・・・今いろいろ憶測しても仕方ない。聞けば済む話じゃないか。
素直に教えてくれれば、だが。
この時点で、俺は自分が動くことになるなんてこれっぽっちも考えては居なかった。