テントの奥に、いかにも重そうな赤い緞帳が張り巡らされて作られた小さな部屋があった。
中にはサーカスで使うのだろう道具達が整然と、または雑然と 並び積み上げられている。赤い緞帳は天井も含めた部屋の周囲全てに張り巡らされている為、外からの光は一切入ってこない。 部屋の中を照らすのは、小さな裸電球が一つだけ。
外の喧騒はここまでは届かない。ぼやけた灯りに照らし出された道具は、それぞれが大きく不気味な影を作り出して緞帳に張り付かせていた。

大きなボールや小さなボール、何種類もの旗に、リング。様々な大きさの箱や、いかにも頑丈そうなな檻に水槽。赤・黄・青や緑と鮮やかに彩色された、沢山の衣装やウサギやライオンなど動物の姿を模った着ぐるみ。そして一番奥には大きく古ぼけた鏡。

その中に、動くものは無い筈だった。
だが突然、道具の作った影が 身動ぎするように揺れる。

紫を基調とした道化師の衣装を纏い、両の長い耳を下に垂らしたウサギの着ぐるみの影だ。その隣、箱に座るように並んで置かれた他の着ぐるみは一切動かない中で、ウサギだけが首を傾けて、周囲を伺っている。

大きな顔の真ん中の小さく薄い三日月のような鼻をひくひくと動かすその仕草は、到底 作り物の人形には見えない。 彼は、大きな大きなガラス球の瞳をぐるりと光らせて周囲を見回した。
そして他に何も動くものがないのを確かめると、ゆっくりと自らの腕の中を見つめた。

大きなウサギの体に守るように抱かれたその腕の中では、一人の少年が眠り込んでいた。

ウサギと同じ白銀の髪を持つ、あどけなさの残る少年。 なめらかで透き通るような白い肌の中、子供らしい曲線を描く頬だけは健康的な朱に染まり、長い睫毛を伏せて穏やかに眠るその顔は、息をしていなければ人形だと言っても信じてしまえるほどに美しかった。
着ている服は鮮やかな赤色の、ウサギと同じく道化師の衣装だった。

ウサギは、その少年を愛しいものを守るように優しく抱いて静かに座る。 耳を澄まさずとも、他に音を立てるものもない部屋の中。 心地良さそうに眠る少年の寝息だけが聞こえていた。

だがその静けさを破るかのように、部屋の外から声が近づいてきた。
ウサギはぐるりと、声が聞こえてくる方向に首を向ける。

すると部屋の一角から、重い幕のカーテンを押し上げて 一人の少年が中に入ってきた。 電灯の光の下、エメラルド色の髪が揺れる。 先程の少年、翠緑だった。

「だんちょーぉ、団長どこっスかー?」

無神経に大きな声で呼ぶ声の主に、ウサギは無表情のまま じっと睨むような視線をぶつける。 最初は気付かなかった翠緑だったが、ふと振り返ったときに視線がぶつかって、驚いたように飛び上がった。

「うぉ! は、白銀っ! 驚かすなよ」

はくぎん、と呼ばれたウサギは少年の言葉には答えず、ふいと顔を背けてまた腕の中に視線を落とす。 腕の中では、まだ穏やかな寝息が聞こえていた。
翠緑がゆっくりとウサギの正面までやってきて、その腕の中を覗き込む。

「あらら・・・団長、寝てるし・・・」

少年が呟くと同時に、また別の声が二つ響く。

「ねぇ、深紅どこにいるの?」
「翠緑、深紅は見つかったの?」

先ほどと同じように幕を押し上げて、群青と薄紅も中に入ってきた。 慌てて翠緑が唇の前に指を立てる。

「しーっ!静かにしろよ群青、薄紅」

少女達は同時に口を尖らせた。

「何なの、翠緑。深紅はどこ?」
「あら白銀、ここにいたのね。深紅は・・・」

翠緑が無言で白銀を差すと、群青と薄紅も傍に寄ってきてその腕の中を覗き込んだ。そして同時に、甘い溜息を吐く。

「まぁ・・・・・・可愛いわ、深紅。」
「そうね、可愛いわ。普段の格好いい深紅も大好きだけど、可愛い深紅も大好き」

翠緑が首をすくめる。

「本当、こうしてると ただの子供にしか見えないよなぁ・・・」

半ば怖いものでも見るかのように、翠緑がちらりと深紅の寝顔を見やる。確かに、可愛らしいとしか形容できない寝顔がそこにあった。
白銀に半ば肘をつくような格好になりながら、深紅の寝顔を眺めていた双子は翠緑の言葉に、興奮した様子で それでも起こさないようにと極力 声を顰めて言う。

「深紅の子供の頃・・・今よりもっともっと可愛らしいかったに違いないわ!」
「そうよ、きっとそう!ねぇ、白銀は知っているのでしょう?」

薄紅の問いかけに、三人の視線が白銀に集まった。

「ねぇ、深紅はどんな子だったの?」
「教えて頂戴、白銀」

熱い視線で見つめる双子とは裏腹に、表情の変わらない白銀は無言のまま、じっと深紅を見つめていた。 双子も翠緑も、その視線を追って、もう一度、白銀に抱かれて眠る少年の寝顔を覗き込む。

穏やかに眠るその表情。
信頼する者達に囲まれた、安心できる場所だからこそ、できる寝顔。

彼らは知らなかったが、それは深紅が彼らを家族だと認めているからこそ見せる姿だった。