頬を叩いて動揺を静めてから、私は念の為にと戸を開いた。
鍵はかけられていない。
正面に続く廊下には、もう人影は見えない。
もう一度、ゆっくりと戸を閉めて、内から鍵をかけた。
「いい人たちね」
リースがぽつんと言った。
彼女の手は、もう胸元にはおかれていない。
私はなんだかほっとして、微笑みを返した。
「リースに言わせたら、誰だっていい人になっちゃうけれどね」
「あら、そんなことないわ」
「そんなことあるの」
笑って返しながら、私はリースの近くに立つ。
泥で汚れてしまった顔、ボロボロの服。
長い髪はところどころでもつれて絡まっている。
手を取ると、擦り傷があるのが目に入った。
「リース、怪我したの」
「え、うん、ちょっと擦っただけなの。もう痛くもないし気にしないで」
笑うリースをみて、私はなんだか堪らない気分になった。
この城に辿り着くまでの道程を思い出す。
そしてこれからの道程を考える。
あぁ、どうしてこんなことになってしまったんだろう。
今日は運良く安全な場所で寝られるけれど。
この先はそうもいかないだろう。
私がリースをしっかり守ってあげないと。
そして、村の皆も・・・・。
「どうしたの・・・?大丈夫?」
私が突然黙ってしまったから、リースは不安そうに尋ねてきた。
慌てて笑顔で首をふって、話題を逸らす。
「な、なんでもない。ねぇ、それにしても素敵な部屋よね」
「本当、いいのかしらこんなに豪華な部屋で」
リースは頷いて周囲を見回した。
この部屋は、全体的に落ち着いた青で纏められている。
ふかふかの絨毯。
レースのカーテンのついた天蓋つきベッド
縁に細かな装飾の施された鏡台。
大きなクローゼット。
そして、それらを並べてもまだ有り余る空間。
自慢じゃないけれど、それほど裕福じゃない村で育った私達にしてみれば、この部屋だけでも十分に豪邸だ。
さらに私は、何気なくクローゼットを開いて驚きの声をあげてしまった。
中にぎっしりと、服が詰め込まれていたからだ。
リースも、もう一つのクローゼットを開いて歓声をあげた。
それこそ、私たちでは一生着る機会なんてないだろうと思っていた鮮やかで豪華なドレス。
今の汚れた手では触れるのも憚られるほど。
でも、どうしてこんなにドレスがあるのだろう。
まさか、彼らの趣味ってわけじゃないと・・・思うけど。
ちょっと背筋が寒くなる想像に、私は軽く首をふる。
そのとき、ふと今まで気が付かなかったドアがもう一つ部屋についているのが視界に入った。
近寄ってそっと扉をあけると、湯気と熱気と薔薇の香りが部屋に広がる。
「えっと・・・・・・お風呂?」
正直なところ、これは本当に嬉しかった。
湯船に薔薇の花びらなんかが浮いているところは、ちょっと私の趣味とはあわないけれど。リースは手を叩いて喜んでいる。
二人で汚れた体を流してさっぱりしたところで、改めてクローゼットを開いてみた。
そしていくつか服を引っ張り出してあわせてみる。
不思議なことにどの服も、誂えたように私達の体にぴったりだった。
これって偶然なの?
疲労と困憊でまともに働くなっていた思考も、幾分さっぱりしたせいか、少しずつ仕事を再開し始める。
「・・・さすがに不安になるわよね・・・」
さすがに豪華なドレスは気後れしてしまって手が出せないから。
中でも一番シンプルで飾り気の少ない服を取り出して袖を通しながら、私は呟いた。
「どうして?」
リースも胸元にリボンがついただけのシンプルな白いシャツを選んだらしい。
シンプルといったって、まず生地の手触りが違うから、上等なものには違いないのだけど。
「だって、いくらなんでも準備が良すぎると思うのよ」
突然現れた私達を迎え入れたにしては。
炎が燃えていた暖炉。
お湯のはった湯船。
そして、私達の体にぴったりの服。
「・・・そうね」
リースも首を傾げた。
どうしよう、これってやっぱり何かの罠なのかしら。
鏡台の前に座ったリースの髪を梳かしてあげながら、私は逃げるべきか否かを考える。
「あの人達、人を騙すようには見えなかったけど・・・」
お風呂入っている間、鏡台の上に置いていたクロスのペンダントを再び胸元に戻しながら、リースは呟いた。
「リース、美形だからって簡単に信じちゃだめよ」
「もうっ、そんなんじゃないったら」
彼女は、自分がつけたものと同じ形のペンダントを鏡台の上からとって私の首にかけながら言う。
「大丈夫、神様はちゃんと見守っていて下さるわ」
私は自分の胸元のクロスに視線を落とした。
それはリースとお揃いの私のクロス。
私はリースと違って神様なんて信じていないから、このクロスにお願いをしたことなんてないけれど。それでも一応、ちゃんとずっとつけている。信じていようが信じていまいが、これは、私とリースの大切なものだから。
私がクロスをそっと服の下にしまったところで、部屋の戸をノックする音が聞こえた。
「準備できた?」
戸を開くと、フェイズが一人で立っていた。
彼もどうやら正装をしてきたらしい。
先ほどは無造作に垂れていた前髪はキチンと後ろに流されている。
着ているシャツは先ほどと変わらないようだが、上には紺のジャケットを着て、赤いタイを締めている。
それでも、右手首にはやっぱり鎖のついた手錠が嵌っていてなんだか不自然だった。
そして前髪を上げたことで顔の傷が良く見えて。いけないことだとは思いつつも、視線はそれを辿ってしまった。右の額から鼻頭を通って左頬の下まで。一直線に過ぎる大きな傷。随分と昔の傷のようだけど、それはとても痛々しかった。
顔を見つめていた私の視線を捉えて、フェイズはにっこりと笑った。
「うん、二人ともその服が良く似合ってる。可愛いね」
めいっぱい微笑んでそんなことを言うから。
言われ慣れていない私達は思わず赤くなってしまった。アレックスと一緒にいると目立たなかったけれど、彼も十分に格好良いんだ。
アレックスが大人な魅力を振り撒く美形ならば、フェイズは爽やかで無邪気な少年の魅力っていうか・・・。
あれ、私ってば何考えてるんだろう。
「じゃあ、行こうか」
フェイズに促されて、私達は廊下に出る。
美形だからって簡単に信じてしまっているのは、もしかしなくても私の方なんだろうか。
こんな状況に置かれてもどこか暢気な自分の思考に、私は酷く反省した。